昨日UPした「今週のGO!アクエリオン」の中で
正義論に関するレポートを昔書いてS評価をもらったことを思い出したので
せっかくだから転載します。
至極真面目で難しいかもしれませんが
「正義ってなんだろ
」とふと考えることのある方にはぜひ読んでいただきたいです。
1 価値相対主義からの脱却
⑴ 価値相対主義
「正義」とは何か。この問題は,長い間,積極的に議論されずにいた。なぜなら,正義が何であるかという問題に対する答えは,人それぞれ異なるものであり,実に相対的かつ主観的な問題だとされてきたからである。正義についてこのような捉え方をする考え方を「価値相対主義」という。
この価値相対主義の典型といえる論理を展開したのが,ハンス・ケルゼン(Hans Kelsen)である。ケルゼンは,「法」とは「実定法」のみを指すという法実証主義をベースとした純粋法学を説いた。ここにいう純粋法学とは,「純粋な,すなわち,①一切の政治的イデオロギーと,②一切の自然科学的要素から純化されたところの,その対象が固有法則性を有することによってその特質を自覚した法律理論」のことである(ケルゼン『純粋法学』横田喜三郎訳,岩波書店,1935年)。すなわち,法とは何なのかという問題を分析するに当たり,道徳,神学及び政治的イデオロギーといった法外在的な価値判断,並びに自然科学,法社会学その他の経験科学に価値はなく,純粋に法の価値を捉えるべきだとする。特に,ケルゼンは,正義について,「正義は非合理な理想である。正義は認識にはなじまない。合理的な認識の見地からみると,あるのはただ色々な利害と,それゆえに利害の様々な衝突だけである。」と述べている(ケルゼン『法と国家の一般理論』尾吹善人訳,木鐸社,1991年)。さらに,「実際,私は正義とは何か,人類の美しき夢である絶対的な正義とは何かということなど知らないし,それについて語ることもできない。私は相対的な正義で満足せねばならず,私にとっての正義とは何かということを語ることができるだけに過ぎない。学問が私の天職であり,それゆえ私の人生で最も大切なものである以上,私にとっての正義は,その庇護の下で学問が栄え,学問とともに審理や知的廉直も栄えることができるような,そうした正義である。つまり,私にとっての正義は,自由の正義,平和の正義,民主主義の正義,寛容の正義である。」としている(ケルゼン『正義とは何か』宮崎茂樹他訳,木鐸社,1975年)。
このような価値相対主義及び法実証主義が,19世紀半ばから1960年代の終わりごろまでの潮流であり,「正義とは何か。」という問題は,積極的に論じられることがなかったのである。
⑵ ロールズによる正義論の見直し
しかし,1971年,ジョン・ロールズ(John Rawls)が『正義論』という著書を出版したことにより,一度は省みられなくなった正義論が,一躍注目を浴びることとなった。
そして,この時に議論となった正義を巡る問題とは,配分と交換における諸個人間の公平性に関するものであった。なぜなら,ケルゼンが説いたような価値相対主義は,ヨーロッパ法思想という大きな流れの中においては例外的な考えであったからである。そもそも,ヨーロッパの法的伝統は,正義という観念について,個人の道徳的確信,政治的信条等ではなく,複数人間における公平な関係性にかかわるものだと考えられていたのであり,人が複数で行う社会的行為のほとんどは,何らかの形で「配分」と「交換」という側面を有しているのである。
2 正義論見直しの背景
⑴ 逆差別の問題
ロールズが『正義論』を出版した時期,ロールズの出身であるアメリカでは,自由と平等の名の下に差別撤廃を図るべく,積極的差別是正措置(アファーマティブ・アクション)をはじめとした一連の公共政策を行っていた。具体的な積極的差別是正措置として,公的資金による住環境の整備,就職先又は就学機会の提供及び斡旋等が行われた。しかし,このような積極的差別是正措置は,これによる利益を受けるができる人間とできない人間との間の不公平をもたらすこととなった。いわゆる逆差別である。
⑵ 功利主義
そこで,アメリカ政府は,この一連の公共政策を正当化すべく,ジェレミー・ベンサム(Jeremy Bentham)らが説いた功利主義に基づく説明を行った。功利主義とは,行為及びルールはすべての人間にとっての結果(価値)のみによって評価されるという考え方であり,すべての人間は,最大多数の最大幸福を目指して行為をしなければならないとする。
しかし,功利主義には問題点がある。そのうちのひとつが,少数派の受忍強制についての問題である。功利主義が安易に説明の材料とされると,最大多数の最大幸福を実現できる限り,マクロの視点からみれば少数派にとっても最大幸福がもたらされるという理由から,少数派は,個人的な幸福を得られないことについて受忍を強制されることとなる。すなわち,積極的差別是正措置によって逆差別が生じるとしても,その逆差別によって負担を被るものは,公共の福祉の観点から受忍するほかないということである。
