最近親しくさせてもらっている同年代の仕事仲間のみんなに、24時間100キロ歩行に参加しないかと声をかけられまして。最初はもちろん躊躇ったんだけれど、締め切られたと思われた参加枠に空きが出来たらしく、そこにばんちゃんどう?と。

まあこれも何かの縁かなと(あとはある種の怖いもの見たさで)、思い切って参加してみることにしたわけです。

 

 

自分としては、せっかく多くの時間を要して参加するんだから、何かを得て帰りたかったし、この際自分ってもんと向き合ってみたいなって思った。日常を普段通りに生活できること以上に幸せなことって多分ないんだけれど、その中では、なかなかこういう機会も持てないかなって思ったから。

 

 

かといって普段から歩いているわけでも走っているわけでもない、何か特別なことをしているわけでもない、週一でジムに通っている程度の、言うなればぺーぺーウォーカー。ベテランウォーカーの方からすれば、こんな投稿など、おこちゃまレベルすぎて鼻で笑われそうだけれど、自分の中では滅多にお目にかかれない経験させてもらったと思っているので、備忘録的な意味も込めて、ちょっとつらつら書いてみることにします。

 

 

スタートは5月3日午前10時。就実大学近くの旭川河川敷から。5月4日午前10時までの24時間以内に岡山県内をぐるっと100キロ歩き切って戻って来ようねっていう、ルールを口で言うのは簡単ではあるものの、歩いてみればもちろん壮絶で、自転車ですら未だかつてこの足を使って移動したことのない距離を、しかも何の練習もなく歩いたのは、かなりの無謀でした(←当たり前)

 

↓ちなみにコースはこんな感じです。↓

 

主なチェックポイント

5/3 10:00 西河原付近・旭川河川敷スタート

●邑久駅南交差点(31.3km)

●備前中学校(44.8km)

●伊里漁協(51.3km)

●閑谷緑地公園(60.2km)

●リバーサイド和気(69.9km)

●磐梨中学校(77.5km)

●セブンイレブン岡山牟佐店(91.8km)

●後楽園河川敷ゴール(100.1km)

 

 

↑スタートゲートにて。意気揚々とスタートしました。

 

↑スタートからしばらくは、百間川の河川敷。地元なので見慣れた景色にほっこり。これがスタートから約15キロほど続きました。

 

↑スタートから約4時間。やっと西大寺に到着。徐々に100キロ歩行の洗礼を浴び始めたところで、マジで救われた我々のサポーターさんによるブレイクタイム。本当にありがとう!

 

↑長かった西大寺までの道のりを歩き切り、新たに長船方面へ向かうべく渡った吉井川。ブレイクのおかげで体力も回復して再スタート。

 

↑体力は大丈夫でもやっぱり足が痛くなってきた。。少しずつ日が暮れて来た長船からの景色。スタートから8時間くらい経過。

 

↑第一難関、山越え。写真では分かりにくいですが、かなりの登り坂。日も沈んで来て、心身ともに一気にダメージが…

 

↑ふぅ。やっと下り。でも下りには下りのキツさがありました。。

 

↑山越えを果たし、スタートから9時間半、44.8キロ地点の備前中学校に到着。炊き出しの鳥飯がマジで染みました。足は痛いままだけど、体力はまあまあ回復。

 

 

↑鳥飯と一緒に付いてたゆで卵。この言葉に奮い立たされ、さあ後半!

 

 

後半は、夜になり真っ暗で気温も0~4度くらいまで冷え込んだ夜道(山道)、足もどんどん痛くなってくるし、体のところどころにガタが来始め、それに加えて周りの参加者の群れが段々とバラけてきて、僕の場合、残り半分を切った50キロくらいからゴールまで、ほとんど人に出くわさないという孤独との闘いでもありました。

(段々写真を撮ったりする余裕も無くなってきました)

 

 

↓やっと撮った写真がこれ。↓

↑もうだいぶしんどく、そして寂しく怖かった、コース最極東の和気閑谷学校を過ぎたところにあるトンネルより。スタートから13時間半、夜11時30分頃。

 

 

ここからさらに第二難関の山越えを経て、和気の長い河川敷を歩き切り、磐梨中学校までヘロヘロになりながら辿り着くことになります。そこで小休憩。朝4時過ぎ。

 

