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君を殺しても

THE NOSTRADAMNZ Lucifer K nemoto

思ったことを書くコーナー


◾️リンパリンパ

首の左側からのどにかけて痛いなーと思ってたら、頸部リンパ節が腫れているようです。

もうだいぶ治ってるけど。

それで思い出すのが、今は亡き高田馬場エリアの楽屋で、ノストラダムス以外誰もいない機会があり、そのときメイクさんと隼人がリンパ液を効率よく流すには〜みたいな話をしてるとき、ぼくがブルーハーツのリンダリンダの節回しでやや甲本ヒロトさんぽく「リンパリンパ〜!♪」と歌ったとき、すごくウケました。静寂のエリアに響き渡るリンパリンパと絶妙な間がすごいウケた。

以来、何かギャグを言っても「リンパリンパを超えないね」と一蹴されてしまうことがあります。

1度売れたミュージシャンが、1番売れた曲の呪いを背負うあの現象、きっとこれのことなんだろうなと思ってます。

それっていいことなのか悪いことなのか、人生が終わるまでわかりませんね。


◾️オマージュとパクリとサンプリングについて

何か見たんですが、置いといて、この3つってめちゃくちゃ混同されてるなと思います。

特にオマージュとパクリに関しては、行為だけトレースすると一緒なんですよね。ちがうのは目的だけであって。

ぼくの定義では、オマージュは元ネタを想起してほしいものであり、パクリは元ネタを知られたくないものだと思います。

で、この二つは著作権法に引っかからないのであれば是とされるべきだと個人的には思ってます。

さらに言えば、模倣こそ文化の発展だと思うからです。

人の総ての創作物について、全くのゼロからイチをクリエイトすることはほぼ不可能だと思ってます。元ネタがどれくらい「わかりやすいか」というグラデーションはあれど、「元ネタが存在しない」という創作物って存在しないんじゃないかと思います。


サンプリングは難しくて、文字通り既存の作品をサンプルとしてそのまま転用する手法なので、著作権的にはアレなのは致し方なしと思うものの、本来サンプリング文化圏にあるものが、著作権的なNGにならないように似たフレーズや想起させるフレーズを意図的に組み込むようなことも起きてるので、結果的に「オマージュ」や「パクリ」と同じ手法を用いることになるという。


逆に自らの創作物について「元ネタは一切無いオリジナルです」と言い切れてしまうクリエイターのほうが、ぼくは信用できないです。

なぜなら先人へのリスペクトが無いということだし、本当にオリジナルだと思ってるなら不勉強で不誠実だなと思ってしまうからです。


むしろ元ネタを嬉々として語るタイプのクリエイターの話は面白い。

だからぼくも元ネタは嬉々として語ります。


サカナクションの山口さんが「創作をしようと思ったら、本当に自分が好きな作品をそっくりそのまま再現してごらん。絶対再現できないから。その、再現できない部分こそが自分のオリジナリティーになるから。」と仰っていて、まさにその通りだなと思っています。


著作権法違反と然るべき機関が判断するならそれはそれとして、個々人がそのへんワーワー言う前に義務教育で創作の歴史が模倣の歴史であることはやっといてほしいもんですね。


◾️ぼくがダサいと思ったこと

その同じなんか見た話から心底思ったのはまた別の部分なんですが、「誰々が言ってるからこうします」「(私はそうしたくないけど)こうしなければいけないようなので」「誰々に任せます」みたいなのって公の場で言うのってすげえカッコ悪いなと思います。ダサい。

ぼくは「誰がなんと言おうと自分がそうしたいからやる」という表明の仕方のほうがかっこいいと思います。


自分の発言や行動に対する責任をちゃんと纏えてますか?と思う。

自由には責任が伴う。責任を負ってこそヒトは自由になれる。責任を放棄したら、嫌なことをぜんぶ誰かのせいにして生きたら、ラクかもしれないけど、望みなんてひとっつも叶わないと思うんですよね。

ひとっつも望みが叶わない人生ってぼくは願い下げですけどね。

仮に、誰かに託した己の幸せがあったとして、それが叶ったとて、お前の手柄じゃないからな。


ぼくは誰がなんと言おうと自分のために自分で手柄を立てるよ。誰にも評価されなくとも、誰にも理解されなくとも、誰を敵に回したとしても、自分のために選択して行動するよ。

ぼくはそれがパンクだと思います。


だって、ごめんなさいとありがとうを素直に伝えられるかどうかだけじゃないか。

ごめんなさいもありがとうも言えない相手には何も託さなければいいだけじゃないか。


っていうのが案外難しいんですけどね。


でも、自分で自分をダサいとは思いたくないですものね。


以上!おやすみ!


