千早茜の天才調香師のシリーズ第3弾で完結編。

第1作「透明な夜の香り」で十分過ぎるほどの作品世界を構築し、第2作「赤い月の香り」も出た。どちらも調香師の小川朔を真ん中に置いて、朔に雇われた者の視点から物語が描かれている。香りをオーダーメイドで提供するエピソードから成る連作短編集だ。

 

小川朔は人間離れした嗅覚の持ち主で、そこにいる人間の心理状態、食べたもの、生活習慣など全て分かってしまう。ことに嘘をつく人間の匂いは耐え難いものだという。匂いの刺激を避けて、人里から少し隔離された森の中の洋館で暮らしている。訪れる依頼人の要望に合わせて香りを作る。洋館で働く人間には朔が調合した香りを使ったもので身だしなみを整えることを要求する。並外れた嗅覚を持つ朔にはこれも致し方のない自衛の手段だ。

繊細な見た目の一見イケメンだが、作者は天才だけど変人で偏屈で嫌な奴のつもりで書いているという。モデルはレクター博士だそうな。その変態性を書けば書くほど読者には好意的に捉えられるという、作者のジレンマが面白い。

 

今作は前2作の前日譚で長編という変化球で、完結編でもあるという。

舞台は京都の香の老舗で姉の真奈の視点から描かれる。姉妹が20歳の朔と出会い、5年後に妹の丹穂が亡くなったところから物語は始まる。

丹穂の葬儀で遺体を焼いた際、あり得ないほどの芳香が立ち昇った。普通はそんな香りは焼き場では絶対にしない。香の家の娘で、嗅覚に秀でた調香師だから起きた奇跡?

縦糸に人間関係、横糸に奥深い香道の世界を描き、ミステリ要素もある作品だ。

 

 

姉の真奈は凡庸な人間だが、妹の丹穂には並々ならぬ嗅覚が備わり、学生時代から家業を調香師として支え次々新しいものを作り出してきた。マイペースに振る舞い、優れた嗅覚で家業に貢献する妹に、真奈はずっと劣等感を感じる。

真奈は緊張しやすく、慌ててしまって口ごもったり咳き込んだりで上手く喋れない。特に秀でたものもなく自信がなくて常に萎縮している。要領の悪さや緊張しすぎなメンタルに、読んでいて正直ちょっとうんざりしてくる。自然体で堂々としていればいいのに。妹のような嗅覚がなくても、経営面で貢献できるよう頑張ればいいのに。

 

姉妹がまだ幼い頃母親は交通事故で亡くなっている。社長である父は妹の丹穂が急死したショックで、1ヶ月以上自室に引きこもっている。仕方なく真奈が社長代行を務めるが、自他ともに認めるほぼお飾りだ。しっかりした秘書に上手に頼ればいいのに、秘書にまで真奈は萎縮する。

新しい香りを考え製造にも携わっていた丹穂がいなくなれば、今後の店の売上に影響は必須だ。おまけに経営者の父は今は頼りにならない。

 

真奈の前に伽羅の香りの骨を探しているという探偵の新城と、姉妹と以前交流があり丹穂との約束を果たすために来たという小川朔が現れる。

新城は骨壷から消えた香りのする骨を探し出すよう、誰かから依頼を受けている。

一方朔は丹穂から『自分にもし何かあったら家を助けて欲しい』と頼まれていた。その約束を果たすために来たという。朔は会社所有の薬草園の建物に泊まれるよう希望する。

二人は行動を共にしているようで、実は別々の理由で動いている。だが新城は目的達成には朔と行動するのが有利だと心得て、大体一緒に現れる。

 

朔は鋭すぎる嗅覚故に孤独な人生を送ってきた。知りたくもないのに匂いで相手の感情が見えてしまう。匂いから察知した真実を、時に辛辣なほどの言葉で突きつける。孤独と孤高が人格を形成した。若いのに老成した雰囲気、非情なほどの客観性。本作での朔と他者の言葉の応酬は言葉で斬り合うようでおもしろく、相手の真実を暴く朔の言葉は時に痛快だ。

 

唯一朔とは同じ施設育ちの新城だけが距離が近い。新城は粗野で無神経な男だが、朔のよき理解者だ。ヘビースモーカーなのに、施設で一緒だった新城の匂いはもう馴染んだものになり、そこに煙草の匂いも含まれているんだろう。それに新城はアホでガサツだけど、きっと朔には嘘をつかない。

 

 

この家では代々伝わる希少な香木がある。そんな一族の複雑な人間関係も描かれる。同族経営の会社では叔父や従兄弟も働き、経営に関わらない叔母たちも絡んでくる。彼らが抱えるものを朔が明るみに出すことで、いずれ家業を率いる立場の真奈には大きな助けとなる。朔は正義感があってやっているのではなく、嘘の匂いでわかる事を伝えるだけだ。嘘と欺瞞に満ちた人間関係は、親戚だからこそ生臭い感情が満ちている。

