歴史の話:名前「諱」(3) | youkiさんのブログ

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避諱(ひき):死者(祖先)・貴人の諱を避けることですが。

中国ではこれが徹底してます。特に皇帝の「諱」公文書にも使ってはいけないと言う決まり事があるんです。

一例を上げるなら。

漢の初代皇帝:劉邦。

「邦」が諱です。中国では今で言う「国」を元々は「邦」と書いていたのが。使えなくなった。そこで代わりに「国」の字が一般化して現在に至ると言われています。

もしかすると。「日本国」や「中国」ではなく「日本邦」や「中邦」となっていたかもしれないんですよo(^-^)o。

また。中国では祖先の諱を使うことも避ける為。
例えば。「儒学の祖」孔子は。子々孫々まで世代毎に「この字」を使いなさいと「名前」の指示書を遺しています。

こうした流れからか。中国では現在でも兄弟や同世代の親戚が同じ漢字を名前に使ったり。同じ部首の漢字を使ったりします。

有名なトコで例を上げるなら。

宋王朝:太祖趙匡胤の息子は徳昭・徳芳。と「徳」の字。孫の世代は惟吉・惟憲。と「惟」の字を使ってます。

同じ宋王朝:北宋最後の皇帝欽宗の諱は「桓」。南宋初代皇帝高宗の諱は「構」。兄弟で「木ヘン」の字を使ってます。

こうした共通する字を「系字」と言うんです。