こちらではお久しぶりです。ルシファーです。


多数のお問い合わせを頂いてるのですが個別に説明すると大変なのと長くなるのでここで書きます。


ぼくの誕生日イベントってどうなってます?という。

結論からお伝えすると、決まってないです。

おそらく、というか少なくとも今年はやらない心積りです。

なんならできないです。

理由は外的内的それぞれが複雑に絡んでいて気が狂いそうなので整理も兼ねて連ねます。

言い訳と言われればそれまでだけど、忌憚なく頭の中にあることを開示します。


◼️8月忙しい問題

ぼくは個人的に、3月と7月後半〜9月と年末年始が比較的忙しいです。

繁忙期ってやつなんでしょうけど、ちょっと違うっちゃ違うんですが、まあ物理的にも精神的にもせかせかしがちな時期なので、誰のせいでもなくぼく自身のスケジュールの調整が難しいのです。

これが最大の理由です。

ただ内心としてはあながちそれだけでもなく。


◼️性格に難がある問題

ご存知の通り、ぼくは全く社交的なタイプではないです。しかし、誕生日となると自分が主体になってイベントを組むのが業界慣習というか通例だったりします。

作詞や作曲は得意なほうである一方、ぼくはイベント開催能力は皆無です。

ハコを押さえて、共演オファーを出して、タイムテーブルを組んで、みたいなことが超ニガテです。

なので自分主体で発信して開催するとなるとめちゃくちゃエネルギーを使うんですが、今はそのエネルギーが捻出できそうにないです。

というかみんなできるのめちゃくちゃ凄いと思う。

偏に、ぼくにその能力は無いんです。

努力でナントカ!みたいのは、好きなことについて、例えば作品そのものを創ることについては知らず知らずのうちに努力してるもんだと思っていて、苦手なことや嫌いなことを克服する努力って、必要に迫られて追い詰められたらするかもしれないけど、その効率ってめちゃくちゃ悪いと思ってます。

若い頃ならまだアレだけど、そろそろ時間やエネルギーの使い方も取捨選択していかないと全体が立ちいかなくなってしまうし、それは望んでないので選ばないということです。

ぼくはちゃんと地に足をつけていてこそ、しっかりと考えをまとめて発信できると思ってます。

ロックンローラーたるもの!という風説はありますが、ぼくは元来そのタイプではないです。


◼️とはいえ申し訳ない気持ちはすごくある

ただ、ありがたいことにぼくの誕生日こそを祝いたいと思ってくださってる方々が、一定数いらっしゃることは存じ上げております。

謝罪したい気持ちでいっぱいです。

でも、誕生日会をやらないことに対する謝罪を祝われる人が自分からするっておかしいと思うし、ぼくのファンで居てくださる皆さまってガチめに賢明な方が多いので、誰も謝罪は望んでないと思います。

だから謝りはしません。

謝れ!という方がいたら、あなたの頭がおかしいとぼくは思いますけど、仕方がないのでそのまま頑張って生きてってください。

でも、祝いたいっていう気持ち、つまりぼくの誕生と存在を再確認して感謝を捧げたいって想いを何らかカタチにしたいって好いていてくださるからこそ当然の欲求だと思うし、それを叶える責任って本来はぼくにあると思うので、それを放棄するかたちになることを、本当の本気で気が狂いそうになるほど申し訳ない気持ちを抱えて過ごしています。


◼️作品が作れない自分に何が残るのか

そんな最中、曲がポンスカポンスカできてきてます。

この何年かにわたる長ーいスランプがあったけれど、今このまさに今、日々曲を書いてます。

似たような曲ばかりになってしまってるけど気にしないことにしました。だって同じ人が作ってるんだもの。

THE CLASHとかhideさんとかバクチクとかラルクとかって、作風にスジは通っていながらも似たような曲ってあんまりないじゃないですか。なんか自分もそうじゃなきゃいけない気がずっとしてました。

でも、MISFITSやBALZAC、あとはピストルズとかラモーンズとかモーターヘッドとかってそんなに突飛なバリエーションがあるわけじゃないけど、ぼくはどれも、どの曲も好きだしかっこいいと思います。