こうした人間関係の綾も興味を惹くが、話の主軸は真奈と亡くなった丹穂の関係にある。

 

丹穂も朔と同じく嘘の匂いが苦手で、姉には嘘をつかないでとずっと言ってきた。

でも真奈は嘘をついたことがある。朔と出会った瞬間、真奈は一目で強く心惹かれた。その帰り道に朔のことが気に入ったか丹穂に聞かれて否定した。じゃあ自分が仲良くなっていいかと聞かれ、もちろんと答えた。それは自分の心を灼くような痛みを伴う嘘だった。

丹穂は出会いの瞬間匂いの変化で感知できたことがあったろうし、嘘も匂いで気づいたはずだが、何も言わなかったのは姉が大切だから気持ちを尊重したのだろうか。

 

朔と丹穂はともに優れた嗅覚が備わり、他人には感知できない世界を共有できるだろう。そして他人が作ったものが食べられないなど、生活上での共通点も多い。二人が惹かれ合うのは当然のように真奈は思っていた。

 

妹への愛情、劣等感、嫉妬心で真奈の感情はこじれてしまう。だが丹穂も真奈に隠し事をしていた。

真奈は母親の記憶が不思議とおぼろで、それがずっと不思議だった。元々母は家族への関心が薄く、家族を捨てようと家を出た時、姉妹の目の前で交通事故で亡くなった。その時幼い丹穂が母親の荷物から香木を探して持ち出した。それは代々伝わり代替わりの時だけ炊く『相伝の香』、貴重な最上質の伽羅だった。見ていた真保の記憶を丹穂は香りで封じた。

 

香りは一瞬で記憶を蘇らせる力がある。だがずっと同じ匂いを嗅ぐと、耐性ができて感じにくくなる。丹穂は真奈に事故時の記憶が戻らないよう、家中に母親と同じ香りを潜ませてその匂いに麻痺させた。その上念の入ったことに、全く違う香りを母親の思い出の香りとして作り、真保の記憶を混乱させた。なぜそんな事をしたのだろう? その貴重な香木をずっと持っていたかったのか。

 

家に置かれた母の香りには、調合に丹穂らしからぬブレがあった。朔が母の所持品の匂いを元に新たに香を作って炊くと、真保の記憶が蘇る。真保がその時持参した叔父の持っていた香木は母が持っていたものと同じで、その香りが重なって母の最期の記憶の香りが完全に再現された。記憶と香りの関係性、香りを重ねることが鍵になる。なんという謎解きだろう。作者はあまりミステリは読まないそうだが、これは十分ミステリだと思う。

 

 

丹穂にはもう一つ秘密があった。朔と出会って2年後卵巣癌になり、抗癌剤治療は嗅覚が落ちる副作用が出て中断した。病気を家族には知らせなかったので、痩せて体調が弱るのを真奈は調香に徹夜で打ち込んだ疲労と捉えていた。亡くなった転落事故も体が弱ったから起きたのだろう。事情を唯一知りながら、丹穂に治療を促さなかった朔を真奈は責めてしまう。二人は付き合っていたのではないのか。なのになぜ。

 

朔はそういう関係ではなかったと否定する。丹穂から受け取る匂いは同業者から感じるものと同じ憎しみだった。丹穂が朔の会社で研修にきた際、一緒に香水を作ったことはあるが、その後の丹穂の上京は治療のためだった。感覚は共有できない、朔も丹穂も別々の世界に生きていると朔は言う。理屈ではそうだが、丹穂が家族にも言えない嗅覚の衰えを打ち明けたのは、朔が特別だったからだと真保は考える。

私も丹穂には朔への好意があったと思う。自分の月経サイクルに合わせた香水を朔が作り、自分亡き後の家業のことも助けるよう頼んでいた。どちらも信頼できる特別な相手にしか委ねないことだ。朔が京都を訪れ丹穂と会ったことも、真奈は知らなかった。

 

朔には他者への執着がなく、密な関係を築くことはしない。だからと言って丹穂に治療を続けるよう言わなかったのを冷たいとは思わない。少なくとも朔は、命に替えても丹穂が守りたい世界があることを理解し、丹穂の選択を尊重したのだから。嗅覚は丹穂にとり自分の存在意義だった。それを損なえば何をよすがに生きられるのか。


 

明かされる謎は小説の最後までいくつも残り、明かされる部分の密度はとても濃い。

丹穂が持って行った母の伽羅の香木はどこにあるのか。

丹穂は母の香りをどこで作っていたのか。会社の調合室にその香りは残っていない。

何より丹穂の遺体を焼いた時の芳香は、本当に骨自体が香っていたのか。

最後にこれらの謎が一気に明かされて、内容の濃さに頭が追いつかない。どれも単なる謎ではなく、丹穂の心情がそこに込められている。何度も繰り返し読んでやっと咀嚼できた。

