前回の話の続きです。
前回の話はこちら。

・乳がん。すべての始まりのお話。
https://ameblo.jp/youta-papa/entry-12448107654.html

*今回から、人称を「私」ではなく「僕」に変えます。
なんか自分らしくない感じがするから。

***

●ごま粒くんが、パチンコ玉くんに変身

時は平成29年(2017年)。

鯉のぼりが舞う頃、
秋から気になっていた右胸の「ごま粒くん」が、
いつの間にか「パチンコ玉くん」になっていました。

さすがに無視できなくなりました。
こりゃやべーよな。滝汗

そこで、5月中旬に、近所の大きめの病院病院に行きました。
まだできたばかりの、きれいで大きな病院。
受診科は皮膚科にしました。

診察してもらうと、とりあえず手術して切除してみることになりました。


●1回目の摘出手術

6月1日 摘出手術

その後、その時摘出した組織に対して、生検とやらを行ったそうです。

その生検の検査結果は、

「ちょっと、悪いもののようですね。」

悪いもの?
ずいぶん回りくどい言い方するなぁ・・・真顔

若くて素敵な女性のお医者さんが言うには、

「この病院では確実な判断ができないので
大学病院をご紹介します。」

・・・って、なんだか体の良いたらい回しじゃないか、
と思ってしまいました。

「悪いもの」って・・・
なんかやな予感。


●大学病院に転院

数日後、紹介された大学病院の皮膚科に行きました。
またもや若くてきれいなお医者さんでした。

ところが、


「6月1日に取った組織をさらに分析しないとわからないので、
改めてきてください。」


と言われました。
また引き延ばしかよ、をいをい・・・ガーン


●そして、がんを告知される

日を改めて病院に行くと、

「乳がんです。ステージ1です。
正確には、右副乳がんです。」

なんかこれを聞くまで日にちがあいていたこともあり、
なんだかそんな気がしてたので、
特に驚くことはありませんでした。
意外と冷静な自分がいましたね。真顔
簡単に受け入れました。

男性の乳がんは、そもそも珍しいらしいのですが、
僕はその中でも「副乳がん」という更に珍しい部類。
僕は、これは

「ジャンボ宝くじとミニジャンボで、同時に1等を当てたようなもの」

と表現しているんですが、そのぐらいこの病気にかかった人は珍しいんじゃないかと思います。


●副乳って何?

副乳というのは、普通の乳ではありません。

例えば、犬とかでは、乳首が全部で8つぐらいついてますよね?
人間の乳首は2このように見えるけど、実はそうじゃないとお医者さんが言ってました。
人間にも、犬のように3個以上の乳首が、実はあるんだそうです。

だけど、人間のそれは退化してるため、普通は見えない。
つまりこの、一般的な2個の乳首以外の、
普段は見えない3個目以降の乳首を「副乳」というんだそうです。

副乳は、脇の下から始まって、おなかのほうまで並んでいるそうです。
まさに犬のよう。
僕はそのうちの、右の脇の下の副乳に、がんができたんだそうです。


●家族に知らせるべきか否か考えた

問題は、これを家族に知らせるべきかと。
言うならいつ言えば良いんだろうか。

ただ、僕はオープンな性格なので、隠したくなかったんですね。
むしろ、知っててもらったほうが家族のためにも良いんじゃないかと思うタイプでした。

たとえば、大事な家族が亡くなるとき、
交通事故で突然亡くなるのと、
病気で亡くなるの、
家族はどっちがショックが大きいんだろうと考えました。

病気の場合は、やはり心のどこかで覚悟をしているはずで、
その分、亡くなったときのショックは、
交通事故でいきなりいなくなってしまうよりは少ないんじゃないかと考えました。

朝ご飯を食べて元気に家を出たのに、
その後突然事故で帰らぬ人となったというのは、
そのショックは計り知れないなと。

そうであるならば、早いとこ知らせといたほうが、
そのぶん、覚悟してもらえるんじゃないか
と。

これが僕の考え方でした。

ステージ1ですから、生存率がまだ高いので、そんなこと考える必要は無いのかもしれない。
だけど、その後もし転移とかしてステージが上がったとしたら。

それを考えると、やっぱり今のうちに教えといた方が良いなと。
僕はそう考えたのです。
だから、結局すぐに話しました。

僕は家族と離れて住んでいるので、
僕ががんであることを家族に話したあと、
父や母がどういう思いでいたのかはわかりません。
ただ、話をしたときは意外と冷静に聞いてくれました。

兄に話したとき、兄は結構優しい人なので、
電話の向こうで絶句していました。
(自分で言うつもりだったので)義理の姉にはまだ言わないでと
頼んだんだけど、兄貴の態度で義姉はすぐ察してしまったんだそうです。

ところが・・・


●そんなこと本人に言うなよと言う話

しばらくして僕は、とんでもない話を、
父から聞いてしまいました。

僕がガンになったと聞いたあと、
母が父に言ったそうです。

「変な子を産んでごめんね。」

いやー、ショックでした。ガーン

がん告知より、こっちの方がはるかにショックだよ。チーン

いや、母がそう思うのは自由だし、
それは父に対するいいわけであって、本心じゃないかもしれないです。

この話、さすがに母は僕には言わないでと言ったらしいです。
でも父は僕にそれをさっさと話しちゃったのです。

言わなきゃ良いものをムキー

こんなこと、本人が聞いたらなんて思うのかわからないのかと、
母ではなく、父に対して怒りを覚えました。

父は普段は
「悪いことはできるだけ隠しておけ。
良いことは早く伝えろ」
と言っている人でした。
をいをい、悪い話を隠さずさっさと僕に教えといて、
全然逆じゃないか、そりゃーねーよムキーと思いましたね~。

うちの場合、告知直後はこのような感じでした。
家族ドラマのような優しい展開にはならなかったわけです。

現実はなかなか厳しい。

いまはもう、このことは考えないようにしてるし、
母にも父にもわだかまりはないけど、
やっぱ、そんなことわざわざ教えて欲しくはなかったですね~。
父はいったい何を考えてんだか。

***
 

これが、僕の乳がんの闘病生活の、始まりの話です。
そしてここからまた、いろいろなことが起きていきます。

それはまた、次の機会にお話しします。

 

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。