私は今、学童保育というかたちで
日々小学生の子どもたちと過ごしています。

ある日子どもに聞かれました。


「先生って小さい時

 何になりたかったん?」



「先生は小さい時
 
 看護婦さんになりたかったわぁ。」





すると

「じゃあ、なんで学校の先生してるん?」




う~ん・・・
色んな経緯やつながりを話すんも長くなるし・・・

かと言って

「小さい時から保育士になりたかったんやで。
 夢は叶うんやで。」

と話した方が良かったのだろうか??

でも本当にずっと看護婦さんになるのが夢やったし
うそはつきたくないし。。。


でも子どもが「なんで??」って聞くのも
当然やなぁ。
保育士になる前も全然ちがう仕事をしていたから
「なんで??」って
大人でも聞かれるからなぁ。


私なんで今、小学校で子どもたちから「先生」って
呼ばれて毎日を過ごしてるんやろう??


思えば、子どもは大嫌いだった。
小さい時の色んな体験から
「保母さんには死んでもならない!!」
そう決意していた。


ただ単に
看護婦さんになりたいから
保母さんにはなりたくないではなく、
ただ単に
やりたくないからではなく、

異常に
「絶対したくない!!」
という強いものだった。


以前、「子どもとの出会い」を日記に書きました。


http://ameblo.jp/youma-ru/entry-10078380344.html




「子どもが嫌い」なのも
単に嫌い・苦手なのではなく
腹が立つような、憎しみがわくような(笑)
異常なくらいの「嫌い」だった。


自分の過去を振り返ると、
私には
まわりから見たら普通なことでも
自分にとっては絶対に嫌だと思っていたものが
結構あったなぁ。

そして、そういうものほど
実際やって見ると一番長く続いたり
実は自分にすごく合っていたり
大嫌いなものが大好きに大転換したり
「絶対イヤなこと」「大嫌いなもの」
「私には絶対できない」
そう強く思うもの程
私にはとても大切なものになっている。


どうやら
この異常なくらいの
自分の内側で
反発するものほど
実は自分の
本当の心をあらわしてくれているもののようだ。


嫌いなもの
苦手なもの

そんな中にもヒントってあるのかもしれない。


大好きも大嫌いも
同じくらい強いものだから。


子どもたちにも
強制するのではなく
自分のなかに反発する心がおきたら
それが何かのヒントになるんだよって
伝えられたらいいなぁ。