 

京都で朔が滞在していた、会社が所有する薬草園の離れ。その屋根裏部屋が丹穂の秘密の調合室で、丹穂が隠した母の香木も見つかった。

そして丹穂の骨は、真保がその離れに隠していた。芳しく香った妹の骨、母のように自分を置いて逃げたようで許せなくて、それでも妹を伝説にしたかった。丹穂が伝説でないと自分の劣等感は理由を失うから。

真保は骨をライターで炙るが、もう香らない。丹穂は落下事故が起きた際、自分が死んで体を焼かれることを見越して、いつも持ち歩いていた母の「相伝の香」から取った木片を飲み込んだのだろう。奇跡を起こして皆の心に自分がいた証をいつまでも残したかった。
 

謎解きに力を貸した朔と真保の言葉の応酬が、ひときわ心に残る。真保は朔との関わりを通し、自分の執着を少し客観的に認識し、前よりは他人に対して思いを言葉にできるようになった。しっかりしてきて、自立したのだ。序盤のひ弱さからの成長は嬉しい。

そして母親や蒴を自発光するように感じるのは、香りの影響をそういう風に感知できる真奈独自の感覚があるからではないか。老婆心ながら自分の感覚を大事にしてほしいと思う。

 

新城に妹の骨と相伝の香の捜索を依頼したのは、姉妹の父親だった。失くしたことが身内に知られると、同じ香木を分与された母の姉弟に会社を乗っ取られるかもしない。

全てが解決し、父は社長業に復帰して真保は社長代行から解放される。そこから始まる新しい人生には希望が見えるようだ。まず名前も知らず体だけの関係だった男と関係を結び直そうとする。

ここで物語が終わっても十分だが、10年後に真保が初めて朔の洋館を訪問するところで物語は終わる。朔が自分の香りで染めなくても良い相手を見つけたのを真保は察し、こちらにも希望が見える。

 

 

この家の人間には香の匂いが幾重にも染み付いている。物語の謎もそんな幾重にも重ねられた香りのようだ。複雑な心の綾も、もういない丹穂がなぜそうしたのかは想像するしかない。物語中でそれは推察として語られるが、読む側の受け止めとは違うかもしれないし、それでいいと思う。執着の理由が愛情のこともあれば、憎しみのこともあるだろう。作品を通して描かれるのは人間の執着だ。

 

初読では香道や原材料の説明を呑み込むことに難儀し、謎や真相がすんなり入ってこなかった。続けて二度三度と読み、香を物語に活かした精緻なミステリ的構成に驚いた。香りというミステリアスなものを描いて、非常に独自な作品世界がある。何より香道の世界は奥が深くて歴史があることで、風雅さも漂う。

そして京都という歴史と文化がある場所の今も残る特殊性。独自の文化、祇園祭りなど、土地柄や風俗もうまく取り込み、作品世界を強固にしている。

読む度に発見と心に届く部分があり、魅力が深くなる作品だと思う。

 

 

本の感想じゃないことを久しぶりに書く。

 

東京で生まれたけど、幼稚園の頃に引っ越して以来横浜で育った。もう実家も移転して無いけど、心の故郷は横浜ということになるだろう。20年以上横浜で暮らして一人暮らしを始めても、実家が引っ越すまではちょくちょく帰っていた。横浜の中心街から離れた県央に近いエリアに住んでたけど、繁華街へは自分で動ける年齢になったらちょくちょく行った。まあ庭のような感覚である。

 

だけど実家がなくなると横浜に行くこともなくなり、足は自然に遠のいた。みなとみらいエリアがどんどん変わり、横浜のイメージもだいぶ変わった。横浜駅が工事で変わり、東横線が地下に潜り桜木町終点ではなくなり、、、 そんな状況だけは知っていても行くことはなかった。行く理由がないから。

 

だが今回、急遽中華街に行くことになった。誕生日だから行こうと家族が言ってくれたのだ。久しぶりの中華街、90年代後半一度行った記憶はある。それ以来かも?

 

中学高校の頃、中華街は「夜は絶対行ってはダメ」と親から言われてた。理由は分からないが、治安を心配したのだろうと想像はつく。どことなく危険な匂いがする、異国のようなエリアだった。ルールは日本ではなく中国のもの。接客は愛想なしで、大きな札では買い物を断られたりもした。もちろん治外法権ではないけど、あの街は華僑の方が仕切っている。日本人から見たら中国語での大声の会話など、自分たちのルールが通用しない感じを受けたかもしれない。(今も全くそういう雰囲気がなくなったわけではない)

 

