桐野夏生が週刊誌連載した小説で、バブルの時代に踊らされた若者たちを描く。

福岡の証券会社に1986年(バブルが始まった年)に同期入社した望月昭平と小島佳那、伊藤水矢子。物語は3人の視点で語られる。20代前半の彼らは2年たったら東京へ出る夢をそれぞれ持っている。周囲の者たちに下に見られる悔しさ、実家を疎む思いが共通していた。

 

株価がどんどん上がり、土地の値段もどんどん上がっていったバブル。3人が入社したのは四大証券会社と言われた野村・山一・大和・日興より規模が落ちるが、それなりに名の通った証券会社の福岡支店だ。

金融業界も盛況で活気があった時代。バブルの熱に浮かされた当時の社会全体の異常な熱気が蘇るようで、当時の証券会社の内情も興味深い。

 

バブル期、自分は普通に仕事して毎日地道に過ごすだけで、バブルの恩恵を実感したことはなかった。株もやってなかったし、派手な夜遊びもせず、経費で遊ぶおじさんにたかることもなかった。

だからバブルの記憶というと、テレビで見たクリスマスに一流ホテルでカップルのチェックアウトの行列ができたニュースとか、芝浦のディスコで露出過剰で踊る人たち、そして今よりもずっと貯金の金利は良かったことくらいしか浮かばない。

それでも80年代の活気があった社会の空気を思い出すと、郷愁を感じる。

 

 

水矢子は高卒入社で母親と二人暮し。2年働き資金を貯めたら東京の大学を受験して、一人で東京で生きていきたい。補助的な仕事しか与えられず、タバコの煙で満ち、活気以上にエキサイトしすぎて怒号が飛び交うような職場の空気も合わないが、夢を叶える資金を貯めるため我慢している。堅実な水矢子は自分のペースを崩さず、バブルにも飲み込まれない。

 

短大卒の佳那はつましい一人暮らし。華がある美貌の持ち主で仕事への熱意があり、入社後すぐ志願して商品を取り扱うための社内資格試験を受けて合格し、窓口業務の担当になる。仕事熱心で気が強く、短大卒の学閥から出身短大が外れているため、先輩女子社員たちに疎まれ仲間はずれにされる。だが人の目を気にしないタフさがあり、水矢子は佳那に憧れを抱く。

 

二人と同期の4大卒男性の望月は、身なりを構わず全く人の気持ちが推量れない。地元熊本の無名私大を出ており、学歴が高い同期が馴染めず辞めていく中、売り上げが取れず叱責されてもしぶとく残る。無神経で無礼者だと寮生活でいじめられるが、マイペースで平然としてるのが憎たらしい。

望月の無神経さの描き方があまりにうまく、望月には初めからいらっとさせられる。新人歓迎会でトイレで席を立ったまま戻らず寮で寝ていたなど、顰蹙を買っても謝罪せず、失礼な振る舞いに周囲が眉をひそめても全く気づかない。

 

 

すべての発端は、佳那の姉が以前に須藤という医者と付き合っていたことだろう。

須藤から逃げ出し身内にも音信を断って姉は行方不明。須藤から佳那に連絡があり、身内が貧しく他の女子社員のように家族に契約を頼めない佳那は、須藤に中期国債ファンドの契約を頼む。佳那の姉の居場所を知りたい須藤は佳那にも触手を伸ばすが、難を逃れる。

 

望月はたまたま佳那が須藤の病院にいるのを見かけ、自分も須藤の病院から売り上げが取りたい、社内の人間を見返そうと佳那に共闘を持ちかける。姉からの連絡で佳那が姉の居場所を知ると、他人の思いを汲まない望月は躊躇なく姉の住所を餌にして、須藤から大口の確約を取る。更に上司に銀行マンとつないでもらい、病院の土地を担保にして勝手に融資を取り付ける抜け目のなさ。当時は地価も値上がりし、銀行がどんどんお金を貸していた。

 

無頓着な身なりを率直に佳那に指摘され、望月は佳那を意識するようになる。望月は今でいう発達障害だろうか。自分の振る舞いが周囲に与える印象への無関心が度を越しており、佳那に指摘されて初めて非常識だと知ることばかり。かといって状況を推し量れない部分は変わることもなく、何事も自分本位。佳那の姉の住所を復讐心のある須藤に勝手に教えるなど、好きな女性の家族の苦境を思えばありえない。ここで住所を教えず須藤の病院から大口契約を取れなければ、運命も変わっていただろう。

 

須藤の病院の大口契約で売上ナンバーワンになった望月は銀行と組んで売上を伸ばし、東京本社の国際部に移動する夢を抱く。たまたま上手くいったことで自身の身の丈を見誤り、英語も使えないのに国際部勤務を希望するなど、若さゆえの根拠のない全能感に満ちていた。

 

会員制クラブで望月は医者の須藤から謎の紳士・山鼻を紹介される。この辺りから物語に不穏さが漂い始めるが、山鼻の反社の素性を知っても物腰の柔らかさや親切さに懐柔され、かすかな不安はあっても深く考えず大口顧客として契約を取り続ける。

ちなみに暴対法は91年公布、92年施行。バブル崩壊と前後していた。

 

望月は佳那と結婚し東京勤務になる。だが希望で移動できた国際部には馴染めず、やがてバブルがはじけて株価が下がったことで、自らも大損をする。そして株暴落で大損をした山鼻に望月は追い込まれる。未熟な若者が一人前を気取っても、散々ずるい大人たちに利用され、末路はひたすら哀れである。自分本位なのがいい方向に作用し望月を売上ナンバーワンに導いたが、そもそも望月の実力ではなかった。おまけに相手も悪かった。

 

