原田ひ香ならではのオリジナリティが高い作品で、忘れた頃に読み返すと最初に読んだときの衝撃が蘇る。10数年前の作品だけど全く古びてないし、読みながら映像が浮かぶようでもあり、多彩な刺激がある。巧みなストーリー展開、犯罪の匂いなど、原田ひ香のエッセンスが全て詰まっている。

 

主人公の広美はいろんな土地のいろんな父子家庭を渡り歩いてきた。

母親のいない家庭にするりと入り込み、献身的に幼い子供の世話をする。擬似母親を務め、時には父親の相手もして、時期が来るとふらりといなくなり、またどこかの家で子供の世話をする。神奈川出身だが、北海道や東北、山陰、中部地方といろいろな場所に現れる。

だから「母親ウエスタン」だ。ふらっとやって来た流れ者が、荒くれどもから町を救い、見返りを求めるでもなく去っていく。そんな西部劇ならではの設定にさすらいの擬似母親を続ける広美を重ね、秀逸なアイディアとタイトルだと思う。


広美は母のいない幼い子がいると聞くと、思わぬ周到さや強引さで父親に近づいて、その家に入り込んでいく。子供の相手、食事の世話、入浴、寝かしつけをして、見返りも求めない。意図が分からず最初は戸惑う父親も、ありがたいことではあるから受け入れてしまう。

だが広美がその家庭に居着くことはない。父親と男女の関係になるのも便宜的で子供の世話をするため。時機が来るとふらりといなくなる。プロポーズされても「おそれいりましてございます」という広美独特の不思議なフレーズで頭を下げて流してしまう。

 

広美はぼんやりしているように見えて意志は強く、掴み所がないキャラクター。母のいない子供の話を聞きつけ、チャンスを作り家に入り込もうとする広美の執念には何があるのだろうか。あっさり出て行くのも不思議だ。

 

 

 

物語は入れ子構造で、大学生カップルのストーリーと広美の擬似母親が交互に語られる。どうしてこのカップルの話??とも思うが、急にバイトを増やし授業にも出ない彼氏の祐理に不信感を抱き、大学生のあおいが彼を尾行してスナックにたどり着くことから、物語が不穏味を増しておもしろくなる。

 

あおいは1学年上で教師志望の祐理が大好きで、親にも紹介済。だが最近忙しそうでその理由も教えてもらえず、他に誰かいるのかと行動を起こす。スナックは外から中が見えず、店でのアルバイト志望と偽り店内に入る。

あおいは東京の自宅住みで、幼少時の親の海外赴任、家族で海外旅行を複数経験と、かなり恵まれた育ちだがその自覚はない。アルバイト応募が冷やかしであると見透かされ、お嬢さん育ちの人が働ける場所ではないと断られる。人生の経験値が違うママからは、腹の据わった底知れぬ凄みのようなものも感じられる。

 

あおいが逃げるように去る時、応募のお礼と共に「おそれいりましてございます」と頭を下げることで、このママが広美だと分かる。つまりあおいと祐理のパートは広美の現在で、各章でいろんな家庭に入り込む広美は過去ということだ。

 

あおいはママの家に出入りするようになり、話を聞き出す役回りとなる。

広美は過去にいろんな家庭に入り込み、たくさんの子供の世話をしていたと話す。祐理は世話した子供の一人かもしれないが、他の場所に行くと子供のことも家庭のこともすぐ忘れてしまうので、はっきり覚えていないとも。

 

祐理が直接自分の母親ではと広美に尋ねると、はっきり否定されてしまう。

だが祐理が広美を母として慕う気持ちは強く、あおいが大学を卒業して結婚したら、広美と同居したいという。赤の他人になぜそこまで思い入れるのか?あおいには理解できない。境遇が違うあおいの感じ方や気づきで、普通の家で育ち親がうるさくけむたい存在と思えるのは、恵まれていることでもあると気づかされる。

子供にとっては母親がいなくなるのは寂しく心細く、足元から世界中が不安定になる感じだろう。一度喪失感と不安を味わっている分、擬似母が来てやさしく世話してくれる嬉しさは深い。だからいなくなると余計に思慕は深まるのか。

 

広美にしてみれば、子供の為ではなく自分自身が救われたくて子供の世話をしていた。広美は「つらい時助けてもらった」という祐理の感謝の言葉に、助けられていたのは自分の方だと言う。他人の子供ですぐに出て行けるから、逆に何でもできる。

 

 

広美は結婚したことがあるが、姑から息子がまだ幼い時離縁を迫られて家を出た。「おそれいりましてございます」は姑に叩き込まれた。

短大生の時に同窓会で再会し、ずっと好きだったと言われてすぐ授かって結婚した相手は代議士の息子で、義母は大臣の孫娘で選挙が人生の人だった。義母は嫁の広美が気に入らず、散々いじめられて手も上げられ挙句追い出されたが、広美は息子とのつながりが絶えないよう籍を抜くのは拒んだ。なるほど、だからプロポーズされたら出て行くしかなかったのか。だが、知らないうちに籍が抜かれていたというのは酷い。

そんな義母は3年前亡くなっていたことを最近知った。

 

広美の結婚の実態は驚きで、明らかに人権問題だと思うが、家の中のことに他人が口を出せない風潮は今も残っている。幼児虐待も然り。

そして不思議なことに結婚以降で夫の描写は全くない。夫への思慕も描かれない。想像するに、母親の言いなりで広美をかばうこともせず、陰で優しく労わることもなかったのだろう。広美は幻滅して以後男性に期待を抱くことはやめたのだと思う。

