奥畑米峰さん 嘉納治五郎さん 岩崎小弥太さん | 郁丸ブログ

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新潟で民俗を愛好しつつ漫画を描いている高橋郁丸のブログです。
新潟妖怪研究所の所長であります。よろしくお願いいたします。

このたび、諸橋轍次さんの紙芝居を書くために、
関わった方々のこともちょっと調べたのですが、
多くの方に知っていただきたいな、と思う方もいらっしゃいます。
その中から三名を、こちらでご紹介させてください。
 
奥畑米峰(儀平)さん。
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この方は諸橋轍次さんのお父さんの朋友で
諸橋轍次さんの学塾「静修義塾」の先生でもあります。
村松藩士で、明治になってからは
刀を捨てた武士の生き方を模索しまして、
下田で茶畑を作ったり、馬の牧場を作ろうとしましたが、
自由民権運動にも力を入れて
加波山事件の国事犯をかくまって一年間入牢、
茶園も産馬会社も解散となってしまいまいました。

産業で地域を活性化させようという夢が破れ、
たどり着いたのが「教育」でした。
下田の地で、7年間で166名の門弟を教育したそうです。 
 
 
嘉納治五郎さん
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柔術を集大成して講道館柔道を創始した、有名な方です。
実は教育者としてもとても優秀な方で、
諸橋轍次さんは東京師範学校で指導を受けています。
そして、嘉納さんの計らいで中国留学もかないます。
嘉納さんはグローバルな考えを持った方で、
ラフカディオハーンを教師として日本に招いた方でもあります。
それだけ、英語は堪能な方だったようです。
さらに、およそ8,000人の中国からの留学生に教育を施し、
中国の教育の基礎を作る教育者として巣立たせたともいわれています。

東洋最初のIOC(国際オリンピック委員会)委員となって、
カイロ総会で、冬季大会の札幌招致に成功したものの
帰途、太平洋上の船中で肺炎で死去という情熱的な方であります。
(この誘致は幻のものとなりました)
もともと、武道も教育の一環と考えておられたようなので、
やはり「人を育てる」ことの大切さを感じていたのだと思います。  
 
 
 
岩崎小弥太さま
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この方はただいま「竜馬伝」に登場している
岩崎弥太郎の弟のお子さまです。
三菱の四代目の総裁です。
この方、190cm 100kgという巨漢だったそうです。
ケンブリッジ大学を卒業、三菱を財閥に育てる傍ら、
山田耕筰さんを留学させ、
東京フィルの育成に力を入れたそうです。
アジアの文化を保存する意味で静嘉堂文庫を
作りまして、こちらの資料を諸橋先生が中国で収集、
後に文庫長を勤めました。
終戦時、GHQの圧力による財閥解体に最後まで抵抗しました。
財閥が、私欲のために戦争をおこした、というGHQの言葉に
納得がいかなかったからです。
国際的な思考力を持ち、芸術文化にも憧憬が深く、
経営能力にも長けていた岩崎小弥太さんですが、
結局三菱財閥は解体され、失意のうちに亡くなっています。