海で行方不明になった前夫が7年後に死亡認定された後、フリーライターの仕事で取材を通して知り合った男性と再婚した主人公の心の惑いを描いた桐野夏生の作品。

 

ゲームで財をなして湘南の丘の上の豪邸に住む再婚相手は、実在の人物を想起する。この人物の豪邸をお昼の番組で見た。もしかしたら桐野さんも見たかもしれない。海を眺める高い場所からの眺めが素晴らしい、広々としたリビングの豪邸だった。

 

前夫が行方不明になって以来休まらなかった心が、30歳以上年上で事業をリタイアした夫といると楽なのはわかる。夫も前妻を亡くしたので、喪失感などは説明しなくても理解し合える。夫に寄り添って淡々と暮らし、海が見える場所で凪のように過ごす時間は主人公の心を慰める。

 

だが物語は、前夫の母親が前夫と似た人物を見たというところから不穏になる。

海釣りで行方不明になった彼は本当は死んでおらず、実はまだ生きているのではないのか?主人公の心がざわつきだす。

 

タイトルの「とめどなく囁く」とは、主人公の心の中で絶えず繰り返される問わず語りのことだろう。あの人は生きてるの?あの人はなぜいなくなったの?私はなぜ彼に何も話してもらえなかったの?彼が私を通り越して見ていた人は誰なの?

 

 

話の進行とともに、主人公と前夫との関係性が失踪前決して良くなかったこともだんだんわかってくる。誰か他の女性の存在を主人公は感じていた。自分の何かが彼を追い詰め彼は自殺をしたのだろうかという考えや、関係者が知っていたことを自分は知らされなていなかったことが判明して、主人公は混乱し始める。

 

自分の親友が前夫の釣り仲間と付き合っていたこと、親友が前夫たちの釣りに頻繁に同行していたことなど、誰も知らせてくれなかった。前夫が中学生の時に1ヶ月ほど家出した話を親友は知っていたのに、自分は全く知らなかった。前夫は、そして親友も、なぜ自分には話してくれなかったのだろう。

主人公は親友に対しても不信感を抱く。そして今の夫には何も話していないので孤独を抱えることになる。

 

夫には子供が3人いるが、次女は主人公と同じ年齢という複雑な状況だ。

次女は夫と折り合いが悪いので、結婚式も欠席で未だ顔すら見ていない。その次女が書いているブログに自分たち夫婦の悪口が出ていることを、夫の長男の嫁(これも主人公と同い年で次女とは高校の同級生)から知らされ、主人公は落ち込み不安になる。根拠ない悪口を書かれた上、あまりに事情を書きすぎていて自分たちのことだと身元バレするのではないか。

 

 

会話劇と細やかな心理描写からなるこの小説、次から次へと主人公が知らないことが明らかになるので、先が気になりどんどん読めてしまう。

読みながら主人公の心情を思えばこれはイヤミスなのかとも思ったが、前夫の失踪は明らかに事件であり、やはりミステリだろう。読み進めていくと終盤に大きな展開がある。

 

主人公が前夫には他に女がいるのではと疑いを抱いていたことは当たっていた。

釣り仲間の発言をヒントに、前夫を探していくと、失踪後の夫の居場所にたどり着いていた。この辺りはあまりに都合よく感じるが、探す最中の心理描写の荒涼とした感じが大事かなと思うので許せる範囲。

前夫の中学の時の家出が鍵を握っていた。前夫は自分より12歳年上である自分の父の愛人を想い、高校生の時から交際を続けていた。だが父の愛人と一緒になることなど母が許すわけもない。その女が妊娠したことで、失踪してそれまでの人生を捨てた。

 

失踪に手を貸した疑いのある関係者が病気で亡くなった日、主人公に無言電話がかかる。果たしてそれは行方不明になった前夫からだった。前夫はしばらく前から実家に身を寄せていた。

ここはクライマックスだが、主人公が切々と訴える言葉を黙って聞いていた相手から、最後に一言だけ返ってきた言葉、そのか細さ。怖い。

 

伏線となっていたことがきちっと回収され終わる点は爽快感があるが、この後主人公はどういう思いで生きればいいだろうか。それを考えるのが余韻でもあり、テーマである気がする。

 

 

物語の後半で、自殺未遂を図った夫の次女を退院後に引き取り、そこで主人公と初めて対面して言葉を交わすようになるのだが、互いに好感とまでいかなくても意外と会話ができる相手だったことがわかり、そこに唯一希望を感じる。

 

次女と会ってみればなんということはなく、ブログの虚構性も読み手は承知の上だろうとPV稼ぎのための悪口だった。書かれる側の受けるダメージなど軽く考えていたようで、浅はかだがそこまで悪い人間ではない。

そして次女は主人公のことも父親の金狙いの性悪と決めつけていたようだが、実際は前夫が行方不明となり傷心の人物で、自分の父とはそうした部分を共有して距離が近づいたことを察することもできた。

夫の長男や長女よりは、クセがあっても率直な考え方の次女の方が、主人公は話をしていて楽しいようである。

 

この後主人公はどうしただろうか。フリーライターの仕事を再開したり、住まいを夫とともに(あるいは一人で)移るのも考えていたが、実行しただろうか。

自分は案外ここから次女と馴染んでそのまま3人で暮らし、いずれ夫がいなくなっても二人でうまくやっていきそうな気がしないでもない。同い年で同性の話し相手がいる生活というのは、楽しく心強くていいものだと思う。その時間の中で、前夫とのことでついた傷も癒されたらいい。主人公には何ら落ち度がなかったのだから。