このような功利主義の弱点を克服しようとして個人の権利を重視したのが,ロールズである。
3 公正としての正義
⑴ 原初状態
まず,ロールズは,「原初状態」という観念を持ち出す。原初状態とは,正義原理(社会の基本的構造)について何も決まっていない状態をいう。したがって,原初状態下の人間は,権利義務並びに富,収入及び機会の配分という正義原理(社会の基本的構造)に関し,公正な手続的条件下において全員一致の合意を目指した話し合いを行っていくこととなる。その公正な手続的条件とは,①すべての当事者は道徳的人格として平等であり,発言権及び拒否権を保障されるということ,②当事者は人間社会に関する一般的事実以外の自己の特殊な利害に関する事実について一切認識しておらず,「無知のヴェール」を被っているようなものだということ,及び③当事者は合理的に,かつ,他人の利益について全く考慮せず,自己利益の最大化のみを目指して行動するということである。
⑵ 正義のニ原理
そうすると,原初状態下の人間は,前述のように公正な手続的条件に基づいてどのような正義原理(社会の基本的構造)を採択するのか。
原初状態下の人間は,無地のヴェールを被っているため,自己が社会的強者となるのか弱者となるのか,全く予想できない。それならば,原初状態下の人間は,自己が社会的弱者となる可能性を重視して,社会的弱者であっても最低限の生活が保障されるような正義原理,すなわち配分のルールを選択するだろう。その正義原理とは,以下のとおりである。
第一原理
各人は,すべての人の同様な自由の体系と両立する平等な基本的自由の全体系を最大限までもつ平等な権利を有するべきである(自由の平等原理)。
第ニ原理
社会的・経済的不平等は,次の条件を満たす場合にのみ許されるべきである。
① 正義にかなう貯蓄原理と矛盾せず,最も恵まれない人の便益を最大化すること(格差原理)
② 公正な機会の均等という条件のもとで,すべての人に開放されている職務及び地位に付随していること(公正な機会均等原理)
そして,第一原理は,第ニ原理に優先する。さらに,この正義のニ原理は,最大多数の最大幸福という功利主義的な政策配慮に例外なく優先する。これが,ロールズによって主張された公平な配分の理論である。
⑶ 公正としての正義の影響
こうしたロールズによる正義のニ原理は,前述したアメリカにおける一連の公共政策の根拠とすることができる。しかし,それだけにとどまらず,社会保障制度の再構築という負担と利益の公平な配分をめぐる制度設計についても大きな影響力を持っている。以下,公正としての正義と社会保障制度の再構築という問題との関係について論ずる。
4 社会保障制度の再構築
⑴ 国家賠償法と社会保障制度の理念的相違
国家賠償法と社会保障制度の理念的相違について,予防接種禍につき被害児の両親が国に対し損害賠償請求を求めた事案において,東京地裁昭和59年5月18日判決(判時1118・28)が,結論として国の不法行為責任を否定しながらも述べている。「いわゆる強制接種は,・・・・・・伝染の虞がある疾病の発生及びまん延を予防するために実施し,・・・・・・それは,集団防衛,社会防衛のためになされるものであ」り,「いわゆる予防接種は,一般的には安全といえるが,極く稀にではあるが不可避的に死亡その他重篤な副反応を生じることがあることが統計的に明らかにされている。」「〔一般社会のために〕生命,身体について特別の犠牲を強いられた各被害児及びその両親に対し,右犠牲による損失を,これら個人の者のみの負担に帰せしめてしまうことは,生命・自由・幸福追求権を規定する憲法13条,法の下の平等と差別の禁止を規定する同14条1項,更には,国民の生存権を保障する旨を規定する同25条の・・・・・・法の精神に反するということができ」る。そして,被害者に対し「国民全体の負担において,これを償うべきものと解すべきか」否かは,「一つの政策の問題に帰着する」とした。すなわち,59年判決は,予防接種は伝染病予防という公共の福祉を目的としてなされるものであって,不法行為責任という個人的被害は問題にならないと判断した。
その一方で,医師又は国の制度設計における過失が認められないために不法行為が成立しないとしても,憲法13条,14条及び25条に基づく損失補償の可能性は認めている(後述参照)。
したがって,59年判決の判断背景には,不法行為法は過失責任主義に基づき侵害行為に対する賠償を認めるものであり,社会保障制度は不法行為に該当しない損害惹起行為に対しても損失補償を認めうるものという制度趣旨・理念の相違があるものと考えられる。