でも昼間は一人で雑貨を見に行ったりしてた。「大中」というダイエーがやってた中国雑貨の店が好きだった人なら分かると思う。街中が大中みたいな場所だった。レース編みのカーディガン、色とりどりのカゴバッグ、可愛いチャイナサテンの小物。どれも可愛くて見るだけでも楽しかった。どの雑貨屋からも同じ香りがしてた。雑貨を売る店は今も残っているところもあるけど、お土産屋さんと言う方がふさわしくなっていル。

ちょっと大人になってからは友達と食事したり、肉まんを買い駐車場の自販機でウーロン茶買って山下公園まで行ってお喋りしたりと、楽しい場所だった。散策時のトイレはヒルトンホテル(ローズホテルという違うホテルになってた!)かニューグランドでお借りして。ホテルだから出入りはできるし、ロビー階ならば拝借しても問題はなかった。

 

今回はみなとみらい線の駅もあるが、あえて昔ながらの石川町駅からのルートで行った。石川町駅も変わった。以前は端っこの階段を降りたところに改札があり、殺風景な裏道みたいなところに出て、川を渡って行った。中華街へどう行けばいいのかなど何も目印はなかった。今はもう少し中寄りに改札があり、改札出てすぐの場所に小さな中華門ができている。こっちだよ中華街、と分かりやすくなっている。

 

そしてシンボルの善隣門から入るのだが入っていく人が少なくない? 今はみなとみらい線の駅の方から来る人の方が多いのかもしれない。あっちが正面入り口化してる?いやいやいや、絶対こっちが正面だよ。門だってあるんだし。向こうは門がないんだからね。しかしお昼を過ぎるとあっち側からどんどん人が流入してきて押され気味に。

そして門の数が増えているのには驚いた。昔は一つだけだったのが、東西南北の門に加えて横道や裏道にまで門がそびえている。ほえー。道の名前が分かりやすくてありがたいけど。

 

善隣門から入ると、過去には不動の老舗がずらりと並んでいたものだ。だがもう時代が変わり、残った店の方が珍しいのかも。あ、ここは昔もあったな、というような店は目立たなくなっている現実。周囲の店は騒がしい位に、原色を使ったカラフルな標識でメニューを店頭に表示してアピールしているが、伝統のある店ほどそういうことはあまりしないようだ。だから埋もれてしまう。フリで来た観光客からは見向きもされないかと思うと悲しい。

目立たないと書いたけど、中華街だから周囲が派手すぎて比較の問題でそう思えただけで、大袈裟な宣伝はしていないということだ。過去にマスコミで取り上げられた名品があるお店で構えが小さなところは、本当に何もアピールしてなかった。それでいいと思う。

 

聘珍楼の場所は空き地のままだ。まさか、聘珍楼がなくなるなんてね。肉まんを買ってたのは聘珍楼だった。大きいのが500円。当時にしては高額で、だけどぎっしりと中身が詰まっていて食べでがあった。昔は買い食いの店なんてなくて、老舗のテイクアウト部門で蒸したものが売られている程度。買い食いの為に老舗の入り口を潜るのも最初は勇気がいったが、全然問題なく買えた。

 

今回は占いがものすごくたくさんあって驚いた。元手がかからない商売だからか。歩いていると次々と、必ず声をかけてくる。それも女性ばかりだ。男性の占い師はいないのか。さらに驚いたのは、占いに結構な人数が行列して並んでいる店も何軒もあったこと。ええええ、中華街来て占いに並ぶの?! 

 

そしてそこかしこに立ち食い専門店が。本当にたくさんあり、どこの店も同じようなものを同じようなカラフルな標識でアピールしてて目にうるさい。店頭で買ってそこで食べることがマナーのようなので、歩き食べの人は少ない。肉まん類はもちろん、大鶏排、いちご飴、かき氷、胡麻団子、タピオカドリンク、いろいろあるのでこれだけでお腹は膨れそうだ。お店で食事をせず立ち食い専門店で済ませる人もいるだろう。

 

今回食事するのにいくつかお店を考えたが、行ったことがありおいしさも雰囲気も担保された店にした。昔、実家が引っ越す前に、家族で行きたいと親から言われて選んだ店だ。その時食べたものがあまりにも美味しくて、時間をおかずに友達と行って食べたりしてた。そのメニューがもう一度食べたくてそこにしたのだが、アラカルトメニューは(今もたくさんあるけど)その頃より種類が減り、そのメニューもなくなっていた。残念。仕方ない、本当に時間が経ってるんだから。

夏休みで人出も多い休日に行ったので、予約を入れたのは大正解。ちょっと早めに入店したけどすぐに通してくれたし、落ち着いた席で食事ができた。予約なしでもどこかしら入れるだろうし、偶然の出会いを楽しむのもいいけれど、混むと分かってたらやはり予約を入れる方が安心かも。

 

 