気づけばTHE NOSTRADAMNZも9年か、と思ったとき、そりゃあ似たような曲だってあるさ!当然じゃないか!と思うようになりました。

あとは自分の過去の曲が良すぎて、超えられてないな、と思っちゃう部分もすごいあります。このコード進行だったら「震えてる」に勝てないな、とか、この方向性だと「Touch」のほうがいいな、「サラバ」を超えてないな、とか思っちゃう。

超える必要ある?!!と思います。最近そう思うようになりました。だって似た曲があったからといってそれらの曲が無くなるわけじゃないし、ぼくが書いたという事実は消えないし。

何よりこないだ新しい曲をメンバーに聴いてもらって一緒に演奏したら、過去のどの曲ともやっぱり違う感触があったんだよ。

だからいいじゃないか!と、直近では確信に至りました。

となると、その楽曲たちをかたちにすることにこそ今は注力したいと思ってます。

最終的に本当にちゃんとかたちになるかは別としても、そこにこそ心血を注ぎたい。

ぼくの曲はぼくにしか書けないし、敢えてニガテなことに心血を注ぐよりは、曲を書きたいです。

だってそれこそが、ぼくがぼくたる所以だと思うんだもの。


◼️とはいえやりたいことはたくさんある

ぼくは、ぼくという人間が今ここにいてこう考えて生きたんだということを、どうにか遺したいと思っていて、それを自覚してるので、やりたいことはたくさんあります。

まずそれは、先に挙げたように曲を作ることもそうだし、ライブをすることもそうだし、ツイキャスやブログを使って言語化してデータに残すこともそうで。

でもそれ以外で、それこそ誕生日とかそういうことに託けてやりたいことを忘れないようにメモしときます。


①本出したい

「SAKURA NEUROSCORE」というSF小説を書いてデータで閲覧できるようにしてあるのですが、やっぱりカタチに遺したいよなあという想いがあります。

サイコホラー、オカルトホラー、青春群像劇、あとやっぱりSFで小説を書きたい気持ちやアイデアもちょろちょろとありつつ、今既にやりだしてるのは、AIにインタビュアーになってもらって自分の人生をまるっと聞き出してもらい、テキスト化していく試みをしてます。

というのも、人の人生がどうだったのかをヒアリングする機会がたまにあるんですが、当然ながらどうしても情報って断片的で。

それで焦って、例えば親や祖母なんかに、どんな人生を何を考えてどう過ごしてきたのかストレートに聞いてみたりするんだけど、網羅的に聞くのは物理的に難しいし、なんなら覚えてないことが大半だったり、うまく言語化できなかったり、何より人に話すのって抵抗あるっぽいんですよね。

ぼくは是非とも全部知ってほしいくらいなんですが、それってかなりの情報量になるので、音声よりはテキストで、データよりは物理で遺したいと考えています。

幸いにもSAKURA NEUROSCOREがそんなに長い話ではないので、ぼくの人生をテキスト化したものに、写真なんかを添付しつつ語る内容を付加して、まとめて一冊の文庫本にして出したいですね。

ずっと自分の思想体系をまとめたいと思ってたんですが、多分それを兼ねられると思う。

すげえ時間かかると思うけど死ぬまでにやりたい。

で、ぼくを愛してくださるあなたのそばに置いといていただきたいです。

即ちそれが聖典の役割をしてくれるでしょう。


②アコースティックワンマンやりたい

先日アコースティックやってみて、案外思ってるより歌うのが楽しかったんですよね。

ベースを持って、バンドサウンドの中でガチャガチャやるのもめちゃくちゃ好きなんですけど、もっと剥き出しで、且つ落ち着いて感情をしっかり歌に乗っけられるような感覚がとても心地よかったので、長い時間がっつりやりたいなーと思ってます。

来年あたりはそれがやれたらいいですね。


③クローズドな空間イベント

ロクサミやクラッシュのようなフェス形式も楽しいし、対バンや他の方の主催イベントなんかも楽しいんですが、ぼくにとってそれらは外向きの解放感のある催しだと思ってます。

ワンマンになるとクローズドな感覚はあるものの、メンバーやスタッフさんすらいない自分とあなたがただけの空間というのもやってみたいと思ってます。

内容は、ぼくの好きな音楽をかけながらみんなで黙ってジグソーパズルをやったり、塗り絵を塗ったりしたいのもあながち冗談でなく面白そうだなと思うんですが、さすがにアレなので、それこそ①の発売イベントとしてプロジェクターに自分の人生を章立てたパワポ資料なんかを出しながら、いかにして自分が生きてきて、何を考えるに至ったか、そしてどう死んでいきたいかを語るイベントとかやりたいですね。

ちなみに対話形式ではなく講義形式です。

いつでも一方的な存在でありたい。

※いつでもお手紙待ってます。


◼️おや、絶望してますか?

