ソウルギアがノワール基地を急襲した≪ノワール事変≫から約1週間が過ぎようとする頃、ノワール市民のソウルギアに対する支持は高まりつつあった。その世論に押された市長が自己の所有する屋敷の1つをソウルギアに提供した為、オーディン達は旗艦≪オーファン≫からその屋敷へと移っていた。
ラ・ピュセル確保の任務から帰還したトリレナは、オーディンに呼ばれて屋敷に訪れていた。机に肘を突いた両手に顎を乗せる眼前の男の目は仮面によって隔てられ、その表情を見ることが叶わない。後ろの窓から差し込む光が逆光となり、眩んだ目がそれ以上男を直視することを許さない。トリレナはその場に跪いた。
「……申し訳ございません。述べる言葉もございません」
覚悟はできている。ラ・ピュセルを確保する機会を2度も与えられながら、いずれも棒に振ったのだ。その罪は自分の命以外を以って償えるものではない。生への執着など、アネル皇国軍の1人としてバンドールの俗物共と戦った時から捨てている。
「気にすることはない。人は過ちを認めた時点で既に前へと踏み出している。大切なのは、自らを許し、その過ちを糧とすることだ」
体の奥底から身震いした。恐怖からではない。歓びから来る震えだ。やはりオーディンという男に付いてきたことは間違っていなかった。この慈悲深き心の裏にある強さこそが、世界を本来の姿へと導くことのできる唯一無二の力なのだ。
トリレナは、涙が溢れ出そうになるのを必死にこらえながら、「ハッ!」と返事をした。
「大佐、ラ・ピュセルの行方は今現在不明なのだったな?」
その場にはオーディンとトリレナの他、リゼルとカレンが同席していた。リゼルが「はい」と返事をする。「少佐の指揮していたアスラに接近したバーシラが回収したという情報もありませんが、特務部隊が情報操作をしている可能性はあります」
「JUSTICEか……ツァイコフが籠絡したバンドール内部の連中では処理しきれないな」
しかし、どのようにして次の一歩を踏み出すべきか。トリレナは思索した。今の自分にできることは、オーディンの期待に結果を以って応えること、それ以外にはない。そして、それはラ・ピュセルを見事確保し、オーディンの御前に差し出すことだ。
「閣下、どうか今一度私めにラ・ピュセル確保の機会をお与え下さい! このリンド・トリレナ、不退転の覚悟で――」
「その必要はない。我々に必要な≪カギ≫は2つだ。ラ・ピュセルはその1つを持っているにすぎない。イクシオラ方面の部隊からは作戦も終盤に至ったとも聞いている。ならば、今はもう一つの≪カギ≫を手に入れることに力を注ごう」オーディンは徐に立ち上がってトリレナのもとへと歩み寄り、その肩に手を掛けた。その仕草はとても穏やかなもので、手袋と仮面の壁を乗り越えてその優しさを感じた。「少佐は、ラ・ピュセルに対する銀髪鬼の執着心を明らかにしてくれた。これは重要なことだ。少佐には感謝している」
「もったいなきお言葉!」
「重要なこととは?」リゼルが尋ねた。
オーディンは机上に置かれていたシャンパングラスの柄をつまみ上げた。「我々がラ・ピュセルを追わずとも、銀髪鬼は必ずラ・ピュセルを連れてもう一つの≪カギ≫のもとへ現れるということだ」黄金の海の中で小さな気泡がきらめき昇るそのグラスをカレンの前に置かれた同じ物に触れさせる。品の良い音が空気に溶けると共に、2つに隔てられた黄金の海が共鳴するように揺れた。
「……それは、ソウルギア総帥≪オーディン≫としてのお考えなのですか? それとも――」尋ねたのはカレンだった。
「……今の私は、ソウルギア――すべての持たざる者達の導き手でなければならないと自覚している。たとえそれが分不相応であるとしてもだ」
カレンがオーディンを見る瞳はどこか暗く、哀しげに見えた。
※
北コーネリア大陸の中央西部に位置する王都≪アヴァロン≫は、王都に相応しくイクシオラ王国最大の都市として有名である。空港を出て通りを歩くレイ達3人の中で、やはりクラウだけは目に飛び込んでくる美しい街並みに心奪われ、首が取れてしまうのではないかと心配になる程に顔をきょろきょろとさせ、はしゃいでいる。
世界一の魔術大国であるイクシオラ王国は、そのプライドも相まって≪科学≫に対しアレルギー意識を持った国民が多く、クラシックな街並みであり、観光客も多い。また、5000年前に起きた≪技術革命≫の爆心地である科学大国≪ラ・ヴァリオン帝国≫から位置的に離れていることも原因の1つだと考えられている。
「まったく、あんまりきょろきょろすんなよ。田舎者みたいじゃねぇか」
「いいでしょ、実際田舎者なんだから!」クラウが口を尖らせて言った。
「じゃあせっかくですから、アヴァロンの名物料理でも食べに行きますか? 丁度お昼ですし」
「お、いいねぇ!」
「うん、うん! 賛成!」
アヴァロンの名物料理といえば選ぶに事欠かないが、特に有名なのは≪アマトリシアンナ≫というトマトベースのパスタだ。アヴァロンで最もポピュラーな料理であり、レイの大好物でもある。
一同がすっかり観光気分で浮かれていると、何か視線を感じた。殺意はない。レイがその元を辿ると、アヴァロンの市民がこちらを野次馬の目で見ている。その数は徐々に増え、こそこそと耳障りな声が大きくなってくる。
初めは歴代最年少の宮廷魔術士を見るミーハーな視線かと思った。しかし、聞こえてくる声の限りではどうもそうではないらしい。
「あの髪の色って……」
「きっとニュースでやっていた≪銀髪鬼≫よ……」
「こんな街中を堂々と歩いているなんて怖いな……」
明らかにレイを見ている。確かに≪銀髪鬼≫の名は有名だが、それはあくまで軍や闇社会での話であり、このような一般市民が知っているようなものではない。しかも、ニュースでやっていただと?
「……この街で何か悪い事したんでしょ?」クラウが目を細くしてじっと睨んでくる。
「知るかよ!」
「じゃあ何でこんな犯罪者みたいな目で見られてるのよ?」
「俺が訊きたいわっ!」
「とりあえずここは目立ちすぎますし、早くお店に行きましょう」
つづく