もうひと踏ん張りと、磐梨中学校を出発。朝の4時半。いよいよ残り約20キロ。

↑朝5時頃の朝焼け。前方にも後方にも参加者の姿が見えず、心許ないまま歩きました。

 


備前~和気~赤磐(添付してある地図の右半分と思って頂ければ)にかけては、満天の星空が本当に綺麗で、そこが唯一の癒しでした。夜から朝への移り変わり、星が帰っていくのを実際に感じながら一人で歩いたことは、多分この先忘れないかな。

 

 

朝になり少し気分も変わって、ラストスパート。

最後の難関の山越えをし、もう少しで岡山市というところで、時刻は5/4の朝8時頃。

ここらから急にしんどくなってきました。。

 

↑ゴール出来るか失格かの瀬戸際を彷徨いながらも最終局面。岡山の街が見えて来ました。どうにかこうにか歩いてきて残り5キロ。全てが限界でしたが、ここまで来たらもう意地でした。(このあたりは、僕のすぐ後ろにペースメーカーの人達が迫って来ていました)

 

 

結果的に。

色んな方たちからの応援やサポートがあったおかげで、なんとかギリギリで完歩することが出来ました。ゴールの瞬間は、張っていた気持ちが切れてしまったのか、恥ずかしながら涙が出ました。本当にやり遂げられてよかった。僕の場合ですが、しんどさも達成感も、フルマラソンのときとは少し違いました。

 


↑後日送られてきた完歩証明書。後から気付いたけど、10時よりも前にゴールしなきゃと歩いてたけど、そういえば僕は10時10分スタートだったので、あと10分くらい余裕がありました。笑


 

コースがどうであれ、まあとにかくなんせ24時間ひたすら歩くわけですから、それはもうこちらでは書き表せられないような感情が胸の中で蠢いておりますが、兎にも角にも歩き切れて良かったなというのが1番です。

 

 

この投稿のタイトルじゃないけれど、ほんと、ただで転んでなるものか。そういう部分が自分の中にまだ残ってたのが分かって、ちょっと安心しました。そして大前提として、この完歩は、間違いなく一人では果たせなかったということ。多分一人での参加だったらとっくにリタイヤしていたと思います。改めて、サポーターの皆さん、見守ってくれた仲間、送り出してくれた家族、近くから遠くから、応援して下さった皆さんに心から感謝ですね。

 


マジで100キロっていうと超絶極端ですが(笑)、日ごろから散歩がてら、色んな事を考えながら少し歩いてみるってのもいいなと思いました。


晴れの国おかやま24時間100キロ歩行、来年も開催予定だそうです。体力、足の強さに自信のある方、興味ある方は是非参加してみてはいかがでしょうか!


ちなみに僕はとりあえず来年の参加は見送りたいと思います(笑)


 

追記:

完歩してからの数日間は、達成感や充実感、優越感とかに(自分一人だけで笑)どっぷり浸らせてもらったんですが、時間が経つにつれて、そんな達成感なんかよりも、1週間くらい経っても尚まともに歩けないほど、足に残ってしまった色んな痛み、全身炎症(?)による数日間の発熱、免疫力の低下からか10数年ぶりに発疹した口唇ヘルペス2個。あとは、家にいても全く動けないし、迷惑ばかりかけてしまった家族への申し訳なさ(笑)…等々。

歩き終えてからの様々な後遺症が、さらに別の意味でキツかったです(笑)

 

※これを書いている5/21現在、やっっっと、まともに歩けるようになってきましたが、まだ少し膝と踵の違和感が残ってます。治るんかなこれ。汗

 

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正直100キロ歩く理由なんてどこにもなかったし、直感的に、完歩出来ようが出来まいが、絶対得るものはあって、後悔なんかしないだろうし、0を下回る事はないかなと。

これって自己満足以外のなにものでもないし、周りには色々心配と迷惑をかけたけれど、歩いてみてよかったなと思っています。

 


自分がどう思うか。自分でどうするか、どうしていくか。

このご時世の中なおさら、本質的にまずはその部分が一番大切な気がしますね。実は自分が期待している答えとか結果って、字の如く後から付いてきたり、時に付けていけたりするもので、最初のうちはそこまで意識しなきゃいけないほど重要なものではないのかもしれません。



なかなか難しい事ではあるけれど、まずは自分を見失わないように。流されることなく、自分で見つけた自分を。今後のいい教訓になりました。

 

 

今回はちょっと長くなっちゃいました。

最後まで読んでくれてありがとう。


こちらでも、ちゃんとライブ告知とかします。笑

 

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

お正月、ゆっくり出来ましたか?