⑵ 人格権侵害の場合における国家賠償法と社会保障制度の類似性
59年判決の事案において,原告は,憲法29条3項に基づく損失補償についても請求している。これに対し,59年判決は,原告の主張を認容し,憲法13条,25条の精神に基づき,「生命,身体に対して特別の犠牲が課せられた場合においても,右憲法29条3項を類推適用し,・・・・・・被告国に対し正当な補償を請求することができると解するのが相当である」とした。
この判断は,予防接種禍の事案において,国家賠償法では被害者を救済できないことから,救済の道を摸索する中で至ったものである。したがって,国家賠償法と社会保障制度の相違を前提としていることとなる。しかし,59年判決は,29条3項所定の「正当な補償」の中に,死亡又は後遺症による全損害及び慰謝料を含めるとした。したがって,結果として被害者は,国家賠償請求が認められた場合と何ら変わりのない救済を得ることとなる。
現在,多数説は,憲法29条3項は財産権に関する規定であって,人格権について保障したものではないと解している。しかし,59年判決は,財産権に関する損失補償が認められているにもかかわらず,財産権よりも重要な人格権に関する損失補償が認められないはずはないとの見解に立ったものであると考えられる。すなわち,59年判決は,財産権よりも人格権が当然に優先することを確認したものだということができる。
したがって,人格権侵害の場合における国家賠償法と社会保障制度とは極めて類似するものであり,59年判決から,前者を後者が包含するものとして再構築することの可能性を導くことができる。
⑶ 公正としての正義と社会保障制度の再構築との関係
ロールズが提唱した公正としての正義は,人格権を財産権(功利主義的説明)に優先させるものであった。その考え方は,人格権の優先的実現という目的に沿って,国家賠償法(不法行為法)を整合的に包含する社会保障制度の再構築を目指すに当たって,大きな支えとなるものだろう。
5 公正としての正義の問題点
上記のとおり,ロールズが提唱した公正としての正義は魅力的なものであるが,問題点がないわけではない。
⑴ 格差原理の問題点
ロールズは,正義のニ原理のうち,格差原理について,最も恵まれない人の便益を最大化せよと説く。しかし,「最も恵まれない人」とはどのような人間のことをいうのかが不明確である。したがって,この定義・解釈次第によって,結論が変わってしまうこととなる。
また,ノージック(Robert Nozick)は,格差原理につき,個人の権利を侵害しているとの批判を呈している。すなわち,個人の才能を「社会的共同財産」とみることは,才能に恵まれた人の権利を他者の福祉の手段として侵害することになるという。
⑵ 「無知のヴェール」における無知の程度
ロールズは,原初状態の人間は「無知のヴェール」を被っているとする。しかし,「人間社会に関する一般的事実以外の自己の特殊な利害に関する事実」とは,どの程度のことを指すのかがやはり不明確である。
6 結語 ―― 私個人の見解
「正義」とは何か。私個人の答えとしては,価値相対主義に近い。正義が何であるかという問いに対する答えは,個人によって異なるものであって,どの正義が正しいかなど誰にも分からないし,どの正義も正しいのではないだろうか。すなわち,「正義」という観念は極めて主観的な要素であり,客観的要素として他者が批評できるものではない。
ノージックは,ロールズが目指したような平等主義的リベラリズムを批判し,リバタリアニズムとして「小さな政府」を主張した。現に,小泉内閣時は,小さな政府を目指した改革路線がとられ,国民の大多数がこの路線に賛同していた。しかし,2010年現在においては,小泉内閣が提唱したような小さな政府を目指すべきだと主張する国民は,少数派になってしまっているだろう。それでは,果たしてどちらの正義が正しいのか。私は,そのような問いはナンセンスだと考える。なぜなら,正義が何であるかという問いに対する答えは,前述したような個人によって異なるだけにとどまらず,その環境・時代背景によって当然に異なるからである。したがって,当時,ロールズの正義論が大いに注目されたのは,その当時のアメリカにおいて,ロールズが提唱した正義が正しいと思われたからに過ぎず,2010年現在においても正しいかどうかということは,また別の問題なのである。
あえていうならば,「全体としての正義」とは,その時代の多数派の意思である。つまり,選挙人の多数派によって選出された議員のうちの多数派が正しいと考える正義こそが,その時代の正義であるといわざるをえない。
よって,「正義」とは,一義的に定義できるものではなく,個人及び環境・時代背景によって異なるものであり,「全体としての正義」という意味においては,その時代の多数派の意思をいうのだと私は解する。