それほどまでに楽しみにしてくださっていた方々には申し訳ないのですが、そういった事情なので、ご理解賜れなくとも、それをそうして説明することが誠実さだとぼくは考えているので、そう認識しといてもらえたら幸いです。

ただ、たまたま諸々が誕生日の時期に重なっていて、その時期に動きづらい状況にある、というだけであり、そういう状況への対峙の仕方として、自分なりの考えがあってのことだ、ということです。

せっかくなのでぼくの誕生日あたりには、ぼくがその場にいなくとも皆さんそれぞれで集まったり1人だったりして、居酒屋なり自宅なりでぼくの誕生日会をやってもらって構いません。

あとは8月にも「誕生日イベント」という名目でないだけで、THE NOSTRADAMNZは素敵なイベントに複数出演しますので、ぜひとも会いにきてください。


諸々整って気が向いたら、11月とか12月とかに誕生日イベントやったっていいわけですし。

なんなら次回まで毎日分割で祝ってください。


以上、そんな感じです。

わかったら黙ってついてこい。

絶対に幸せにしてやる。


おやすみなさい。

こんなことやってる場合じゃないんです。

明後日ライブなんです。
スケジュールは増え続けます。

春には9周年ワンマンも控えています。

でもな、こんなことっていうなよ!!!!ぼくは本気だ!!!!
以下シンアンパンマンシリーズ二作目!!!!

【続シン・アンパンマン-Starlight destiney-】
◾️オープニング
前作から20年後。世界は、ばいきんまん因子によって、光と闇に分断されたディストピアと化していた。
かつて日本と呼ばれた列島は、ばいきんまん因子を生み出した元凶として核攻撃を受け、焦土と化し、その痕跡は失われている。生き残った人々は、ばいきんまん因子の脅威に怯えながら、日々を暮らしていた。

◾️絶望の世界と戦う戦士たち
主人公・ヤナセ タカシは、世界から忌み嫌われる日本人(の末裔)。だが、彼は「パン・デミック・レスキュー」の後継組織「アンパンガード」の若き戦士として、日々、ばいきんまん因子による人間変異体「バグド」と戦っていた。

◾️アンパンガード
前作の「パン・デミック・レスキュー」の理念を継承しつつ、より軍事組織としての側面を強めた組織。

世界各地に支部を持ち、ばいきんまん因子による脅威に対抗している。

アンパンマンの原典に登場する要素(パン、愛と勇気、正義)を象徴する存在として機能。

◾️バグド
ばいきんまん因子に感染した人間が変異した異形の存在。

前作でナノマシンによって一時的に抑制されたばいきんまん因子が、ナノマシンを取り込むことで変異・強化され、より強力な災厄と化している。

変異プロセスは、感染者の精神状態や過去のトラウマなどに影響され、多様な形態を持つ。

しかしバグドは、かつては善良な人間だった。

◾️アンパンガードの面々
・主人公 ヤナセ タカシ
コードネーム「A(あんこのA)」。
日本人としてのルーツに葛藤を抱えつつも、正義感と責任感をもって戦う。
パワードスーツは、アンパンマンをモチーフとし、赤と黄色のカラーリングを基調とする。
戦闘能力は高いが、バグドを無慈悲に殺さなければならないことに苦悩している。
ヤナセは、戦いの最中、かつては家族と仲睦まじく暮らしていたバグドと対峙する。彼の脳裏には、かつての平和な日常と、今の悲惨な現実が交互にフラッシュバックする。それでも、ヤナセは、戦い続けるしかない。

ヤナセの他にも、アンパンガードには、様々なバックグラウンドを持つ精鋭戦士たちが集結している。

・二枚目 サイモン サザーランド
ヨーロッパ人戦士。コードネーム「B(ブレッドのB)」
パワードスーツは、しょくぱんまんをモチーフとし、白と青のカラーリングを基調とする。
知的な戦士で、冷静な判断力を持つ。
敵組織の女性戦士のMrs.Dから執拗な誘惑を受けるが、全く相手にしない。

