辻村深月の作風は一言で言うとエンタメ文学だが、作風が多岐に渡るので印象も作品ごとに違う。

「闇祓」は最初は学校ミステリかと思ったが、読み終わったら心理ホラーだった。

 

最初に『転校生』というワードが出てくるので一瞬中高生向けの作品なのかな?と思い、読むのを躊躇したが、辻村新月は教育学部卒業で「かがみの孤城」のように『かつての子供』に響く作品も書く力量がある。学校ものだったとしてもそれはそれでクオリティは担保されてるはずと思って読んでみた。発売は2年前。

 

おや、これは、イヤミス?

最初のエピソードと次のエピソードを読み、そう思った。ダメージを受ける側の視点で描かれているので、辛い心理描写がリアリティを持って相当の迫力で描かれる。ぐいぐいくる追い込まれ感に圧倒され、途中で一旦休憩を入れたほどである。

 

最初のエピソードでは、高校生の女子を転校生の不穏さから守ってくれるはずの先輩が、リア恋展開かと思いきやパワハラ的言動をし始めて、加害者となり立場が入れ替わる瞬間が恐ろしい。なのに流れが断ち切れず、女子高生は相手の言い分に押し流されてしまう。優しいと言われる人ほど、つけこまれやすいのだろう。

人は簡単に理解できるものではなく、見た目や表面的印象だけではわからない部分がある。ストーカーまがいの転校生は、コミュ力が低いが実は自分を守ろうとしていて、憧れの先輩は闇を持って自分を飲み込む存在だった。

転校生が先輩を祓う場面はアニメさながらの超展開で、それはそれでおもしろい。闇を振りまく存在は、植物の竹が苦手っていうのがそれっぽくていい。

 

 

2番目のエピソードは、団地のママ友という狭い範囲の人間関係の息苦しさや難しさ。奇妙な気の使い方やグループのルール、スター・ママの存在など、集団内の圧迫感がすごい。ここまでではなくても現実で十分ありそうなことだ。

 

主人公は元局アナのフリーアナウンサーをしている母親で、まだ様子がわからない集団の中で、相手や状況をよく知らないのに自分主体の言動をとるため読んでいてはらはらする。もうちょっと下調べしてからボランティアとかやればいいのに、かなり危なっかしい。自分の見識は普通の主婦よりも広いという自負心からか、いらぬことを言ってしまっている。同調するつもりでマウントと取られかねないこともする。相手の立場になれば、嫌味や上から目線でしかないのに、気を使ってるようでも気づけない。これはやばい、小説でなくても。ここの描写なども立派なイヤミスだ。

 

団地で母親たちが次々に死んでいくのは恐ろしいが、それを悼むフリをして仲間内でゲームのように死を受け入れてるママ友たちはイかれてる。自己顕示欲を言語化せずライフスタイルでスターの立ち位置にいるママも不思議な存在だが、もう一人明らかにやばい母親がいる。いわゆる『変な人』で人との距離感がおかしい『変な母親』に主人公は追い込まれる。この変な母親の言葉には伏線が多く含まれているのに読みながら気づくが、意味してることがわかるのは最後の方だ。

 

 

3番目のエピソードは会社が舞台で、若手社員の目線で話が進む。少し前に転職してきた中年社員をガミガミ叱る中間管理職の先輩。以前は前向きで尊敬してた先輩が、すっかり人が変わってしまい中年社員にパワハラ言動を繰り返すことが気になっている。何時間も叱責を受け、退社後も長時間の電話で上司の話を聞いている中年社員に最初は読者も同情するだろう。だが、何でも自分の話を同調して受け入れてくれる人間を相手に、限りなく自分の欲求や主張を表に出し続けると、話す側は壊れていくのだ。実に巧みな闇の引き出し方である。ここで中年社員の『妻』が話の中で出てきて、前のエピソードとリンクしてるのかな?と思う。

 

 

4番目のエピソードは小学校。転校してきた男の子が、主張が強くわがままなお山の大将(親もまた然り)を、『不正は良くない。きちんとしよう』という名目で周囲を巻き込みながら締め付けていく。他の子供たちも巻き込んで、監視のため自宅にまで出入りするようになり、最後にはその子の家族は崩壊させられてしまう。第2話で団地の子が通うのと同じ小学校でもあり、話がリンクしていくのと同時に第2話の伏線も回収していく。

子供ながら闇を振りまく腕がいい。主人公の男の子は目をつけられたが、ずっと冷静な視点で成り行きを見ていて助かる。理由は竹が匂うからというだけなのか?おばあちゃん家にある竹が? いや、やはり物事を俯瞰で見て冷静で、闇に巻き込まれないタイプというのはいるのだと思いたい。

 

 

最終話は、最初のエピソードでいなくなった主人公の友達を助ける話。最初のエピソードで主人公だった少女は大学生になり、助けてくれた転校生と再会して行動を共にする。

やはり、最初のエピソードでダークヒーロー的存在だった転校生の要が出てくると話が締まるというか、ワクワク感が違う。何かが起こる、悪い奴らを撃退してくれる、そんな期待感が高まる。


『家族』の父親は実は要の実際の父親で、精神科医だった。闇に取り込まれ、要と父以外の家族は皆死んだ。家に入り込み、一家惨殺の結果を招き、メンバーを補充しながら闇を振りまく。恐ろしい『家族』を止めようと、要と仲間たちが奮闘する。

クライマックスでは超常的な事象を要は否定する。あいつらは普通の人間で超能力があるわけではないと。要自身は『闇祓い』として鈴を鳴らしたり、相手の苦手な犬や竹を利用して、相手の力を何らかのやり方(暴力ではない)で押さえ込んだりしている。それも胆力とか集中力とか、気持ちのエネルギーを高めることで対応してるのかもしれない。中にいる本当の人格を揺り起こすことで、『家族』から離脱ができるようでもある。

 

 

最後まで読むと、小説の中で周囲の人間をそそのかして悪意を増幅していた『家族』とはいわば依り代で、人の心に潜む悪意が増幅して『闇』になって乗り移り、家族の形態をとりながら人々の間に潜入していくことがわかる。恐ろしいことに『家族』が欠けても要員を補充しながら『家族』は存在し続けているという設定だ。

「6番目の小夜子」を思い出した。あれは『学校』というものが何らかの意思を持った存在であり、学校のルールとして在校生や教師を動かしているんじゃないかという話だった。

今回はそれが『家族』の形をとりながら、目をつけた相手を闇に飲み込んで破滅させる。相手をコントロールするやり口が人により違うこと、いろんなしがらみで断れないうちに巻き込まれていく怖さ、突っぱねられなくなる集団の状況など、むしろ『闇』そのものよりターゲットにされた集団の状況の怖さが心に残る。

 

エピソードごとに違うやり口を描き、なおかつ各話が繋がっていくのは見事で、もう一度読み返したいと思わされる。『闇』の『家族』の人たちも元々は普通の人であり、巻き込まれた側だったということが一番響いた。

 

誰にでもどす黒い気持ちってどこかにあるだろうけど、この物語の『家族』でなくても、そこにつけこんでくる闇はある。気をつけよう。そしてはねのける強さも必要だ。

 

ラストで他にも『家族』がいることが示唆されているから、シリーズ化できるのではないか。続編が是非読みたい。

そしてこの作品、映像化してくれないかなあ。かなりおもしろいものが作れると思う。連続ドラマにして丁寧に心理描写を入れて、原作を損なわないものにしてほしい。