慶應義塾大OBの34歳三代目JSBメンバーが、NHK番組で母校を訪ねた“意外なワケ” | Your Smile️‍

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慶應義塾大OBの34歳三代目JSBメンバーが、NHK番組で母校を訪ねた“意外なワケ”


三代目 J SOUL BROTHERS(以下、三代目JSB)のパフォーマー岩田剛典が、ひとりのOBとして慶應義塾大学の校舎を訪ねる。

NHK BSで2024年2月15日に放送された特別番組『岩田剛典が見つめた戦争』で、第2代の塾長にして戦中を生きた小泉信三の足跡を追うため。タイトルの通り、岩田は何を見つめたのか? イケメン俳優の探求をライフワークとする“イケメンサーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、“岩田剛典フィルター”を通して見えてくるものを考える。

“岩田剛典フィルター”を通して見えてくるもの


 岩田剛典が見つめた戦争……。これ以上のタイトルはなかったと思う。このタイトルひとつで過去の圧倒的な出来事が透視(あるいは、幻視)できるんじゃないか。そう思わせる。 実際、番組冒頭で岩田は「自分っていうフィルターを通して」と言う。この“岩田剛典フィルター”を通すことで初めて見えてくるものがある。もちろん彼も戦争を知らない世代。その上で戦争を見つめる案内役、その導き手として、この令和の時代に誰が相応しいのか。


NHKのキャスティングは英断と言わざるを得ない。岩田が見つめる戦争をぼくらも一緒になって見つめたことになる。番組を見た以前以後では、どれくらい認識が違ってくるだろう?

塾生時代の岩田剛典とは


番組では、太平洋戦争中の慶應義塾大学で塾長としての重責を全うした小泉信三の苦悩が語られる。慶応大OBである岩田がその足跡をたどるという構成。そうか、ひとまず岩ちゃんが慶應出身である事実確認から。 1989年。平成元年生まれの岩田は、まず中学受験を経て慶應義塾普通部(中学校)、高等部に通い、慶應義塾大学に入学したのは2007年。小泉が塾長に就任したのが、満州事変後の1933年だから、70年以上の時を経ている。番組インタビューでは、小泉の名は聞いたことがあるくらいだったと前提を整理している。 塾生・岩田剛典が打ち込んだのはダンスだった。ダンスサークル「Dancing Crew JADE」に所属し、部長(第22代)にまでなった。ミスターコンテストへの出場経験もある。就活では有名企業の内定があったにも関わらず、後の三代目JSBのリーダーNAOKIの熱心な誘いで、メンバー選抜合宿に身を投じた。

今、この時代に出演した意義深さ

この身を投じるという感覚が大切だ。どれくらい大きな夢を抱いても、あるチャンスに対してそれをチャンスと思えなければ夢は絶対につかめない。それは、怖いし、勇気もいる。 だけれども岩田は、「今だ!」とばかりに後先関係なく飛び込んだ。内定は蹴ったけれど、自分が思う夢をつかんだ。ダンスサークルに心血を注いだ塾生時代にしろ、三代目JSBのパフォーマーから俳優、ソロアーティストの立場としても同じこと。 今を全力で生き、今をつかむ才能に優れた人。それが岩田剛典じゃないかと筆者は強く思う。だから今、この時代に戦争について考えるために、岩田が意気込んで番組に出演したことの意義深さがある。

感情を抑える固い覚悟

戦禍を紐解く足がかりとなるのは、小泉が戦中に書き記した日記。岩田が文面に注ぐ視線からは、そう簡単に手を触れてはいけないといった配慮と敬意を感じる。塾長として塾生だけではなく、断腸の思いで息子を戦地に送り出さなければならなかった。 息子が戦死してもなお、残された家族を勇気づけようとする家庭人としての小泉の人物像も、岩田のナレーションによって浮き彫りになる。関係者の家族の自宅を訪れ、アルバムの一枚一枚に静かな視線を落とす。 戦争体験者であり、慶應大卒の祖父を持つ岩田は何を思ったのか。でも決して感情は見せない。心の中では涙をにじませる瞬間もあるかもしれない。それを流すまい。あえて感情を抑えることで、戦争と今向き合うことのリアルと岩田の固い覚悟が伝わる。 

デビューから14年目の今 


では、その視線の先で彼は何を見たのか。あるいは、何を見つめたのか。小泉の日記や関係者のアルバムを見つめた岩田は、短く端的な感想にとどめる。その代わり、「うん」とか「はい」といった岩田特有のつなぎのフレーズで余韻をうむ。 番組ラストのインタビューで全体を振り返る岩田は、コメントの合間、画面上手に向けて視線を滑らせる。この岩田剛典的な仕草のクセによって伝わる真実味がある。

視線を動かし、何か思いをめぐらし、再び画面中央に視線を戻す。このわずかだけれど、確かな動きを見て筆者は思った。これは例えば、イスラエル国籍のパレスチナ人監督エリア・スレイマンが、『天国にちがいない』(2020年)で自演することでしかパレスチナ問題を描けないと思ったことと同様。 看過できないことが現実に起きているのを公人として伝える責任がある。祖父、父と続く慶応ボーイ岩田家という個人単位からも、小泉が塾長を勤めた14年間に思いを馳せる。 三代目JSBがデビューシングル「Best Friends’Girl」をリリースしたのが、2010年。自分もまたデビューから14年目の今だから考え、伝えられることがあるはず。岩田剛典フィルターを通して見つめる現実をぼくらがもっと考えなければ。