だが、私がもう一度本当に行きたい店は、ゴールデンカップスのエディ藩さんのご実家の店だった鴻昌だ。もうなくなってしまった。

ここは高校の友達が家族で行ってる店として教えてくれて、最初に一緒に行った。中華大通りにあるけど簡素で全然装飾的ではない店。店頭には叉焼がぶら下がっているのが中華街らしい。食器もアルミだったりするし、サービス精神があるわけでもない。だけど本当に安くておいしくてボリュームたっぷりで、いわゆる街中華とは全く味が違った。

行くたびに大満足。大きなどんぶりで出てくるスープ、春巻き(パリッとしたもやしが入ってたかも。他とはちょっと違ってた)酢豚(今思えば黒酢を使い、本当に肉だけ)などなど、若い人でもお安い値段でお腹いっぱい美味しいものが食べられた。

ネットで調べると、その後横道の方に移り小綺麗な店舗になっていたらしいけど、同じ店なんだろうかと思うくらい店構えが違う。支店もあったというが本当だろうか。

 

中華街のサービスについては今でもご意見をお持ちの向きもあるだろう。けど、最初の方で書いたようにあの辺りは華僑のルールでできている。日本の飲食店の常識を押し付けても意味がない。もちろん昔より観光客も増えていて改善はされている部分もあるだろうし、全部の店がそうだというわけでもないけど、愛想がなくて食器の置き方が雑、それが中華街だった。文化の違いで、不作法不親切とは違う。今も横道では呼び込みの人同士、大声の中国語でおしゃべりが飛び交い、異国のような空気はまだ残っている。それを楽しむ方がいい。

 

昔、日本のヒット曲を中国語で歌うカセット(もちろん非合法だろう)を売るちっちゃな店が横丁に入る角にあった。通りすがりにオフコースの「さよなら」中国語バージョンを聞いた時の驚きが忘れられない。いろんな意味でカルチャーショック、ここは何でもありだ。

あの頃の中華街、少しスリリングで裏道には哀愁も漂い、おもしろかった。叶うことならもう一度あの頃のあの辺りに行ってみたい。今はどぎつい宣伝と占いばかり目立ち、客引きも多くて、哀愁などかけらもなく騒がしい。散策する場所ではなくなってしまった。

 

蛇足。大昔、憧れのホテルニューグランドの1階ティールームでお茶したことがある。カトラリー類が全て使い込まれた銀のもので、歴史と風格を感じた。真っ白いテーブルクロス、上品なお皿。一輪挿しに花が飾られてたかもしれない。ラフな格好だったし正直気後れを感じたけど、背伸びしてお茶を飲んだ。正面入り口の階段を上がり、ロビーを一周して満足することもあった。あの時代のあの場所を体験できてよかったと、今になって心から思う。時代の記憶って、こうやって個人の中にしか結局残らないんじゃないか。

小池真理子の昨年末刊行された長編小説。ジャンル分けしたらイヤミスにかなり近いが、ミステリではない。タイトルは自分の尾を噛んで輪状になった蛇のことで、終わりも始まりもなく循環することを象徴する。人生では良いことも悪いことも連鎖して循環する、そんなイメージが託されたタイトルだ。


小学生の娘を持つシングルマザーが、青山の骨董通りで骨董品店を営むミドル男性と再婚。三田綱町にある瀟洒な3階建ての家で暮らし始める。芝にあったクレセッントという著名なフレンチレストランで仲間内でのお披露目の食事会をするところから、物語は始まる、

 

骨董通り、綱町、クレッセントなどの場所の名前は、少し前の時代の東京のお洒落な文化や上流階級を想起させる。青山の246号線から入る通りの骨董通りは、80年代に女性誌に取り上げられて定着した。辺りにコムデギャルソンの本店や根津美術館などがあり、文化的な香りもする場所だが高級住宅街でもある。

港区三田の一部分の古い町名である綱町は、江戸時代の大名屋敷に由来する由緒あるお屋敷町で、今も慶應義塾や大使館、三井倶楽部などがあるハイソなエリアだ。

そしてクレッセントはクラシックな洋館の高級フレンチレストランで、80年代には女性誌で東京の憧れの場所などと取り上げられたりしていたが、今はもう存在していない。

 

こうした華やかな場所の記憶の力も借りて、バブルが終わる頃からはじけた時期にかけて話は展開する。2度目の夫が営む骨董品屋は夫の父の代からで、自社ビルの1階にあり上階は賃貸で家賃収入(馬鹿にならない金額だろう)があるという。そして六本木にも青山にもほど近い静かな屋敷町にある自宅。当時でもごく恵まれた層と言っていいだろう。

 

 

最初の夫が25歳で病死し、一人娘を必死で育ててきた彩和。先夫が亡くなり仕事をする必要に迫られたが夜の仕事は娘といる時間のために回避したかった。小さな広告屋の求人を見て応募したらすぐ採用され、しかも社長はいい人で仕事も雑用が多く定時で帰れるというラッキーさだ。広告屋は俊輔のビルの店子で、ある時水漏れ事故が起きて大家である骨董品屋に駆け込んだのが、彩和と俊輔の出会いだった。

