またまた起きてしまった。
親が障がい者の子供を絞殺する事件(2020年7月)が起き、裁判の内容が記載された記事(2021年12月5日)が掲載されていたので拝見する。
47NEWSに「何かもう疲れてしまった。だめなお母さんでごめんなさい~障害がある17歳の息子を絞殺した母の絶望 ワンオペ育児、自身のうつ病~」というタイトルの記事で、障がい者の子供を持つ親の苦悩の限界がこのような悲劇を生んでしまう社会が問われるべきで、母親にすべての責任を負わせるのには問題があると、以前からこのような事件が起きるたびに思っている。
最初に知った事件は、1970年に横浜市で母親による脳性マヒ児の絞殺事件が起き、子育てに疲れ絶望的になった母親への同情が、地元町内会などの減刑嘆願運動となった事件があり、これに対して脳性マヒ者団体「青い芝の会」の横塚晃一氏らは、「重症児に生きる権利はないのか」「罪は罪として裁け」と訴えたのである。
障害児者の立場からすれば当然の権利で、親がどのような理由であれ一方的に子供の生存権を奪うことは許されない事であるからこそ、このような事件が起きないためには、国や社会が、個人では解決できない問題を抱えた人々にどのような地域支援が必要なのかという問題提起だったのであるが、その後も同じような事件が後を絶たない現実である。
近々では、親が子供への虐待で死に至らしめる事件や2019年に元農林水産事務次官の父親が、無職の長男を刺殺した事件がニュースとして取り上げられ、引きこもりの子供を抱えた家族の問題が大きく取り上げられ、「8050問題」としての社会的な問題を浮き彫りにした事件でもある。
障がい児者や引きこもりの子供との同居する家族が抱える問題を、個人や家族で解決するには、現実的に厳しいということを認識せざるをえないなかで、今回の事件に対する総括として、『周囲にSOSのサインを上手に出せず、追い詰められた末に無理心中を図った。地域や行政はこうしたケースにどう向き合い、手を差し伸べたらよいのだろうか。重い課題が残ったままだ。』
と地域や行政に投げかけて記事は締めくくっている。
このような悲劇的な事件が起きないためにも私たちは個人に責任転嫁せず、社会として責任を引き受けるためのワンストップで包括的に連携したセーフティーネットの支援システムを行政や民間の協働で構築することが喫緊の責務であると思える。
・「何かもう疲れてしまった。だめなお母さんでごめんなさい」の記事