二十五年間走り続けたということは、二十五年間、走ることを止めなかったということだから、それは、それで価値があるのかもしれない。長い道のりも振り返ると、あっという間だったということはよくあることで、今回もそれに近い。100キロという道のりを九回完遂して、この一回を完遂できれば、合わせて十回になる。一年に一回しか加算されないから、これだけで十年の歳月が必要だった。
初めて参加した時から三回は100キロを走った。それからもろもろの事情で60キロを走りながら、次につなぎ続けた。もう一度100キロに挑戦しようと思ったのが、九年ほど前だろうか。そこから、自然災害などの影響で100キロを走れるチャンスがない年もあった。そんなこんなで、この地を二十五年間走り続けてきた。
100キロを十回完遂できると、「タイタン」の称号が得られる。遠くから見てきたタイタンは、憧れの対象だった。一回、一回の完遂を重ねるたびに、その憧れが、だんだんとこちらに近づいてくる。山は、遠くにあると良く見えるのに、近くにあるとその全容を見失う。この走りを完遂させれば、いよいよタイタンがここにやってくるのだが、ただ、近づけば近づくほどに実感は湧かない。感じとしては、今までのように、今走っているこの走りをいかに完遂させるか。そればかりが脳裏をよぎる。
最大の山場は過ぎたが、最後まで楽はできない。登ったり、下りたりを何度も繰り返していく。右手には大海原がどこまでも広がっている。良い景色だなぁと味わえるのは、束の間。次の瞬間には、しんどい、しんどい、しんどいと頭の中がいっぱいになる。短いスパンでエイドステーションが用意されている。最後の苦しいときには、本当にありがたい。次のエイドまで、次のエイドまでと、それを楽しみに気を紛らせ走り続ける。なんやかんやで最後は、心のやりくりが大事なんだろう。ふとした瞬間に心が負けてしまうと、すぐに歩いてしまう。あえて歩くのと、歩いてしまうのとでは、雲泥の差だ。ここでは、歩いたって、足の痛みがなくなるわけでもない、胃の不快感が消えるわけでもない。走れるならば、できる限りでいいのだから、少しでも走る。
ゴールが近づいてきた。残り1キロは、本当に贅沢な時間だ。沿道からは、「おかえり」という声が聞こえてくる。今回だけは、「タイタンおめでとう」という声もいただけた。帰ってきたんだという実感を、体の深い所で感じる。長いことかかったけども、ようやくこの瞬間を迎えることができるんだなぁと、これも同じ深い所で感じる。この時間を真空パックに詰めこんで、永久保存できないものか。いやいや、そうじゃなくて、これはこの一瞬だから良いのかもしれない。ゴール前の数十メートル。ずっと丹後をともに見続けてきた、友が迎えてくれた。それ以外は、ちゃんと覚えていない。なんだか、あっという間の出来事だった。記憶に焼き付けようと思っていたけども、それこそ、何十年も、この瞬間を迎えることを思い描いてきたけども、それは、あっという間の出来事だった。なんとも言えない、心地の良さだけは感覚として残っている。
「タイタンは、うまくて、おもしろいのかもしれないよ。『すごい』なんて自分ではよう言わんけど。それは、誰かが言ってくれたらうれしいなぁ。」
丹後ウルトラマラソン100キロ、十回完走、タイタン完遂。