一目で彩和を気に入った高階俊輔のかなり性急なアプローチを受け入れて再婚する。俊輔はだいぶ年上だが落ち着いて朗らかな人柄に加え、整った容貌、洗練されたところに惹かれた。それ以上に娘の将来を考えて安定を手に入れたかったので、今の生活に安堵を覚えている。

 

俊輔はミドルとしては見た目も良くてお洒落、商売人というよりは教養深い趣味人のような人物。酒の量がいささかすぎるところだけが心配だ。

前妻の杏奈はからっとして明るい女性で、輸入雑貨の仕事を始めたらうまくいってしまい、逆に夫婦仲がまずくなって離婚したという。俊介との間に高校生の息子がいて、杏奈が引き取っている。俊輔と杏奈は今はわだかまりもなく、杏奈は彩和の結婚の食事会にも同席する。この時彩和は杏奈から着物を借り着付けてもらい、一気に打ち解ける。

クレッセントの食事会には杏奈親子に加え、俊輔の秘書兼運転手である野々宮という青年や、俊輔の父親に心酔してずっと高階家に出入りしている鍼灸師の影山も同席する。

主な登場人物全員のプロフィールがこの食事会を読めば分かるようになっている。

 

彩和は幸せな時間のうちにも悲観的な思いを抱くところがある。何か起きた時のために心の準備というか、いらない不安を抱く。

そして実のところあまり察しが良くないというか気が回らない時があり、読んでいて時にはらはらする箇所がいくつもある。それを夫に話すのはまずいんじゃないか、あるいは逆にそこはきちんと答えないと誤解を生むんじゃ、と心配になる言動が多い。

 

 

彩和は野々宮の運転する車で出かける時もあり、ある時知人の見舞いに行くのに送迎を頼む。帰る頃は土砂降りで、雨の中を野々宮とずぶ濡れになりながら車まで走る間、二人ともなぜか爽快で愉快な気持ちになり笑い出して止まらなくなる。無邪気で純粋な笑いの爆発は車の中でも消えず、二人はずっと笑いながら帰る。野々宮と一緒に思い切り笑ったことは、楽しく暖かな時間として彩和の心に残る。

 

こうした感情の共有は他人に説明するために言葉にするのは難しいし、その時の空気としか言いようがない。明確な理由があるわけでもなく、後から他人に話して共感を得られることもあまりない。だが彩和は深く考えず、夫とそれを共有したいと考え話してしまう。夫の反応は当然薄くて不機嫌になるが、深く考えずに話を続けてしまう。

それが俊輔の猜疑心の芽となり、深く根を張ることになる。俊輔は自分の妻と野々宮の間を勘ぐり始め、やがて嫉妬心へと変わっていく。

 

この小説がどんな話なのか、恐らく人間関係のもつれや破綻が描かれるのだろうと思って読み始めたが、彩和と誰の問題になるのかが最初の食事会の箇所では想像つかなかった。

野々宮という人物は控え目で出過ぎない青年として描かれる。強烈な個性もなく、親しい友人も女友達もおらず特に趣味もなく、日常を淡々と質素に生きている。俊輔と比べると凡庸で、新婚の彩和が心惹かれる要素はないと思う。野々宮自身も俊輔には恭順で、バイトでバーテンをしていたのを拾われた恩義を感じているし、彩和はあくまで社長の奥様である。

 

なのに俊輔は二人の仲を疑う。徐々に猜疑心は成長し、彩和は夫の自分に対する言動に不機嫌を感じ取り萎縮する。理由が何だか分からず努めて明るく振る舞うが、次第に俊輔は頻繁に皮肉や当て擦りを言うようになる。飲酒の量も増えていく。

 

 

家族旅行で蛍を見に行き、真っ暗な川辺で娘と野々宮が少し離れたタイミングで俊介が彩和に性的行為を仕掛けてきた。一種のテストみたいなものだったのかもしれない。貞淑な彩和は拒み、思わず野々宮(後から娘の名前も)の名前を呼んでしまった。なぜ最初に娘の名前を呼ばなかったのだろう?このせいで俊輔は一気に嫉妬心を募らせてしまう。

 

夫に野々宮との関係を疑われていると知り、彩和は驚く。そんなはずないではないか。

だけど、この時はっきりした否定の言葉を彩和は言わないのがもどかしい。

「あるわけないでしょ!考えすぎ、とても心外よ」などと強く否定すればいいのに。でもかなり歳年上の酔っ払った夫の剣呑な様子を見て怖く感じ萎縮したかもしれないし、びっくりしてすらすら否定の言葉が出ないのは分かる。

 

