12月23日。

 

妊婦健診で告げられた、

娘の出産予定日。

 

実際に産まれたのは

3日後の26日だったけれど

去年の12月23日は

私の中でずっと、待ち望んでいた日。

 

だから今日は

1年前を振り返って

出産の瞬間のこと、

綴ってみようと思います。

 

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お腹の大きさから

予定日より、早まるかも?

と予想していた私は

12月に入ってから産む気満々。

 

「いつでもいいよー」って

お腹に声を掛けながら

のんびり過ごしていました。

 

待ちきれずリョータさんと二人

陣痛ジンクス試してみたり。(笑)

 

それでもやっぱり私たちの子。

ほんとうにのんびり屋さんな性格で

いよいよ23日を迎えても

一向に出てくる気配すらありません。

 

23日には妊婦健診があり、

先生から

「25日の朝から、誘発入院にしましょう」

と言われました。

 

せっかくなので24日は

チキンなどを買って

クリスマスらしく過ごしたりして(笑)

 

翌朝早かったので早めに就寝。

の予定が、

この夜から少しずつ張るような痛みがあって

夜に何度も身体を起こしては

リョータさんにさすってもらっていました。

 

翌朝はしっかり準備した入院道具一式を持って

車で病院へ。

 

生まれるまでは

「外出中に陣痛がきちゃったらどうしよう」

と陣痛タクシーの準備をしておいたり

突然入院になったら……と

病院に持参して欲しいものリストを

まとめたりしてたけど、

 

前日は「二人で眠る最後の夜」を味わえたし

荷物はばっちり準備できたし

乗り慣れたいつもの車で病院へ向かえて

心の準備がしっかりできたので

入院日が決まっていたのは良かったな。

 

とはいえ、誘発入院とは

促進剤を使って陣痛を促して

出産を進ませるためのもの。

 

着いてすぐ内診をして

子宮口を広げるためのバルーン。

(これめちゃくちゃ怖い。いまだにどんなのだったのか検索できない……けど、実際はそんなに痛くなかった)

 

そして最初は錠剤の促進剤を

1時間おきの服用からスタートしました。

 

全ての錠剤を服用しても

それでも陣痛には繋がらず、

(ちょっと痛いかなーくらい)

 

点滴での促進剤へ移行。

この辺りから徐々に、

いつものお腹の張りとは違う

本格的な痛みに変わってきました。

 

 

私の分娩には

リョータさんと私の母が立ち会い。

 

自身も9人を産んだ上に

私の兄弟たちの出産に立ち会いしている母は

助産師さんを超えるほどの安心感。

 

私は分娩時、

密かに決めていることがありました。

 

母に、強くなった姿を見せること。

 

逆子で生まれ、昔は身体が弱かった私は

兄弟の中でも特に母に心配を掛けたので

「ユウは強くなったね」と

母に安心してもらうことを目標に。

弱音を吐かないって決めていました。

 

痛いときほど、呼吸に集中。

怖くない、痛みに意識を集中させない、

痛みが強くなる=もうすぐ会える!

と何度も自分に言い聞かせて

ゆっくりと深い呼吸で乗り切っていました。

 

その甲斐あってか最初の方は

私のあまりの余裕にリョータさんは

「さすがユウちゃん!!」と大喜び、

母からは「ユウって痛覚ないの?」

と心配され 笑

 

助産師さんからも上手上手!と

たくさん褒められて順調。

 

ただ、その痛みは

促進剤で無理矢理起こしているもので

赤ちゃんは下に下がってこず。

 

夕方になって

突然なにか違和感を感じて診てもらうと

子宮口が3~4㎝開くと自然と抜けるバルーンが

抜けてきていました。

このとき、まだ3㎝。

 

でも、少しずつでも

確実に進んでいる実感があって

すごく嬉しかったな。

 

夕食が運ばれてきても

なかなか手を付けられないほど

痛みは強くなっていて、

 

促進剤の数値もMAXになってから

すでに数時間、

(これいつまで続くんだ...)

と時計をチラチラ見るようになった私に

 

20時頃

「今夜は産まれないね〜、明日も長期戦だから今夜はシャワー浴びちゃってね」

という耳を疑う助産師さんの言葉。(笑)

 

え、今日ってまだ4時間あるけど...