・ムードメーカー ヤミール サンチョー
イスラム圏出身の戦士で、コードネームは「C(カレーのC)」
パワードスーツは、カレーパンマンをモチーフとし、黄色と茶色のカラーリングを基調とする。
熱血漢で、仲間思いの性格。
宗教的な信念を持ち、戦いの中でその意味を問い続ける。

・女性戦士 メリナ カンタレス
コードネーム「M(メロンパンナ)」
スペイン出身。
パワードスーツは、メロンパンナをモチーフとし、ピンクと緑のカラーリングを基調とする。
優しく、愛情深い性格だが、内面には深い悲しみを抱えている。
ばいきんまん因子に感染して変異した姉の存在が、物語の中で暗示される。

・女性戦士 美琦(メイチー) 潘(パン)
コードネーム「K(クリームパンダ)」
中国出身。
パワードスーツは、クリームパンダをモチーフとし、白と黄色のカラーリングを基調とする。
アンパンガードの最年少戦士でカンフーの使い手。
天真爛漫な性格だが、戦いの中で成長していく。

・技術責任者 アンクルJ
コードネーム「J(ジャムおじさん)」
アンパンガードの技術責任者であり、パワードスーツの開発やメンテナンスを行う。
白髭の向こうの顔はヤナセにそっくりで、どちらかがどちらかのクローンである可能性が示唆される。

・医療責任者 レディーG
コードネーム「G(牛酪=バタコさん)」
アンパンガードの医療責任者であり、戦士たちの治療やメンタルケアを担当する。実はアンドロイド。

・犬 チーズ
AIBOとかっぽい犬。

彼らは、それぞれの過去と葛藤を抱えながらも、共に戦い、友情を深めていく。しかし、その裏では、世界を操る黒幕「Mr.Bug」の影が迫っていた。

◾️敵
・Mr.Bug
ばいきんまんをモチーフとしたパワードスーツを着用。黒と紫のカラーリングを基調とする。
ばいきんまん因子を自在に操り、世界を滅ぼそうとしている。
強大な力を持つが、その目的は単なる破壊ではなく、より深遠なところにある。

・Mrs.D
Mr.Bugの側近であり、唯一Mr.Bugに物申すことができる妖艶な女戦士。
Bに一目惚れし、執拗に誘惑するが、全く相手にされない。
Mr.Bugとの関係性、その過去には、まだ明かされない秘密が隠されている。

・SKULLMAN
髑髏のヘルメットにボロ布を纏った戦士。知性は低く、怒りによって筋骨隆々の姿に変異し、怪力でアンパンガードに襲いかかる。実は既に死んだ人間を、ナノマシン化したばいきんまん因子の力で無理矢理駆動させている、いうなればゾンビ。

・Funfun molds
新種の菌類にナノマシン化したばいきんまん因子が取り憑くことで発生する機動歩兵。一体あたりの戦闘力は脆弱だが、数が多く、かつ増殖するのが厄介。


◾️絶望と希望の狭間
Mr.Bugの陰謀によって、世界は更なる混乱に陥る。アンパンガードの戦士たちは、必死に抵抗するが、Mr.Bugの力は圧倒的だった。

Mr.Bugは、ばいきんまん因子を増幅させ、世界各地でバグドを大量発生させる。
Mr.Bugは、自ら前線に立ち、アンパンガードの戦士たちを追い詰める。
ヤナセは、Mr.Bugの圧倒的な力に絶望を感じる。

Mr.Bugは、ヤナセに、自身の目的を語り始める。

Mr.Bugは、この世界は最初から存在しなかったものとして、”無”に帰すべきだと主張する。
Mr.Bugは、ヤナセに、自分と融合することで、世界を無に帰すことができると告げる。
ヤナセは、Mr.Bugの言葉に動揺し、絶望の中で半ば同意してしまう。
ヤナセは、自分が戦ってきた意味を見失い、深い虚無感に襲われる。