 

僕はお陰様で超ゆっくりさせてもらい、去年、苦労の末に落とした体重も、まんまと2kgリバウンド。まぁ仕方ない時期よなあと言い聞かせて、引き続きばくばく食ってしまっています。←

 

2021年、振り返ればキリがありませんが、相変わらずのコロナ禍の中での生活ではあったもの、一時的にだけれど、少し兆しのようなものも見えた感じもあったりで、音楽的には皆さんのおかげで充実した一年だったかなと思っています。

めっちゃ今更だけど。

 

この状況下だったこともあって、ライブハウスよりも野外イベントの方が多かった分、初心に帰ることも出来た気がしてます。今年も可能な範囲で歌えたらと思っています。

 

こう振り返っているうちに、先日今年初ライブを、愛する倉敷クッキージャーで終えてきました。いかんせん、とにかくマイペースというか、面倒くさがりというか。こうやって更新の機を逃すわけですが。笑

 

 

共演させてもらったアーティストの皆さん、本当にいい歌を歌われていて、素敵な歌にたくさん出会えて、僕自身、とても幸先の良いスタートでした。目を覚まさせてもらった感じです。

 

まだまだたくさんの良い歌が、この世の中にはあるんだ。

出来たらその歌たちが、今のようなご時世に大きく響き渡ってほしいよなと、心の底から強く思いました。

 

 

さらに出来れば、自分もそうでありたい。今よりももっともっといい歌を歌いたい。

色んな経験をして、色んな景色を見て、色んな感情に出会わなければ。そして、とにかく曲書かなくちゃ。目下の課題であります。そちらもちゃんとやっていかねば。

 

 

何やらまたオミクロン株が猛威を奮っていて、今後もどうなるか分からない状況。お互いに健康に日々を過ごせますように。また元気に会おうね。

 

 

というわけで、今年もどうぞよろしくお願い致します!

めっちゃ今更だけど。

 

 

 

久しぶりに集まって、飲みたいだけ飲んで、喋りたいだけ喋った。写真はよくある、店を出てのタムロってやつです。僕がその時に撮ったもの、らしい。←

みんなを撮ろうとしたつもりのものが、これ。


酔っ払ってると何故こうも写真すらまともに撮れんもんか。面白いもんでね。笑


これはこれで愛おしい瞬間で、紛れもなく僕の出逢った瞬間です。とにかく楽しかったなあ。


しっかりしようというより、まあ周りに迷惑をかけない程度に、こういう自分でいたいなと思う。


いい瞬間に出会える、そこに選ばれる自分でいたいですね。そして自分も誰かにそれを与えたり、頂いたものを返すことの出来る人間であれたらなと思う。

気を引き締めつつ、ある程度バカでもありつつ。笑


自分の中の瞬間的な感性を大切に。

そして周りの人への感謝も忘れずに。また頑張るべ。




p.s.
帰ってから、ぶっ倒れるように寝ました。

夏の雲が好きです。

なんかダイナミックで、壮大で、自由で。それでいてミステリアスで。

これからこの世界に、何を起こす気なんだろうっていう、不気味な予感すら感じさせるような。

この時期の雲を、ついつい。今年の夏はこんな感じで。

 

 

出来れば自分も常にイメージはこんな感じで。

なんかこう、もっとこんな風であるべきなんじゃないか、というか。本来、人もこうなんちゃうの?って思うんですけどね。

 

試行錯誤しながら、時に失敗しながらでも、まだまだ進化していきたいと決意を新たにした(つもりの)、2021年、夏。

残暑お見舞い申し上げます。

お久しぶりです。みなさん変わりないですか?