とお産の進み具合に気を遠くしながら

突然襲ってくる痛みに冷や汗かきながら

どうやったのか覚えていないけど

シャワーを浴びて、ベッドへ。

 

もちろん陣痛にお休みはなく、

夜間も定期的にくる痛みに

声を殺して耐えていました。

 

 

私の母はこのとき、

乳癌を患っていて抗がん剤治療中でした。

 

食事も食べられない、

寝たきりで過ごさなければいけない状況の中

家族から心配されながらも

私の分娩に立ち会ってくれました。

 

「来なくていいよ、大丈夫」と言う私に

「これはママの役目。子供達に命のバトンを繋げるのが、母親としての最後の仕事だと思ってるから」

と言って無理して来てくれた母。

 

せめて夜くらいしっかり休んでもらおうと

同室で眠る母に気付かれないように

声を殺して痛みに耐える私に

 

やっぱりすぐ、気付いてしまうんです。

少しの呼吸の違いで

「ユウ、痛い?」とすぐ駆け寄って

さすり続けてくれて。

 

魔法のようなその手は

すぐに私の身体の痛みを取ってくれる。

 

あぁ、この手にずーっと、

守られてきたんだな。

 

と思わずにいられませんでした。

 

当時の母はものすごく弱っていて。

兄弟たちで交互に看病する日々だったのに。

 

全て抜け落ちてしまった髪を

ウィッグで隠したその状態では

病院内で誰も気付かなかったことでしょう。

 

母は、強い。

我が子を想う気持ちは

こんなにも人を強くさせるのか、と

全身で思い知った瞬間でした。

 

 

翌朝、内診をすると

「5㎝は開いてる。この調子だと午後には産まれるかもね!」

との先生の言葉がすごく嬉しくて、

 

よし。もうひと頑張りだ!!と

気合いを入れ直して。

 

昨日と同じように呼吸に集中して、

だけど、昨日とは度合いの違う鈍い痛みに

呼吸が思うように整えられなくなって。

 

痛みの波がくるたびに

押し返してくれるリョータさんの拳も

力で震えていて。

 

リョータさん、手、痛いはずなのに、

力を強めた方が楽になるからと

思いっきり力を込めてくれて。

 

その拳から、

リョータさんのエールが感じられて

すごく心強かった。

 

痛くて仕方ないはずなのに、

不思議とリョータさんへの感謝と愛情が

溢れて止まらなかった。

 

娘が産まれる日に伝えたかったこと。

それを書き綴ったお手紙を

実は入院バッグに忍ばせていて。

 

「リョータさん、バッグの中の手紙、読んで」

と伝えると驚いた顔をしてた。

 

読んでるときの顔、

ちゃんと見ておきたくて。

こっそり覗き見たら

案の定 目に涙をいっぱい溜めてて。

 

ありがとうね。

10ヶ月間、私と娘を

守り続けてくれていて。

 

リョータさんの優しさと愛情を

たっぷり感じた妊娠期間、

もちろん大変なこともあったけど、

すごく優しい時間でした。

 

いつも宝物を触るように

私のお腹を撫でていたリョータさん。

その姿を見れなくなるのは

実はちょっと、寂しいです。

 

でも、これからは、

娘を抱っこするパパになったリョータさんが

見られるんだね。あとちょっとだね。

 

リョータさんがあまりにいつも

私のために生きてくれるから、

私は命を懸けて出産したくなったんだ。

他の誰でもない、リョータさんの子供を。

 

ずっと待ってくれていてありがとう。

もうすぐ、待望の、パパになるんだよ。

 

 

・・・だけどこの頃から

ちょっと空気が変わってきました。

 

順調だったはずのお産の進み具合は

なぜだか7時間経っても1㎝も進まない。

 

促進剤はMAXで繋げっぱなし、

2日間の点滴で身体のむくみは酷く

足の痺れが治らないほど。

 

陣痛の波は1分の休みもなく

襲ってくるのに対して

赤ちゃんが全く下がっていない。

 

助産師さんが慌てた空気が伝わって

徐々に不安になってきて

 

先生が内診し、すごく神妙な表情で

「分娩停止...」とつぶやいたあと

外で待機するリョータさんと母を呼び

 

「帝王切開に切り替えます。ここでは手術ができないので、受け入れ先の病院を手配します」

と説明をし始めて。

 

不安な表情になった私を見て

「よく頑張ったね。いっぱい頑張った。これ以上時間をかけるとお母さんの身体が持たないから、帝王切開に……」

と身体をさすりながら優しく話してくれているのが聞こえる。

聞こえるんだけど、頭がついていかなくて。

 

心がポキンって、折れる音が聞こえた気がして

涙が一気に溢れてきて。

 

早く会いたい。その一心で

感じたことのない痛みを

なんとか耐えてこれたのに。

 

なかなか会えないその状況に

今から救急車で運ばれるその状況に

気持ちの糸が切れてしまって

 

でも、泣いてる場合じゃない。

どんな手段だっていいから

早く我が子に会いたい。

 

そう頭では冷静にわかっていて。

 

リョータさんと母が

書類にサインをしたりして

あっという間に準備が進んで。

 

搬送前に最後の内診を

先生がしてくれようとしたそのとき、

「あ!!」

と。

 

「今、破水が始まった!」

「子宮口、7㎝。ここから一気に進むかもしれない!」

 

その先生の言葉を聞いて、

慌ててリョータさんと母が戻って来て、

 