俊輔の彩和への態度がどんどん冷淡なものに変化し、心ない皮肉に耐える日々になる。だが俊輔はアル中で気分的にむらがある。ある時情熱的に夫婦は交合し、彩和は初めてと言っていいほど満足を覚え、結果妊娠する。正真正銘夫の子である。

だが妊娠を伝えて俊輔から返ってきた反応は冷淡で、自分の子ではないという心無い言葉だった。彩和がどんなに必死に訴えても聞く耳持たない。結局9週目で心音が確認できず流産してしまうと彩和はストレスを理由に考えるが、アラフォーだったことを思えば育たない妊娠で流れた可能性もある。いずれにしても残念である。

 

野々宮との関係を疑われるくだりは延々と長く、読みながら彩和とともにストレスを感じる。彩和にはこの状況を相談できる相手がいない。前妻の杏奈が最も適任だが、夫婦のことを打ち明けることを彩和は躊躇してしまう。夫の嫌な部分も一番よく知っていて、頭の回転も早くて思いやりもある杏奈に早い時期に相談していればと思わずにいられない。

 

そして何も知らない野々宮にも気をつけるよう伝えなくてはならないが、俊輔の見ている前でしか接触できないためなかなか伝えられない。だが俊輔が泊まりがけで家を空ける機会があり、旧知の人物からの連絡で夕方から会うことになった。娘も大きくなり鍵を持っているので、夕食を用意して出掛けていく。知人はその後予定がありすぐ解散するが、まだ宵の口で彩和の心は浮き立つ。主婦がたまに夜外に出て解放された気分になるのはよく分かる。

 

このまま帰らず一人でどこかで食事をしようかと最初思っていたのが、ふと夫の店に行ってみようという気になる。店の前では以前勤めてた会社の社長に遭遇する。店番している野々宮とは無事会えたが、事情を話すのはためらわれて結局何も伝えられない。

そして店の前で社長と会ったことで、彩和が店に来ていたことが後に俊輔にばれてしまう。店に行ったのを言わなかったのは事実で、責められても釈明のしようもない。何も悪いことはしていないのに、責められるのは本当に理不尽である。

 

1週間ほど俊輔が海外へ出かけ、野々宮に事情を打ち明ける千載一遇のチャンスがやって来た。おでん屋で色々話して打ち解けて、ようやく俊輔の執拗な猜疑心について伝える事ができた。二人はこの問題に対処することを協力し合う同士になる。図らずも俊輔は自分が障害になることで、二人の距離感を結果的に詰めてしまった。そして野々宮は彩和への個人的な好意を仄めかす。彩和はもちろん受け流すが、年下の男から好意を寄せられて悪い気はしないだろう。

海外から戻った俊輔を空港から自宅に送り届けたのは野々宮で、車の中で不在中に野々宮が彩和に会ったと認めたと夫から言われて驚くが、これは俊輔の罠だ。いい大人の男性がそんなことまで、と読んでいてちょっとうんざりする。

 

 

俊輔は朝から晩まで酒浸りとなる。元々いくら飲んでも乱れない体質で、これまでは周囲も見過ごしてきた。だが朝から晩まで酒が抜けず、彩和と二人になるとハラスメントばかり。でも娘の進学などでまだまだ夫の財力が必要だから、彩和はひたすら耐える。

 

しかしとうとう破綻の時が来る。大事なインタビューがある日、朝起こしに行くと、全裸の俊輔がいてトイレと間違えてクロゼットの中に放尿してしまっていた。彩和は動転するが夫をリビングに連れて行って着替えさせ、後始末をする。再度クロゼットに行って替えのズボンを探していると、階下では俊輔が倒れて身悶えしていた。タイミングよく送迎にきた野々宮が現れるが、ここで恐ろしい瞬間が訪れる。

二人の目が合い、無言のまま瞬時にある合意に達する。このまましばらく放置すれば死ぬだろう。その後で救急車を呼べばよい。

 

野々宮とは段階を踏んで距離が近づき、彼の住むアパートを訪れた時気持ちを確かめ合っていた。だが抱擁以上のことは彩和は拒んだ。急いでは夫の思う壺なのだ。二人は単なる協力者以上の思い合う関係になっていたので、俊輔が倒れ苦しむ姿を見て、一瞬のうちにお互い考えていることが一致したのだろう。邪魔者が消えてくれたらと。

トラブルメーカーになっていた俊輔。だが夫であり、自分の人生を引っ張り上げてくれた男を見殺しにする悪魔の決断。結果、病院に搬送された俊輔は助からなかった。

二人は誰にも言えない罪を背負ったまま、葬儀の間もずっと事務的な会話しか交わさず、親密な会話はしない。彩和の心中は罪の意識からくる恐怖でいっぱいだっただろう。それを分かち合える相手は野々宮だけだが、二人のしたことを知られるのを恐れて周囲に親密さを悟られてはいけない。

 

 