 

この広美の婚家の設定は、実在の神奈川出身の政治家から想起されたのではないか。奥さんが不倫の子を設けたという理由で妊娠中に離婚させられたあの家だ。母親が大臣の一人娘で婿を取り、その息子は総理大臣にまでなった。彼の姉たちは母親代わりだったり秘書を務め、周囲を身内で固めていたという。小姑たちからの嫁に対する風当たりもさぞ強かったのではと想像する。そして妊娠6ヶ月で追い出され、上二人の息子とはほぼ生き別れだったという。その辛い心中を察するところから想起されたストーリーではないだろうか。離婚は夫が姉たちと妻の板挟みになり、身内の言い分を受け入れた結果だろうと想像する。「結婚には懲りた」と言ったそうで、再婚もしなった。

 

 

広美は若い立候補予定者の辻立ちの演説を聞くため、朝早くどこかの駅前へと出向く。その候補者は家を出て20年以上会っていなかった、広美の産んだ息子だった。

久しぶりに見た息子はひょろっとした青年で、遠目で演説する息子を緊張しながら見ていたが、我が子への思いや感慨は思いの外遠い。

息子に会うことが叶わず、成長を見ることもできず、会えない絶望を他人の子の世話で紛らわして生きてきた。だが20年の歳月は長く、ようやく目にした息子は再会の実感が薄くて、喜びよりも戸惑いが先に立つ。あれがずっと会いたくて焦がれてきた息子なのだろうか。

 

そんな自分を「かあさん」と慕う子の声が心の中に聞こえてくる。擬似母をしてきたのは、ひたすら我が子に会えない自分の絶望を紛らわせる為だった。だけど世話を受ける子供にはそれがどんなに嬉しくて尊いことだったろう。過去には絶望の淵から助けてもらい、今は成長した血の繋がらない子供たちから「かあさん」と慕われる。

今自分は、彼らの幸せのためできることをしよう。

広美は祐理とあおいの幸せを願い、彼らの前から姿を消してしまう。

 

物語の最後、広美は道の駅でそばを食べながらこれからどうしようか考えている。そんな広美のことを見ている男がいて「広美じゃないのか」と声をかけてくる。

物語の最初に出てきた男性である。恐らく最初に広美が最初に入り込んだ家だ。広美の出身地の隣接県の富士山の麓のエリアにあり、婚家を出ても実家にも戻れず、遠からずの場所を選んだのか。

この男性の訛りが自分の親戚が住んでいた地域の訛りで、個人的に懐かしさが募った。気候も温暖で人情も暖かいあの辺りで広美も腰を落ち着けられたらと願う。

 

 

いい話だ。だけど犯罪の気配でひやりとする場面もある。

 

中部地方の児童福祉担当の若手職員が、見覚えある女性を児相で見かける。彼に対し初対面の態度だが、東京で同じ仕事をしていた時にその女性がDVの父親から子供をかばい、彼女が家を出てから父親が亡くなり男の子は施設に入ったことを思い出し、広美という女性と同一人物だと確信を持つ。

既にその家を出ていた広美を、父親が酔って階段から落ちて死ぬ数日前に見かけていた。自分を知らないと言うのに不審を抱いた彼は、男の子に話を聞きに行く。父親の死んだ晩に広美は家にいて、男の子はその時渡された耳栓を今も大切に持っていた。

 

職員は広美を訪ね、男の子と会ってきたこと、広美に迎えにきて欲しいという伝言を伝えて立ち去る。

広美が父親の死に関わった疑いは濃い。だが職員としての倫理観と子供を守りたい思いの狭間で、今広美が世話をしている子供と施設にいる男の子を思うと告発に踏み切れなかったか。広美が罪を犯した可能性を知っていると、釘だけ刺した。

恐らくこの件は広美が擬似母から足を洗うきっかけになったのではないか。因果関係しか書かれていないが、広美は相当危ない橋を渡っていて、相手によっては見逃してもらえない可能性もあった。他人の子供のためそこまでやるのは度を越している。もし一線を超えてしまっていたなら危うすぎる。けど、やっぱり広美は目の前にいる子にその時々で全身全霊で向かい合っていたのだとも思う。

 

 

また広美は居候していた家を出る時に、黙って少しまとまったお金を持って出たこともある。家事や子供の世話を無償でしてもらった手前、表沙汰にはされなかったけれど、これって窃盗だろう。実際問題、外で働かず居候していたら無収入だから、出て行って仕切り直すお金がないとどうにもならないだろうけれど。

 

 

祐理のバイト先に新しい人が入り仲良くなるくだりもちょっと恐かった。一つ年上の秋夫と祐理は急激に仲良くなる。秋夫の連れてきた女の子とあおいも交流に加わるが、秋夫から誘われてバーベキューに行くと経験者のはずの秋夫が初心者同然で、なぜ経験者と嘘をつくか解せない。帰りの車ではあおいと祐理が寝落ち中「怪しまれるからもう少し時間をかけよう」と何か企みを感じる会話が聞こえ、不穏さが増す。

結局二人は広美に育てられた子供たちで、広美への思い入れが深すぎて声をかけられず、祐理とあおいがスナックや広美の部屋に出入りするのを見て近づいたという。そこに悪意がなくてよかった。ほっとした。

だが急に接近してきて距離を詰めてくる人は要注意。相手には思惑があり、好意を抱いているのはこちらだけかもしれない。作者の別の作品にはそういう展開もあった。