 

 

なんかふと、長いこと自宅のノートPCをいじってないなと思いつき、キーボードをしったげにカチャカチャしたくなったので書いてみています←。

ワクチンはまだ一回も打っていませんが、おかげさまで僕は元気に過ごしています。←

 

 

何においても、やっぱコロナですね。この話題にも少し疲れてきましたが…やっぱり。感染拡大がなかなか収まる気配がなく。ついにはまた緊急事態宣言が発令されてしまいました。もう何回目だっけ?確かに今回ばかりは仕方ないのかなって思うけれど、何回繰り返すねん、ってやっぱり思ったりもして。

 

 

ワクチン供給不足につき、僕に至っては、ワクチンの予約の順番すら回ってきていませんでしたが、今日やっと予約が出来ました。

そんな状況ながら、ワクチンパスポートの検討とか、いやいやまずはみんなが一通り打つことが出来てからの話しを先にされても、打ってない人は自業自得と言わんばかりの、まるで脅しのようなやり方(あり方)に、かなり辟易としています。

 

おそらく皆さんが抱いてらっしゃるものと同様、日本のコロナに対する体制やスピード感なども含めて、僕も悶々と不満を抱えながら、それをなかなか発散することが出来ていない国民の一人です。

すいません、いきなり愚痴っちゃいました。

 

 

とはいっても。

自分のライブに関しては、宣伝も、そしてそのレポもここには書いていない、相変わらずの体たらくぶりですが、7月には無事に福山でのワンマンライブもたくさんの方に支えられながら終えることが出来て、このご時世においてもまだ音楽が出来ることのありがたみと、人の温かさを感じられている。

こんなしょうもない記事を、ほろ酔いで打ち込めている自分は多分幸せ者なんだと思います。

 

 

そしてこの限られた時間とテリトリーの中で、素敵で不思議なご縁を頂いたりとかして。思わぬところでのつながり、そしてそれを繋げてくれる人たちに恵まれ、こう言う表現をしてしまうと語弊があるかもしれませんが、割と充実しているのではないかと思っています。本当にありがたいことです。

 

 

さあそしてそんな中、とても素敵なイベントに呼んで頂きました。

是非チェケラ願いたいです。

 

 

2021年10月3日(日)西大寺観音院で開催される、おかやま国際音楽祭2021のオープニングアクトを仰せつかりました。メインアクトはあの夏川りみさん!素敵な共演者の方々と一緒に盛り上げられたらと思っています。

 

このご時世だからこそ、伝えられるものがきっとあるはず。このイベントが無事に開催されることを切に願いながら、皆さんのご来場をお待ちしてます。ご検討よろしくね。

 

そして、まだお伝えできていないライブの情報も何本かあります。そちらも是非ご検討いただきたいイベントなので、またお伝えできればと思っています。引き続き、チェックしてやってね。

 

 

ちょっと、今が踏ん張り時な感じしますよね。と、そうずっと言ってるけど。お互いに、今まで以上に気を付けながら、元気に過ごしていきましょう。まずは元気に毎日を過ごせること、これに越したことはないよね。

 

 

またカチャカチャしたくなったら書こうと思います。笑

とにかくお互い、元気でいようね!

 

 

最近、観葉植物のお世話をしています。あれ、難しくないですか?

 

以前、いただいた胡蝶蘭の世話役を仰せつかったのですが、見事に全て枯らしてしまいました。間違いなく僕に全責任があります。今のところ、観葉植物は大丈夫なようですが、そういった前科があるので、少し不安です。

 

水が足りなかったのか、それともあげすぎたのか。日の光が足りなかったのか、それとも当てすぎたのか。置く場所が悪かったのか。その花の特性を把握しきれていなかったわけですが、何がダメだったんだろう。

 

 

それって、人にも同じことが言えるなとふと思いました。

子どもにしても、部下や後輩にしても、教育と大きな括りで見て、絶対その人その人で性格も考え方も違うんだから、水のやり方が違ってくるはずなんですよね。間違っても全部を一緒くたにしちゃって、こちらは間違っていない、って決め付けないこと。こちらが相手を分かってあげようとしなきゃいけないのだけれど。

 

それでも世に目を向ければ、中には、水もあげないし、食事もあげない親がいます。水をあげるじゃなくて、手をあげる(暴力を振るう)人がいます。間違っているにも関わらず、そんな自分を棚にあげます。自分を棚に上げちゃったら、なかなか下ろせないんですよね。

やっぱりそんなんで花が咲かせられないですよね。間違いだらけの僕が言えた事じゃないけれど、明らかにそれは間違っています。あれってほんと、一体どういう神経してるんだろう。その類いのニュースを見ては、いつも勝手に腹を立てています。

 

いやでもまあ何にしても、育てるって本当に難しいことですよ。それはとってもよく分かります。でも花を咲かせられなかったのも、その花に気付かなかったのも、残念ながら枯らしてしまったのも、全部水やりをしていた大人のせいです。外部からの要因がなければね。大人が大人らしく、どうにか責務を全うしてみせたいところです。



