こんにちは、ルシファーです。
人は11才、14才、17才でハマッたものを一生好きでいるとかいないとか、そんなことを聞いたことがありますね。ぼくはある気がします。
思えば意識的に音楽を聴くようになったのが11才くらい、ぼくが好きなのが「ヘヴィメタル」というんだと自覚したのが14才頃、そして「違う、ぼくはパンクスなんだ」と思ったのが16〜17才くらいでした。
「パンク」という音楽ジャンルは知っていたし、MISFITSの「EVILIVE」にガツンとやられたのは14才のときだし、セックスピストルズの「勝手にしやがれ」を買って聴いてたのは15才頃だったけど、「パンクとは音楽ではなくカルチャーなんだ」ということは16才のときに出会った友達からの影響でやっとわかったことでした。
17才になる年のはじめに、その友達と2人で、お年玉を握りしめて行った、原宿の竹下通りの靴屋さんで、当時は今の半値近い価格で買えたジョージコックスのラバーソールを手に入れました。
振り返ればあれが、ぼくにとって、自分がパンクスになった出来事だったのだと思います。
当時は、所謂裏原ブームの末期頃だったので、ストリートファッションにはパンクの影響が色濃くありました。
丁度、ヒップホップとパンク/ハードコアが、スケートカルチャーとミクスチャーロック(今で言うニューメタル)によって繋がれていて、それがストリートカルチャーを形作っていたように思います。
そのせいもあってか、テレビで見るタレントやお笑い芸人の服装もパンクアイテムが結構あったり、非パンクのミュージシャンがラバーソール履いてたり、あとは「NANA」の影響とネオヴィジュアル系の台頭で、雑誌「KERA」で紹介されるようなファッションが、特に原宿に集まる若者達の中でそこそこの割合を占めていた印象でした。
ぼくは頑なにそれらと自分は違う!!!!と息巻いていました。
雑誌はWARPとDOLLしか信じなかったし、服は古着と666とJIMSINNとSEXY DYNAMITE LONDONを着ていました。
つまり、「由緒正しきパンクファッション」に身を包んでいました。だから、そこから外れるものはNGでした。
親切にも、666が無料で発行していたカタログに、パンクファッションの懇切丁寧な解説が載っていたので、ぼくはそれを「勉強」しました。
幸いにも、例の友達や、彼の兄や、JIMSINNの店員さん、本厚木PARCOのレゲエのお店のお兄さんなど、ぼくにパンクファッションやカルチャーを教えてくれる良き「先生」方も居たのです。
すっかりぼくは、地元ではさながらパンク警察でした。「ネモトの前でパンクの話はしてはいけない」「ネモトがいるときにピストルズやクラッシュのTシャツを着てはいけない」といった空気すらありました。
当時は、ぼくのような奴のことを揶揄する「ファッションパンク」という言葉がありました。
ぼくはその、ファッションパンクだと思われたくなくて必死でした。
だからジムズインの店員さんに「若いのに色んなこと良く知ってるね!いかっつい良いパンクスになってよ!」と言われたのが嬉しくて、その言葉を胸に、独り古いパンクを聴いていました。
しかし、いつの間にかぼくは自分がファッションパンクであることに気がつきました。
そもそも進学校から現役で一応非Fランの大学に進んだぼくがパンクであるはずがありませんでした。
都内のライブハウスに出入りするようになると「本物」たちがいたし、怖くて近づけなかったし、彼らの輪に入るのもイヤでした。
だいたいパンクスなら群れてんじゃねえ!とまで思ってましたが、彼らは話すと気さくでイイ人ばかりで、ぼくは音楽としてのパンクとパンクファッションが好きなだけで、「パンクス」にはなり得なかったんだなあ、と思いつつ、気づいたら世間からは大人として扱われる年齢になっていました。
時は流れ、THE NOSTRADAMNZを結成し、シェハーンが加入しました。
ぼくとかみむらくんは、お互いのルーツの共通項として「パンク」があって、パンクがだいたいどんなものなかのかのイメージについて、言葉にせずとも双方向に重なる観念的なものがありました。ワナビーとしてパンクを選択したぼくとは逆に、かみむらくんはナチュラルに、結果的にパンクな人ですが、それでも「あの感じ」みたいな共通のイメージは確かにありました。
ちなみに同じパンク括りでも、ぼくにはどちらかというとイギリス寄りのイメージがあり、かみむらくんにはアメリカ寄りのイメージがあります。
で、シェハーンから「パンクって結局は何なの?」と問われたとき、機材車の中でちょっとした議論になったことがありました。
「あれはパンク」「あれはパンクじゃない」みたいなことを、ぼくとかみむらくんがどんどん例を出して、シェハーンが「てことはこういうこと?」と解釈してみせる、みたいなやりとりがしばらく続きました。
あーだこーだ言って、結局シェハーンにパンク何たるかが伝わりはしなかったものの、ぼくの中では「期待の裏切りや、既存のイメージや概念の破壊といった行為を、ポジティブな反応や評価に着地させること」がパンクなんだろう、という結論に至りました。
一理あるものの、どこか自分で納得できていませんでした。
納得できないから自分はファッションパンクなんだろうな、ということで片付けてしまいました。そのときは。
しかし、ここに来て「あっ、ぼくがカッコいいと思うパンクってこういうことだ!」という確信を得るに至りました。
そう、パンクを知って早600年あまり。ここに来て、ぼくはファッションパンクを卒業したっぽいのです。
それは、今年ぼくがどハマりしているエドワード・L・デシの「自己決定理論」によって導き出された答えでした。
自己決定理論のフィルターを通してパンクを見たときに、なぜぼくがパンクに惹かれたのかがとうとうわかったのです。
ここまでが前置きですが、めちゃくちゃ長くなったので後編は別で投稿します。
結論からいうと、「内発的動機づけ」ならびに「自由と責任」こそがパンクなんだ、ということなんですが、次回の後編では、ぼくの好きなパンクバンドの歌詞を引用して、それが何なのかを書き留めておきたいと思います。
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