後日、鍼灸師の影山から連絡があり、俊輔から預かった遺言状を渡された。遺言状は彩和と再婚した後に作ったものと、最近作り直したものと2通ある。古い方の遺言状の中身を確かめると、野々宮が俊輔の実子だと認めて認知し、青山の店と商品、預金の一部を分与する項目があり、彩和は驚く。

 

彩和は影山から、若き日に俊輔が愛した女性が妊娠し、俊輔は家を出て何をやってでも彼女と生きる覚悟だったが、相手は姿を隠して身を引いたと聞かされる。10数年前偶然にその時お腹にいた子供に遭遇し、間違いなく彼女の子だと確認もできた。俊輔は迷うことなく(彩和に求婚した時のように)その青年を秘書として雇い、部屋を世話した。それが野々宮で、俊輔の息子だったのだ。彩和にとって義理の息子にあたる。誰も野々宮に俊輔が父親だとは話していない。

2通目の有効な新しい遺言状には、野々宮の認知の記載はなくなり、彼への分与も預金だけ、店は彩和が相続することになっていた。

 

これが作品最大の隠し玉だろう。でもこれに関しては意外性はなかった。序盤で野々宮が自分は母親一人に育てられ、20歳の時母が亡くなり大学を中退しバーテンをしていた、俊輔から出会ったその日に秘書に誘われたと話した時、何となく隠し子じゃないかという気がしていた。小池作品ということで勘が働いたか。


俊輔がもっと早く彩和に伝えていたら、彩和も野々宮を家族の一員と受け止め接しただろう。俊輔の変な勘ぐりも起こらず、酒を飲み過ぎず俊輔は生きていて、円満な生活が続いていたかもしれないのに。なぜ言わなかったのか。野々宮にも話しておけばよかったのに。義母に当たる彩和を恋慕するどころか、そういう対象から外していただろう。

 

彩和は野々宮の部屋を訪れて遺言状を見せる。最初情熱的に彩和を抱きしめてきた野々宮だが、流石にショックを受けて、彩和への思いもトーンダウン。というか、自分が俊輔を見殺した事実は俊輔が実の父だったことで更に重くのしかかり、それどころではなくなる。

49日の納骨の日まで二人はほとんど私的な会話もなく、野々宮は辞表を彩和に渡して墓所を去り、姿を消してしまう。

 

彩和は野々宮が去ってからも電話があるかもしれないと待ち続けるが、電話は来ない。来ないと分かっている電話を待ち続ける思いが、どれほど辛いものかは共感できる。

そして20年が過ぎてようやくかかってきた電話は、野々宮が入院していた病院からの連絡で、既に病死していた。所持品に彩和宛の手紙が見つかったという。

20年の間に一人娘は嫁ぎ、孫も生まれた。彩和は骨董品の商売を俊輔の仲間から教わりながら、何とか店を維持してきた。店を続けたのは、自宅ではなく店に電話がかかってくる可能性があるからだ。この辺りの時間の経過は「神よ憐れみたまえ」の、大人になった主人公のつつがない人生とシンメトリーのようにも感じられる。

 

病院が投函してくれた手紙が届き、病床で野々宮が必死に書き残した手紙を彩和は読む。ずっと肉体労働をしていたらしいが、優男の野々宮には向かなそうで無理をしたと想像がつく。野々宮は最後まで孤独を貫くことで自分の罪に向き合った。

魔のような瞬間をやり過ごして、すぐ通報していればと思う。そして彩和は野々宮に遺言状を見せたりしなければよかったのだ。今更知ったところで野々宮の苦しみを増やすだけだ。二人にとっていいことは何もない。野々宮の人生が変わらないよう、配慮もできたと思う。

 

そして杏奈という強力な存在に一切相談をしなかったのが、彩和の最大のエラーだと思う。第三者が入ると揉め事は大きくなる可能性もあるが、杏奈は配慮ができる人物だ。早い時期に相談していれば、杏奈が「俊さん、彩和さんにおかしな疑いかけて苦しめないで。疑われれば萎縮して、あなたに言いたいことも言えなくなるわよ。大体いくら何でも失礼よ。お酒飲み過ぎでおかしな想像しちゃうのよ、少しはお酒控えたらどう?」などと言ってくれたかもしれない。俊輔も彩和の言い分は聞かなくても、杏奈の言葉なら頭に入ったのでは。

こんな風に妄想が働くのも、微に入り細に入り会話が書かれていて、それぞれの人物が立っているからだろう。

 

正直言って彩和と野々宮が、俊輔の死後に結ばれて欲しいとは思わなかった。たまたまそこにいた野々宮は本来ならば脇役ランクの男で相手役にはならない。追い込まれた彩和にとって野々宮しかいなかっただけだ。俊輔のハラスメントがなければ、彩和は野々宮に特別な感情など抱かなかっただろう。

彩和が俊輔と再婚した直後のような生活が続けばよかったのにと思う。それでは小説として成立しないけど。