そんな中、先日息子が6歳になりました。

 

怖いからと僕と一緒じゃなければ寝れなかったのに、いつのまにか夜一人で寝れるようになったし、最初は怖くて嫌がっていた自転車も、今ではむしろ危ないくらいスイスイ乗れるようになった。覚束なかったお箸の使い方も少しずつ上手になってきた。今ではポケモンのモンスターを驚くべきスピードで覚えていっています。

そして、ある程度覚悟はしていたけれど、おしりとかうんちとかちんちんとか、可愛い下ネタにゲラゲラ笑うようになった。自分がそうだったように、やっぱりなってしまった。笑 

 

子ども特有の野菜嫌いとかも、もれなくうちの子にもあるのだけれど、「6さいになったらたべる~」と逃げてきたのに、誕生日を迎えるあたりから自覚が出てきたのか、割と律義に、今までのツケを返済し続けている。あ、でもピーマンはまだやっぱりラスボスみたいです。

 

「6さいになったら~」と言えば、目の前の野菜や、子どもにはまだ理解しがたい躾・マナー、ちょっと面倒な物事から逃げられる魔法の言葉が封印された今となっては、逆にすっかり図に乗り「もう6さいだもんね~」と言っている。マジこの野郎。笑

でもほんと、成長が著しく早い。こっちが、羨ましいと凹むほどです。少しずつでも確実に、お兄ちゃんになっていっています。僕らに希望と、少しの切なさと寂しさを残しながら。

 

ということは自分が親になってからも6年。パパママ6歳。そう考えたら俺らもまだまだ全然ひよっこだなあとか笑いつつ、息子は間違いなく6歳だけれど、はたして僕は本当にパパとして6歳になれているのかなとたまに不安に感じてしまう時もあったりして。ちゃんと水やり出来ているのだろうか。

 

まだまだ分からないことも多く、実は6歳にすらなれてないんじゃないかと思う時もあるのだけれど、でもそういう感覚ってきっと僕だけじゃなく、世の中のパパさんママさんが感じられていることなのかなという気もするし、それを決めるのって多分僕自身じゃないんだろうから。

 

未熟者の僕が偉そうに言えませんが、僕らは僕らで、ありがたい事に6年もの間、キレイに咲いてくれたこの花を枯らすわけにはいかないのよね。これはもう世の中のほとんどのパパさんママさんが、お子さんに対して思っていることでしょう。(お互い頑張りましょうね!)


こんな僕でも親にしてもらって、また一つ僕らの人生を彩ってもらった事に、只々感謝しかなく、とにかく彼が元気に大きくなってくれるよう、父ちゃんも頑張らんとなと身を引き締めておるところです。

 

 

2021年の春、こんなことを思ったので、忘れてしまわないようにと思ったんだけど、めちゃ長々と書いてしまいました。すいません。今回は完全に自己満足投稿です。



頑張っても大人の小指を掴むのが精一杯な小さな手。そこがまた可愛い。


七五三のときに書いた、名前は頑張って漢字で書けているのに、「ともだち」の「と」が逆になり「うもだち」みたいになった絵馬には家族みんな笑いました。

 

 


 

 

p.s.

3月末、そんな育ち盛りのわんぱくボウズをつれて、一年ぶりにじいじばあばへ会いに行きました。コロナの影響でこんなに期間が空いてしまったのだけれど、その帰省中に立ち寄ったパーキングエリアで咲いていた桜を撮りました。

 

その日はとにかく空が澄んでいて。桜は満開ではなかったんだけれど、今年の春に僕が見た桜の中で、この時の桜が一番綺麗だった気がします。最後に載せている写真がそれです。

 

桜がキレイかどうかのカギって、完全に空の色だと思うんですよね。

桜自体がキレイなのは間違いないんだけど、やっぱり空が曇っていると桜の美しさがグレーに混じってしまって全く映えない。毎年春が来る度にそう思うんです。

 

桜を子どもに例えるとするなら、空は大人かな。

 

未来も確かに大事だけれど、子どもには、今を元気に美しく。瞬間、瞬間を美しく、咲き誇ってほしいと思うし、出来れば大人達が、そんな子供たちがより美しく映るように、透き通った青い空を広げて、見守ってあげられたらいいなあ。