「知ろう」としないに取り組むをしてます。
10日経過。
1日目は、「これって?」「それって?」
どーゆーことだろ???
の多さに自分でも改めてビックリ。
無意識に、「どういうことだ?」と知ろうとしてるんだなーと。
これって、もしや、
わたしの「世界観」がやはり行動の動機にある?
わたしは「物事は、組み立てからできている」という世界観を持っている、と発掘分析の結果で教えてもらったのですが、「組み立て」構成要素を「知ろう」としてるのではないか?
すぐそれを「知ろう」とか、確認しよ、としてる?
仕組みというのか、メカニズムが、あまねくあって、使いやすい。と思ってる節ある。
使いこなすには、それを知ってしまえばカンタンだ、みたいな。
知ろう→やろう、を、「いかんいかん」と止めるの繰り返しで、「考えない」の時と同じく、やめたらすぐに、またそこから派生した疑問と、知りたいが湧いてくる。
これ、普通だと思ってたヨ。違うのかな。
2日目、時間があればすぐ、知りたいを見つけてしまうので、「時間を浪費する」ことにしてみる。
で、Facebookのタイムライン広告にながれてきたゲームアプリをなんも考えず「これだ」とインストール。
エンタメ情報も仕事の一部なので、そんな興味がないジャンルも、「知ろう」と思えばいくらでも知ることが出てくるわけで。
エンタメでなくても、実はそうなわけで……。
時間が足らないから後回しにしてる、好きでもない娯楽ジャンル、それがゲーム。
現実のがよほど面白いから、ゲームに興味が湧かないくさい。
なのに、小説や映画は好きなのはなんでだ?
とか、また気になるとゆー。
が、自己分析含めて「知ろう」を止める。
ブロック崩し的なのと、パズルゲームと、複合型っぽいのにした。
RPG系だと、またストーリーの世界観とかキャラのことを「知ろう」としだす可能性大。
改めてまた、「本当にそうかな?」「どう感じてくるかな?」と自己分析で知りたくなるが
止める。
「そういや、今って、どんなゲームが人気なんだろ?」
「このゲーム会社って、どこのどんな会社なんだろ?」
など浮かんでは、放置しておくの繰り返し。
自分、ホント、なんの病気か。
3日目過ぎてから、淡々と画面をタップして、目の前のゲームを「ぼんやり」こなす、まさに「時間の浪費」が板についてくる感。
こういうゲームを、わたしにとって「知ろう」のように、純粋に、無意識に、心から「楽しい!」と、熱中する人もいるのだろうか、いるのだろうな。……いるのか? 知りたいな、など、チラッチラッと思ってる
空き時間には、派生疑問や確認の勉強系インプットをしていたので、セミナー動画や読書が今、できない感じ。
以前読んだミステリーや、繰り返し観てる映画をオンデマンドで流して観たりして、
「新しい本でも、知ろうという動機でなく、ただただ読もう、観ようとしてみる」
感覚にシフトを試みる。
1週間ほど過ぎて、ちょっと自信がついてきた気がして
『ミッション・インポッシブル フォールアウト』
を劇場へ観に行く。
ただ、観る。考えずに、観る。分析せずに、観る。
派手なアクション映画にして、正解。
おおむね、成功した気がする!
まだ知的好奇心な分野は、ぽこぽこと「それって?」が湧く。
仕事では、他人へのヒアリング時間が格段に減ってきた。
「なんでそう考えた?」
「どうしてそうしようと思った?」
なにか問題が起きた時(そして現状、後輩くんだけでなく新任者とやたら関わるため、リカバリーしつつ、彼らの軌道修正も担当業務)に、
これらの確認がすごく多いのだな。
軌道修正、と書いたが、別に「軌道修正」と言われてるわけでなく、
「ひとりでミスなくできるようにしてやって」
と指示されており、自分が「ひとり立ち」するためにやってきたことが、大枠の組み立ての理解と、自分で組み立てる、のため、やっぱり「組み立て」確認してるのだろう。
でもこれは、「これしか方法がない」わけじゃないはず?
ということで、なんとなくうっすら「知ろう」系な気もするものの、結果、湧いてくる「知ろう」をしないになるから、ちょっと止めてみることにした。
それでいいのかは、まだわからない。
根本解決でなく、対処指示だけにしてる状況。
対処指示を繰り返していくことで、そこから自力で組み立てを理解してもらうということになる、と思われる。
自分はそうやって「対処指示」を受けて、「なんでその指示なのか?」「なにがいけなかったのか?」とやってきた面もあるから、対処指示だけでもいいんだろう。
対処指示だけして、改善が遅いからどんどんヒアリングが増えた気もするのだが、時間がかかってもホントなら、それが「チカラ」になるということも大きいから、これは本人にとっては悪いことじゃないんじゃないかな、とか。とか。とか。
そっかー。
世間の時間の速度、仕事速度がどんどん速まってて、悠長に「個人の成長速度」に合わせていられなくなってきてる弊害でもあるのかなー。
なんてことを考える。
情報を商品にしている業種ではあるから、ついてこられないのは致命的なのだ、とも再確認。
そんな10日間だったよ。
……これでいいのかわからないんだけど、思ったほど、イライラや困惑はなく、でも、頭の片隅にどんどん付箋の仮貼りが増えてる感じ
「考える」スイッチを切るよりは、その付箋を「またあとで」と黙殺する方がカンタンかも。
付箋の増えるペースは、少しずつでも落ちてる気がする。
ストレスまでは感じてないけど、
「つまんないなー」
と思ってるのは間違いない。
そろそろゲーム以外の、ボーッと過ごす方法も試してみようかな。
ねこチャンネル