若手相場師の登場など、実在の人物とリンクする巧みな運びで引き込まれる。NTT株の公開でますます沸き立つ金融業界、名義をたくさん確保して抽選に備える業界の事情も興味深い。高額になったNTT株を買うため、高利なサラ金から普通に借金するのにはびっくり。時代が違うとしか言いようがない。

 

 

佳那は能力が高くやる気があるが、男性社会の中で自分が取れる契約は小口がせいぜいである現実を思い知る。おまけに女であることを営業に使ったように言われ、悔しい思いをする。男女雇用機会均等法が入社の前年に施行されても実態はあまり変わらなかった。

 

もし佳那に過ちがあったなら、それは望月の希望通り結婚して呉越同舟になったことだ。付き合っていないうちから何となく公認の関係にされ、望月の望む流れを受け入れた。保守性が強い土地柄もあり、有望な男性に自分の運命を託すのは自然な流れだったかもしれない。水矢子だけは周囲に一目置かれ群れない佳那の事を、望月が同類だと思うことを危ぶんだのに、望月との距離が近くなった佳那には届かなかった。

 

佳那は東京では専業主婦で、多忙な夫とは一緒に過ごせず身を持て余す。山鼻の年の近い愛人とつるみ、ホストクラブに出入りしたり、ブランド物を買い気を紛らす。金があり豊かな生活でも満たされない。前半のつましい生活と懸命な仕事ぶりから、後半で全く違う生活になるのが読んでいて悲しい。

夫からは株価暴落後の苦境についても全く知らされず、海外脱出を目論む夫に振り回された挙句に運命を共にする。死に場所を自分で選んだのは最後まで佳那らしい思い切りのよさだが、哀惜感が募る。

 

 

望月と佳那より一足先に大学受験で上京した水矢子は、志望校を落ち女子大に入るが、周囲より年齢が上で、不自由なく学生生活を謳歌する周囲と馴染めない。加えて住んだ格安アパートでは男子学生から付きまとわれ怖い思いをする。相談できるのは佳那くらいだが、望月と距離を詰めた佳那に距離を感じて以来相談できないでいた。

四面楚歌で近所の占い師の女性に話を聞いてもらい、そこに住み込みでアシスタントをすることになるのはおもしろい。当時は新宿や大泉など〇〇の母やトイレットペーパー占いなど、いろんな占い師がタレントのようにTVに出ていた。いろいろ盛り込まれていることに感心する。

 

元々質素で堅実な水矢子だけは、過剰な投資をしなかったのでバブルが弾けても実害から逃れた。だが冒頭のエピローグで、彼女が路頭に迷う末路が描かれている。なぜそうなったのか。

 

水矢子は東京の大学に入るのが目標で、その後の学費のめどや生活基盤に詰めの甘さがあった。アドバイスする人もいなかった。

学費が続かない可能性で大学を退学し、夢見ていたフローリングの部屋に引っ越すが、亡くなった母親の借金の保証人にされていたためバブルで少し儲けた分もなくなり、生活は困窮する。

水矢子は派遣社員になるが、年齢が上がり事務職では雇われなくなる。バブルの頃派遣社員は、一つの選択肢としてもてはやされていた。好きな時にゆっくり旅行したりできるし、仕事を選べると。だが年齢が上がるとどうなるのか、当時誰も考えていなかったと思う。

 

とどめはコロナでパートの仕事を失い、最後は家賃が払えずアパートを追い出された。大学を出たとしてもちょうど就職氷河期に当たり世代的に運がなく、母親の借金やコロナ、年齢で働き口が減るのも彼女の責任ではない。いくつもの不運が重なりホームレスとなった。高齢単身女性への社会的サポートの必要性が問われているが、自己責任だけではなく不運が重なり人はこぼれ落ちてしまうこともあるのだ。

 

 

エピローグとプロローグでは、令和の水矢子が井の頭公園で寒い夜をしのごうとしている。本編を読んだ後は、読者は佳那が30年前に夫と死んだことを知っている。語り合う佳那はこの世のものではなく、優しく水矢子を自分がいる世界にいざなう。やり切れない終わり方である。水矢子が生き抜く終わり方にはできなかっただろうかとも思うが、作者は感傷で物語を甘くすることなく怜悧に描ききっている。

 

金はありすぎても無さすぎてもだめで、身の程を知り自分の身の丈にあった生き方ができないと金で身を滅ぼす。

そしていつの時代にも女性の生きにくさがあり、努力家でやる気があった佳那、堅実な水矢子が自分を活かす生き方ができなかったことが悔しい。

 

 

表題は佳那と水矢子を象徴しており、佳那が真珠、水矢子はダイヤモンドである。いかにもバブルな感じのタイトルだが、そこに込められた意味が終盤明らかになり、ひたすら哀感が湧く。夫の汚れた金で遊び歩き、ホストと浮気した薄汚れた真珠と、自分を曲げない、硬度が高く輝かないダイヤモンド。

 

水矢子は異性には関心がなく、アセクシャルの可能性を感じる。だが唯一抱いた佳那への憧れは愛情ではなかったか。人生の最後に現れ走馬灯を共にした、一番大切で愛した人。佳那を独占されて望月に嫉妬した、佳那のことが大好きだったと告白する。

当時の世相に加え、こうした性的指向、望月の発達障害的要素など、現代的な要素が上手く盛り込まれている。

 

初めから結婚が選択肢になく、一人で自由に東京で生きることを夢見た水矢子は、今の時代なら共感を得やすいかもしれない。

女性とバブル期を描く作品はいくつか読んだが、松本清張作品のような金融業界の迫力ある内幕と、現代に通じる女性の生きにくさを描き、単なる郷愁にとどまらないところが桐野さんの作品だなあと思う。