IBMCの支部は世界中の町に点在している。各地のバウンティーハンターは、そこで賞金首を意味する「ウォンテッド」の情報を得て、捕まえたら引き渡す。そして賞金を受け取るのだ。
アクアラにも支部はある。しかし、ここは田舎の小さな港町だから、支部の規模も小さく、窓口も2つしかない。そうはいっても、参照できるウォンテッドの情報等に違いはなく、特段困ることもない。
ジェレミーから「銀髪鬼」と呼ばれた男はそこにいた。IBMCの支部は24時間窓口を開けているが、既に日は落ちてしまったし、場所柄もあって、銀髪の男以外、バウンティーハンターは誰もいない。捕まえたジェレミーも既に引き渡してしまった。銀髪の男は、受付から少し離れたところに置いてある雑誌棚の前で、雑誌の表紙を見て物色している。特に意味はない。単なる暇つぶしだ。
「ヴェネディックさん、レイ・ヴェネディックさん」
受付の女性職員に呼ばれた。
「ぇと、ジェレミー・ダービー、詐欺罪の被疑事実で手配中のウォンテッドですので……10万スフィアの交付です。お確かめ下さい」職員は10万スフィアの現金を受付台の上に置き、レイに差し出した。
この世界の統一貨幣である「スフィア」は、硬貨と紙幣に分かれている。レイに対して差し出されたのは、1万スフィア紙幣10枚である。
「まいどあり!」
レイは、嬉々とした表情を浮かべながら10万スフィアを手に取った。久しぶりにまとまった賞金だ。ここ1か月は初犯の万引き犯や賭博犯といった小物ばかり相手にしていたから、捕まえたとしてもせいぜい5,000スフィアに留まり、酒好きのレイにとっては質素倹約という苦行が続いた日々であった。レイは、今夜はジェレミーが食い逃げをした店にでも行って、たらふくご馳走を頂くことにしよう、そう心に決めた。
支部を出ようとすると、入口横の壁に貼られた1枚の手配書が目に入った。壁にはその手配書以外にもたくさんの手配書が一面に貼られており、ウォンテッドの写真又は似顔絵、名前、目撃情報等が記載されている。しかし、レイが足を止めて見入ったのは、その1枚のみであった。それは、「ガウリィ・ラトキエ」という男の手配書であった。被疑事実は8件の殺人。その賞金額は700万スフィアだ。こんな巨額のウォンテッドはしばらく見ていない。レイは、次のターゲットはこの男だと一目見て決めた。
手配書にはそれ以外にも何か書かれていた。
職業 無職
特記事項 凄腕の兵士として活躍していたが、無抵抗の敵兵を惨殺するという行動をとるようになり、様々な国家の軍を渡り歩いていた。現在はどこの軍にも所属せず、一般人を惨殺している。
ガウリィ・ラトキエ――レイもその名を聞いたことがあった。兵士としての実力は有名である。その賞金額もさることながら、レイは、久しぶりに本気を出せるかもしれないという胸の高鳴りを鎮めることができずにいた。
※
この世界――「アスガルド」は、約1万年前、ラグナロクの時代に分かたれた世界の片割れであり、魔術と錬金術、そして科学が共存する世界である。
アスガルドには7つの大陸が存在する。その内、「北コーネリア大陸」、「南コーネリア大陸」、そして「メガリス大陸」は「三大大陸」と呼ばれ、それぞれの大陸は、主に「イクシオラ王国」、「バンドール共和国」、そして「ラ・ヴァリオン帝国」によって統治されている。アスガルドでは、その規模を問わず多くの国家が興亡を繰り返し、聖暦1853年現在でも多くの国家が存在しているが、この3つの国家がアスガルドの三大国家と呼ばれ、その経済力と軍事力で世界を席巻している。
工業都市ノワールは、バンドール共和国にある。南コーネリア大陸を支配する唯一の国家バンドール共和国は、50年前――聖暦1803年に市民革命が起きて以来、世界で最初に民主主義の原理を国制に導入し、国民の直接選挙によって選ばれた者が首相として国政を執り行う国である。民主主義と共に資本主義を取り入れ、積極的に経済政策を進めた結果、経済が著しく成長し、現在では世界最大の経済大国となるに至っている。
ノワールは、そんなバンドール共和国の経済を支える都市である。元々は鉄鉱石が採れる鉱山町として始まった。ノワールという名前も、鉄鉱石の黒々としたその色に由来している。しかし、現在では、国中の企業やその下請会社の工場が密集し、「バンドールの工場」と呼ばれている。
一方、急速な発展の代償として得たものは、世界でも類を見ない環境被害であった。工場から流れ出た有害物質によって、街を流れる水路の色はくすみ、その底を見ることはできない。また、工場の屋根から抜き出た煙突から出る煙はノワールの空を灰色に染め上げ、太陽の輪郭を歪めると共に、その光が届くこともままならない。その光景は、奇しくも「ノワール」という街の名前を体現したものであった。
白いワンピースを着た若い女は、茶色の紙袋を両手で抱きかかえ、ノワールの通りを走っていた。他にその通りを歩く者はいない。空にはくっきりとその輪郭を見せる満月が浮かんでいるし、通りを挟む店はすべてシャッターを閉め、家の明かりも消えているのだから、当然だ。女が抱えた紙袋の中には薬が入っている。病で寝たきりとなっている母が、夜中になって急に発作を起こしてしまったため、女は、母が係りつけている医者のもとへ駆けつけ、その医者を無理に起こして薬を出してもらったのだ。
肩で呼吸をする女は、立ち止って壁に寄り掛かった。少し休みたい。しかし、早く母のもとへ行って薬を飲ませなければならない。そんな葛藤が心の中で始まったが、足ははっきりと言うことを聞いてくれない。早く、早く帰らないと――
ふと、何かの気配を感じた。誰かいるのか。女は辺りを見回すが、誰もいない。ただただ冷たい夜風が通りを吹き抜けていくだけだ。気のせいかもしれないが、気持ちのいいものではない。早く帰ろう、そう思って女は歩き出した。
すると、何者かが女を背後から抑え込み、悲鳴を上げようとする女の口を大きな手で覆った。女は精一杯の力を振り絞って体を捻り、足を蹴りつけるなどして暴れるが、その力が一瞬たりとも緩むことはない。
女は、得体のしれない誰かに抑え込まれたまま、仄暗い路地に連れ込まれていった。
つづく