◾️光の再来、そして物語の終焉
絶望に打ちひしがれるヤナセは、最後の力を振り絞り、心から願う。

「もし、ぼくに、不条理な世界と戦い続ける愛と勇気があれば…!誰か助けてくれ…!」

その時、ヤナセの願いが「何か」に届き、世界はまばゆい光に包まれ、流れ星が降ってくる。流れ星の中にいたのは、前作で消えたはずの、2次元の「アンパンマン」だった。

◾️アンパンマンの再登場
アンパンマンは、前作で消滅したが、ヤナセと人々の「愛と勇気」の感情によって、再び姿を取り戻した。

アンパンマンは、2次元の存在でありながら、その輝きは、現実世界を圧倒する。

アンパンマンは、戸田恵子さんの声で「元気百倍!アンパンマン!」と宣言し、にっこりと笑っている。

アンパンマンは、ゆっくりと拳の中に光を集め、戸田恵子さんの声で叫ぶ「アーンパーンチ!」
その光は、Mr.Bugに直撃し、世界は光と闇の対消滅の中で、無に帰す。

◾️終焉
アンパンマンは、Mr.Bugと直接戦うことなく、唐突に「アンパンチ」を繰り出し、物語を終わらせる。
アンパンマンは、デウスエクスマキナとしての役割を明確に表現し、物語の展開を加速させる。
アンパンマンの圧倒的な力は、絶望的な状況を一変させ、観客に衝撃を与える。

◾️虚構と現実、そして新たな始まり
ヤナセは、真っ白な世界で、アンパンマンと対峙する。

アンパンマンはヤナセに、衝撃の事実を告げる。

「ぼくは、あなたが考えたお話に出てくるキャラクターです。」

そして、実は前作および今作の作品世界も、更に上位の世界の「虚構」であることが示される。

◾️更なるメタ構造の開示
アンパンマンは、物語世界の虚構性を明かし、観客とヤナセに深い問いを投げかける。
ヤナセは、自分が「物語」の一部だったことを理解し、動揺する。

アンパンマンは、ヤナセに、現実世界での新たな人生を歩むことを促す。

ヤナセは、もう一度「作品外の現実の世界」に生まれ変わって、たくさんの人々に愛と勇気を分けてあげてください、とアンパンマンに告げられる。

全てを理解したヤナセは、涙がとまらない。
声にならない嗚咽をしながら、何度も頷き、生まれ変わる決意をする。

ヤナセの決意と慟哭の中、ブラックアウトする世界に、どこかから声が響く。

「ありがとう。またみてね!」
「それ~!ゆけ~!あんぱんまぁ~んっっ」
※ここは原典で使われている音声をそのまま使用する。

◾️エンディング
場面は切り替わり、1919年(大正8年)2月6日、東京府北豊島郡滝野川町に男児が誕生する。
エンディング曲は『アンパンマンのマーチ』で、実在のやなせたかし先生が、生まれ、育ち、戦争経験を経て、アンパンマンを創作し、それがこどもたちの楽しみになっていった経緯を、原典のような作画のアニメーションで描く。
アンパンマンというキャラクターが、やなせたかし先生の人生経験から生まれたことを表現する。

※物語の主人公ヤナセが、やなせたかし先生として生まれ変わるという、感動的な結末。


【この映画のテーマ】
◾️メタ構造とツイスト
一作目が「現実にアンパンマンというキャラクターが出てきたら」を描いたうえで、地続きの世界線上にある二作目も「これもまた虚構である」という構造で衝撃を与えたい。ただ、虚構であるアンパンマンが存在する世界は、紛れもなく我々が生きる現実世界である。

◾️アンパンマンの再解釈:
アンパンマンは、虚構を超えた存在であり、人々の「愛と勇気」の象徴として描く。

◾️ばいきんまん因子の解釈:
ばいきんまん因子は、人間の心の奥底に潜む「闇」の象徴であり、世界を滅ぼそうとする力として描く。

◾️絶望と希望:
世界が滅亡の危機に瀕しても、決して諦めずに立ち向かうことの大切さを描く。

◾️愛と勇気:
困難な状況でも、愛と勇気を持って行動することの重要性を描く。

◾️物語の力:
物語は、人々に希望と勇気を与え、世界を変える力を持っていることを描く。

◾️デウスエクスマキナ
アンパンマンをデウスエクスマキナとして描くことで、物語の終焉を唐突に演出する。

以上。
こっちも面白いと思うんですよね。
一作目の興行収入を見てハリウッドがバンバン金出す感じでやりたいですね。


デザインもAIと一緒に色々考えてはいて、ニチアサ系にするか、ハリウッド的にするか悩ましい。











おやすみなさい。