うつ病からの回復 その①
私は以前、うつ病と診断され、今は占い師として働かせていただいています。
意外とその経緯を聞かれる事があるので、
お答えできたら嬉しいなと思ってお伝え致します。
主には、引きこもりを抱えておられる娘様を持たれるお母さまから聞かれる事があります。
今回はその前半。
うつになったきっかけ。
次回は後半。
どんなきっかけで好転に向かったのか。
なにをして好転に向かったのか。
長くなりますので、2つに分けさせていただきました。
▮最初に
最初に3つの注意事項があります
1、うつ病は本当にうつ病なのか?
私は病院を転々としましたが、そのたびに診断される病名が変わりました。
診断する人によって変わる病気であれば、「うつ病」とは一体何なのだろう?と疑問を持っています。
ですが、今回は便宜上、ひとまとめに「うつ病」と表現します。
2,本人以外は治せない
うつ病は、薬だけで治るものではなく、心の防衛本能が働いている状態なのだと私は感じています。
だから、「うつ病を何とかしたい!」と思うだけでは、うつから抜け出すことは難しいと感じています。
心というおぼんが傾いているから、鬱を乗せて、バランスを保たざるを得なかった、というイメージです。
ですから、心の状態の根本的な解決が必要です。
後に私がうつから脱却できた方法を紹介しますが、本人以外の人がうつ病の方に無理やり何かを強いることは避けてください。
3,私は鬱を治せる占い師ではありません
私はうつ病を経験した者として、ご本人様や周囲の方々とお話しすることはできますが、それはあくまで個人的な経験に基づくものです。
医療行為を行うことはできませんし、過度に寄り添うこともありません。
10人十色の経験がある中で、私の経験だけですべてを理解することはできないと認識しています。
ただし、実体験からの話を聞きたいという事であれば、お話しすることができます。
皆様が一日も早く、ご自身の人生を歩めるようにお祈りしております。
▮結論
今回のうつ病からの脱却の結論は、次の3つです。
1. 「自分として生きる事を決める」。
2. 1のために「能動的に自分の訴えに関わる」。
3. 「2のタイミングを逃さない」です。
私はうつ病以外の診断名もありましたから、飽くまで私の体験ではこう言えるかな、という事です。
ですが、これを読んでくださる方々の中には、今まさに苦しい状況にある方もいらっしゃるかもしれません。
そんな方に少しでも背中を押せたならば嬉しいです。
▮うつのきっかけ
1,誰もわかってくれないという体験
幼少期、私は耳がとても弱く、お風呂やプールで耳に水が入ると何日も耐えがたい痛みに襲われました。
泣いてもわめいても誰も助けてくれず、夜になると家族は気にせず寝てしまう。
本当は両親はうろうろしてくれていたとは思いますが、そんな印象が強い経験から、私は「誰も自分のことをわかってくれない。
言っても無駄なんだ。」と怒りをためて、押し殺す癖がついてしまいました。
その結果、何事も隠し、表と裏の自分を作り上げてしまいました。
自分の本音を言わず、他人に期待もしないようになり、次第に心が分裂して、自己卑下するようになり、生きる意欲を失っていきました。
2,いじめと暴力と無関心
幼少期から、私は大好きな人から7年ほど暴行を受けていました。
その人からは、「デ●バ●あ●タヒねブ●」と呼ばれ、今でもその映像が脳裏に浮かびます。
私はその人を放っておけない気持ちがあったため、反撃もせず、それを受け入れ、誰かに助けを求めることもしませんでした。
また、親は牧師なのですが、親が居ない教会の集会中に暴行が行われていました。
親が神様を賛美する歌声を聞きながら、家の中で暴力を受けていました。
神様は私の居ないところに居るんだ、知らず知らずそう考えて、自分を追い詰めていました。
学校では、そこまでの酷いいじめはなかったですが、数カ月の入院の後に退院した時、机に花瓶が置いてあったり、落書きがあっても、私が居ないところでランドセルを蹴られたり、クーピーがバキバキに折られていたりもしましたが、私は何も言いませんでした。
また、教会では信徒さんに「大好きだよ、愛しているよ」と言ってくれる人々が居ましたが、私が受けている暴力にもいじめにも気付いていませんでした。
下校中に大人の人に性的な乱暴を受けて帰った時も、信徒さんが「まなちゃんおかえり!」と言って満面の笑みで迎えられた時に、もう大人は信用できない。と、パタンと心を閉ざしてしまいました。
ただ本当の所は、私が私の為には何もしなかったから、私が私自身に失望して、絶望にまで追いやったのですが…。
3,自分を否定していた
私の兄妹は勉強もできて、容姿端麗で、友達もたくさんいました。(その様に見えました)
私は小学校1年生で引っ越し、入院や自宅療養を経験し、読み書き算数の基礎的な学びが抜けてしまいましたので、今でも九九やカタカナ、数字は間違えますし、読み慣れません。
教科書は図書館にある様な本と一緒だと思っていましたから、使い方もわからず、興味も持てず、勉強が苦手になっていきました。
私は頭も肉体も欠損で生まれたんだ。私は私だからだめなんだ。
兄妹の様になりたい。
そうやって、自分ではない誰かになりたくて、他人の真似をしてみたり、明るく振る舞ったりしましたが、心はますますねじれていきました。
▮自分を諦めた代償
1,症状的なもの
小学校低学年の頃、起立性調節障害と診断され、体の痛みやめまいに悩まされました。
薬を飲むことで一時的に症状が改善し、「薬が何とかしてくれるんだ」と感動しました。
中学生になると、眠れないのに拍車がかかり、思考が暴走して、一つの事が考えられませんでした。(今はADHDだと言われています)
手をかきむしっていると思考が収まる事に気付き、そこからリストカットを始めました。
痛みや赤い血を見るとすーっと冷静になり、それが体から魂が抜けたようで、●ぬことってこれ以上の快感があるのかな、と憧れを感じました。高校生になると、息が詰まる感じがし、卒業時にはパニック障害とうつ病と診断されました。
精神科に通い、一日30錠近くの薬を飲みましたが、楽にはならず、過食と拒食、幻覚、幻聴などの症状が現れました。
2,無気力、無価値、罪悪感
幼稚児の頃から、ここは私の家ではない。早く帰りたい!と思っていて、6歳ごろからどうしても生きている事に罪悪感があり、苦しみました。
10才になる前には眠れない日々が続き、脳は休まらず、正常な判断ができなくなりました。生活はどんどん崩れていき、自己嫌悪に陥っていました。
中高生で、どうにかしたいと思って手を伸ばした哲学や占いの知識も、キリスト教では禁じられているという理由から、そんな事に興味がある自分を罪悪感から更に体を傷付けて罰しました。
「まなちゃん、サタンが取り付いているのではない?悪魔祓いをする?」と言われたことがあって、そこから自分が選ぶ事は無価値であり、自分がやりたい事はやってはいけないという無気力、それらをしてしまいたいと思う罪悪感、そんな状態で、罪悪感のサイクルの流砂に飲まれていく事になります。
次回は回復回▶▶▶
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