私の身体を強くさすりながら

「ユウ、もうちょっとだよ!赤ちゃん、頑張ってくれてるよ!」と母。

「ユウちゃん、頑張ろう!このまま、ここで産もう!」とリョータさん。

 

無痛分娩という選択肢もある中で

麻酔も帝王切開もできない産院で

私が産むことを決めたのは、

この先生に我が子を取り上げて欲しいと

強く強く思えたから。

 

もし、まだ可能性があるのなら、

ここで、先生の元で産みたい。

 

帝王切開になったら

この身体がちぎれるほどの痛みは

やっと終わるんだ、とも思ったけど

 

ぐっと気持ちを持ち直し、

私の涙に慌てたように

自力で降りてきてくれた娘に背中を押され

また陣痛と向き合いました。

 

そこからはみんなの気持ちが1つになって

「産む」ことをゴールに。

 

痛みに耐える、ではなく

産むこと、をゴールにしたら

もう強さを見せるなんて

どうでもよく感じて。(笑)

 

いっぱい叫びながら、

痛みを逃すのではなく受け入れて、

 

もうどの姿勢もラクなんてない、

なんだっていいから今のこの痛みが

終わるのを待って。またすぐ来て。

 

そこから永遠に感じた、約5時間。

内診した助産師さんの

「よし!子宮口10㎝!分娩台に移動しましょう!」

という声を聞いたときのあの感情を

きっと一生忘れません。

 

分娩台に乗ったらすぐ

産まれるのかと思ってたけど

そうじゃないんですね。(笑)

 

身体を壊しにくるような痛みに

対抗するように思いっきり力を込めて

外に押し出すようにいきんで、

毎回全力を使い切るからそのあとふっと

気絶したように一瞬眠って

また痛みで起きていきんで・・・

 

そんなことを何度繰り返したんだろう、

気絶しそうな私のほっぺを叩かれながら

「髪の毛が見えてきたよ!!!」

とみんなの励ましの声が聞こえて、

 

前日担当してくれて

すっかり母と仲良しになった助産師さん、

本当は出勤じゃなかったのに

私が産まれそうだという連絡を受けて

飛んできてくれたんだって。

 

右手には母が、

左には助産師さんが、

頭の上にはリョータさんが、

足元には心から信頼する先生が、

 

「あと1回で産まれるよ!」

の先生の声に

最後にいきむときにはその場の全員が

すごい声で叫んでた。

 

産まれた……!!と思った瞬間、

大人たちの叫び声の中

最後の力を振り絞って

「赤ちゃん、泣いてる?!」

と確認して、

「元気に泣いてるよ!」

の声を聞いて力尽きた私。

 

娘の名前は産む前から決めていて

それをみんなに伝えていたから

産まれた瞬間、娘はもう自分の名前を

みんなに呼ばれながら産まれてきて。

 

こんなに迎え入れられた中での誕生は

どんなに幸せだったことだろう。

 

産まれてから今まで一度も

激しい人見知りもなく、

人が大好きな娘。

 

きっとそれは

産まれた瞬間から人の温かさを

全身で浴びたからだろうな。

 

 

産まれてからすぐの記憶は

もうほとんどないのだけれど、

私の横で抱き合う母とリョータさん、

そしてその光景に号泣する助産師さん。

 

そんな光景を

温かい裸んぼの娘をカンガルーケアしながら

見ていたような気がする。

 

 

「強くなった私」なんて

母には全然見せられなくて、

ただただ母の強さを感じることになった

私の出産。

やっぱり母には、敵わないや。

 

だけど、

そんな私を「ユウらしい」と笑って

見守ってくれた母はどこか嬉しそうで。

 

立派になろうとするなんてもうやめた。

母の前では、ずーっと弱い私でいいや^^

 

 

そして、娘。

本当は外に出るために頑張る娘を

母の私がどしっと構えて

しっかりサポートしてあげたかったのに、

 

私の分娩を助けてくれたのは

娘でした。

 

心が折れそうになってごめんね、

きっとまだまだお腹の中にいたかったのに

「わかったよ、もう出るよ〜」と

しびれを切らして出てきてくれたんだね。

 

2日間の陣痛を耐えられたのは

あなたの心拍が少しも落ちなかったから。

その心音にどれだけ励まされたか。

 

本当に強くて頼もしい子。

これからもあなたの強さに

ママはいっぱい助けられそう。

 

頼もしい母にはなれないかもだけど

この世界の楽しさを

いっぱい一緒に教えてあげたい。

産まれて来てよかった、と

感じてくれたら嬉しいな。

 

 

 

1年経って

記憶は曖昧になっているところもある中で

こうして記録できてよかった。

 

母の数だけ、子の数だけ、

エピソードは無数にある妊娠・出産。

 

1年経った今、

あぁ、また、味わいたいな

と思わせてしまう力がある不思議な体験。

 

あーんなに痛かったのにね。

 

26日、娘は1歳を迎えます。

1年ぶりに産院に行こう。

先生に抱っこしてもらおう^^