今日も、僕の乳がんについてのこれまでの経緯をお話しするシリーズです。
これまでの経緯は、次のページに書いてあります。
よろしければご覧ください。
***これまでの経緯***
乳がんのこれまでのいきさつシリーズ
(1) 乳がん。すべての始まりのお話。
https://ameblo.jp/youta-papa/entry-12448107654.html
(2) 乳がん。すべての始まりのお話。(続編)
https://ameblo.jp/youta-papa/entry-12448386028.html
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今回は、がんを告知されてから、手術して退院するまでのお話しをしたいと思います。
なお、「乳がん。すべての始まりのお話。(続編)」
のお話の中で、がんの告知を受けた日付を書いていませんでした。
がんの告知を受けたのは、
2017年(平成29年)7月13日(土)です。
13日だけど金曜日じゃなかったな。
ジェイソンめ。
さて、やっと本題。
前置きが長くて済みません。
がんの告知を受け、6月1日に手術した部分を、
念のため、摘出部分の周囲を大きくえぐるように
削り取ることになりました。
これが2回目の摘出手術。
いま考えると、おそらく、女性でいう全摘出みたいなものなんだと思います。
僕の場合は副乳であり、場所が脇の下に近いところなので、
手術後の見た目は、それほど影響受けないで済んだのですが。
手術は8月31日の予定。
それまでの1ヶ月半、いろいろな検査を受けました。
血液検査、超音波、CT、MRI、PETなどなど。
僕の仕事はシフトで動いているので、
シフトの合間に病院に検査に行く、という形になりました。
このため、仕事→検査→仕事→検査→という毎日がしばらく続きました。
休んでる間がなかったですね。
ちょうど一番暑い時期だったので、これが結構きつくて。
そして、手術の数日前から入院。
話がそれますが、
この病院は、お医者さんも看護師さんも、イケメンや美女揃い。
「職員を顔で選んでるんじゃないか疑惑」がわきます。
僕の担当をしてくれた看護師さんは、
ガッキー(新垣結衣)にほぼ生き写し!
もう一人の看護師さんも、ローラに生き写し!
ガッキーはわりとタイプだったのでラッキー。
看護師さんにはけっこう恵まれたかも(笑)。
看護師さんが来るたびにわくわくしてました。
そして、8月31日に摘出手術。
この手術のとき、今回はリンパ節も一部切除することになりました。
摘出した部分は、もう一度生検にかけることに。
もしリンパに浸潤があれば転移が疑われるので、
ステージが上がってしまう可能性がありました。
しかし手術の結果、リンパ節に浸潤はなし。
つまり、今のところ転移の可能性はないということで、
ステージは1のままとなりました。
手術が終わって意識が戻ったとき、脇の下からにょきっと
管がでてるのを見て、
ぎゃー!きもちわり~!
なんだこりゃ~!
この管って、ドレーンていうんだそうです。
なんか気持ち悪いよ、これ~。
ドレーンの管から出てくる血が混じった体液を受け止める容器が、
なんだか浣腸の容器みたいな形だし。
ガチャガチャの容器の平べったい版といっても良いかも?
寝返りを打ってる間に、その容器を何度もつぶしてしまって、
わわっ、まさか逆流した?ってビビったり。
手術して丸一日は動けなかったですね。
念のためか体の下に防水シートが敷かれてて、これがまたやっかいで。
皮膚が弱いので、防水シートのせいでかぶれて、かゆくてかゆくて。
看護師さんにかゆいからなんとかしてって、お願いしたんです。
かゆい場所は、おしりに近い腰のところ。
ところが見てくれた看護師さんはガッキー。
恥ずかしいやらなんやらでちゃんと見せられず。
結局そのままで、かゆみに耐えました。
かゆいよぉ・・・
何でよりによってガッキーなんだよぉ。
その後、数日入院し、予定通りに退院できるかと思ったら。
脇の下からにょきっと出ているドレーン管からの体液が止まらず、
予定より2日ほど退院が延びました。
そしてようやく退院となり、
そのまま自宅でしばらくの間休養することになりました。
●3月22日朝6時 追記
偶然発見。
ガッキーって、昔こんなんだったらしい。
だれだよ、お前。
(つづく)