2005年3月、オレは大学を卒業して「学生」という肩書を失い、めでたく「無職」の烙印を肩に押された。
当時、オレは詩人になりたかった。
でも詩はおろか文すら一行も書かなかった。
代わりに酒を飲んだ。
ジミー・ペイジに憧れてドラッグをヤッてギターを弾かない奴らと同じように。
その頃のオレは毎日昼過ぎまで寝て、
起きて風呂に入りながら煙草を吸って、
風呂を出てからハリウッドの古い映画を観ながら酒を飲み、
ガールフレンドが仕事から帰ってくるのを待ちながら料理をして、
その合間に酒を飲み、
レッド ツェッペリンのレコードを聴きながら彼女が帰ってくるのを酒を飲みながら待って、
彼女と晩酌して、適当なタイミングで彼女とベッドに入って眠るというシンプル且つニートな毎日を送っていた。
金がなかったので家からは極力出ないようにしていた。
とはいえ、偶には外に出なければならない事もあった。
クラシック映画のDVDを借りに行ったり返しに行ったり、
図書館に行ったり、
中古のレコードを買いに行ったり、
飲み代を稼ぐ為に日雇いのバイトに出かけたり、
何人かの数少ない友人に会う為だったり、
オレは月に何度か外出した。
それ以外は大体部屋で酒を飲んでゴロゴロして過ごした。
部屋は彼女が借りていた
オレは一銭も家賃を払っていなかった。
その事で週に50回くらい彼女と喧嘩した。
ある日、彼女は帰ってくるといきなりオレに向かって金切り声を上げた。
「あんたは自分が詩人のつもりかもしれないけど、一篇の詩だって書けないじゃない!
詩を書かないなら働いて家賃を払うかここから出て行くかどちらか選びなさいよ!!」
オレはそれには答えず、ビールを飲みながら『白痴』を読んでいた。
ムイシュキン公爵の美しい心がオレの奥底の温かい何かを強くノックしていた。
突然、右の側頭部に鈍い衝撃と痛みが走ってオレは椅子から転げ落ちた。
彼女が放った右フックで吹っ飛ばされたのだ。
オレはゆっくり立ち上がり、彼女目を合わせずに無言でキッチンに行き、
その日の晩飯であるサーモンのバター焼きとミックスビーンズのサラダ、
冷蔵庫から冷えたビールを持ってリビングに戻った。
オレがそれらをテーブルに並べると彼女は無言で食べた。
目にはうっすら涙が浮かんでいた。
オレはレコードをかけた。
ロバート・ワイアットの『Old Rottenhat』だ。
どこか悲しくて、でも優しい音だった。
それからテーブルに戻って彼女と並んで腰掛け、
ビールを飲んで本の続きを読んだ。
暫くすると眠くなったので彼女と一緒にベッドに潜った。
彼女はオレを抱きしめて頭を優しく撫でてくれた。
オレも彼女の長い髪を指でなぞった。
彼女の体はとても暖かくて心地良かった。
ほとんど鳴らない携帯電話には月に2、3回着信のベルが鳴った。
間違い電話か友達からだった。
数少ない貴重な友人達は全員働いていた。
彼等は日々忙しく動き回る。
そしてある日ぽっかり用事がなくなると
いつでも暇なオレを思い出す。
そして電話をかける。
オレは大体、誘いに応じた。
なぜなら酒を奢ってくれるからだ。
タダ酒ほど美味いものはない。
友人達はいつでも自分の話をしたがった。
大抵は仕事の話だ。
これだけ大きな金を動かしただの、
これだけ大きな事をやっただの、
上司がクソだの、
一緒に働いてる女の子がキュートだの、
まあそんな話だ。
オレはぼんやり話を聞いて相槌を打ち、酒を飲んだ。
偶に彼らは思い出したように
「最近どうだい?」
とオレに聞く。
オレは「ぼちぼちだね。」と答える。
彼らは満足そうに頷く。
そしてまた自分の話をし始める。
これだけ大きな金を動かしただの、
これだけ大きな事をやっただの、
上司がクソだの、
一緒に働いてる女の子がキュートだの、
まあそんな話。
オレはぼんやり話を聞いて相槌を打ち、酒を飲む。
金がなくなるとオレはバイトをした。
仕方なく。
大体、単純で頭を使わない日雇いの仕事だ。
何かのイベントの設営、
何かのイベントの運営、
何かのイベントの撤去、
世の中では年中イベントをやっているもんだと
バイトをする度にオレは感心した。
バイトは結構いい稼ぎになった。
オレは毎回その金で
酒屋で安いウイスキー2本とビールか煙草半ダースを、
中古レコードショップで古いロックバンドのレコードを、
スーパーで沢山の食材を買った。
バイトした日の食卓は豪勢で
その日はガールフレンドもオレに何も言わずニコニコしていた。
まあ、次の日はいつものように怒鳴られたり殴られたりするんだけれど。
図書館はいつ行っても静かで黴臭い本の匂いがした。
活字離れで誰もいないと思いきやいつ行ってもそれなりに混んでいる。
何回も行くと常連が分かるようになったが話かける事も話しかけられる事もなかった。
オレはその頃(今でもそうだが)古臭い本ばかり読んでいた。
19世紀のフランス文学とか詩集、ロシア文学をよく読んだ。
俗にいう名著というヤツだがどの本も最近借りられた形跡はなかった。
きっとみんな本を読む暇もないくらい忙しいのだろう。
オレは暇だから片っ端から読んでいった。
それを読んでも別に頭がよくなる訳でも創作意欲が湧く訳でもなかった。
只暇だったから読んだ。
そして本は誰にも読まれなくて暇だったからオレに読まれた。
オレは観る映画も古かった。
別に理由はないけれど、新しい映画は観る気になれなかった。
オレにはデニーロよりボガートの方がクールだったし
グラントならHよりもKの方が親近感を覚えたし、
N・キッドマンよりC・ヘップバーンの方がオレの目には美しく映った。
だからフォードやホークス、ルビッチにキューカー、
それからラングなんかを観て過ごした。
どの映画の俳優も生き生きして美しく、
ストーリーには毎回ドキドキした。
一度なんかのめり込み過ぎて銜えていた煙草を忘れて唇の端を火傷したくらいだ。
フィルムのモノクロ映像はデジタルのカラー映像より鮮明でカラフルだ。
信じられないなら一度観てみればいい。
現代のハリウッド映画がいかにクソか分かるはずだ。
そんなオレも今では働いている。
決まった時間に仕事へ行き残業までしてヘトヘトに疲れて帰って眠る。
帰って飲むのは缶ビール一本だけだ。
猫とガールフレンドも養っている。
規則正しいライフスタイル。
人間は変われるもんだ。
オレは詩人になりたかったんだ。