息子の自己紹介
⚫︎息子 しゅんくん
⚫︎2015年生まれ 令和6年の4月から小学3年生
⚫︎家族 パパ・ママ・ばぁば・しゅんくんの4人
⚫︎一人っ子
⚫︎令和2年4才の時に新版K式発達検査を受けて自閉スペクトラム障害・軽度知的障害と診断されました。
令和3年6才の時にWISC-IVを受けていますがIQは軽度知的障害の範囲でした。
⚫︎投薬治療などはしていません。
⚫︎療育手帳は持っていません。
⚫︎放課後等デイサービスに通っています。
⚫︎一度は特別支援学校に入学しましたが2年生の2学期から小学校の特別支援学級に転校しました。
11月の下旬。
2回目の支援級練習も2時間目の休み時間まで小学校で過ごしました。
朝の会では"みんなのはなし"を聞いて質問をするという事でクラスの男の子がSwitchのゲームの話をすると、しゅんが
と言い、喋っていた子が
と聞いてきて
と答えていました。
支援学校では同級生と会話する姿を見た事がなかったので、こういう息子の姿を見るのは新鮮に感じました。
授業の時間(1、2時間目)では、平仮名の練習プリントを4枚、数のプリントを1枚やったようです(後から支援学校の先生に聞きました)
5〜10分ぐらい経つと集中力が切れていたようですが席を立ったりする事もなく過ごせていました。
勉強が終わった生徒から教室の後ろで遊び始めたのですが、しゅんも6年生の男の子や同学年の男の子たちと楽しそうに遊んでいました。
そして2時間目の休み時間が終わり、支援学校に戻る事を伝えると
と言っていました。
この年の支援級練習は、この2回で終わってしまいました。
2回しか出来なかった理由はコロナだそうです。
確か、この時に言われていた事は、この小学校のどれか1クラスでも学級閉鎖になれば絶対に支援級練習は出来ないということ。
この時期は何やかんやで学級閉鎖になるクラスがあるような状態でした。
これじゃ全く先に進まないと思ったので2回目の支援級練習が終わった後に支援学校の担任の先生に
と聞くと
と言われました。
この言い方を聞いた時は、小学校が12月になったら、しゅんの転校を認めるか認めないかという意味だと思いましたし、支援学校の先生も、そのつもりで言ったのかもしれません。
でも実際は、そんな簡単な話ではありませんでしたし、支援学校の担任の先生も何だかよく分からずにやっている部分があったのではないかと思っています。