【激長解説】『異形』 | 君を殺しても

君を殺しても

THE NOSTRADAMNZ Lucifer K nemoto

こんばんは、ルシファーです。

ついにリリースされましたね。のろゐみこさんの「異形」。

https://x.com/noroimico/status/1986992077490823424?s=20

 

 




何を隠そう、このわたくしネモトコウヘイが作詞と作曲を担当いたしました。

経緯などはツイキャスで語った通り。

※これの最初らへんと、これの前の録画の最後のほうからも一応その話してます。

ここでは、主に歌詞に込めた内容について切々と語っていければと思います。

■大前提
ちなみに、ぼくは筆者や作者が何を込めたかは、実は正解とは別のものだと思っています。
なので、今からここに書くことと別の解釈や感想があったとしても、それは不正解ではないです。
感想や批評は、それそのものが実は創作物であると思っていて、なぜならぼくが作る作品も、ぼくが享受した別の作品の感想や批評でしかないと思っているからです。
だから、「思ってたのと違う!」があったとしても、恥ずべきことは一切ないです。
逆に、作者が思いもしない解釈ができるのってすごいことだと思いますよ。

とはいえ、ガイドラインがあるほうが安心して作品について語れる、という方もいらっしゃると思います。
今回の作品だけではなくて、THE NOSTRADAMNZの楽曲や歌詞についても過去にさんざっぱら解説していますので、同感!であっても、異議あり!であっても、何か感じた方は是非ともSNSに書いていただいたり、DMに送っていただいたり、お手紙をくださったり、お友達やご家族に一方的に語ったり、そこから語り合いになってくれたりするとすんごい嬉しいです。
ほんとそれが何よりもすんごい嬉しい。


■異形とは何か?
タイトルになっている「異形」ですが、ぼくは下記のようなイメージを持ってます。

①カネゴン



ウルトラ怪獣の中でも屈指の知名度を誇るカネゴンですが、実は「ウルトラマン」に出てくるキャラクターではなく、前身番組である「ウルトラQ」が初出です。
成田亨さんによる、既視感と違和感が混在する秀逸なデザインがインパクト大ですが、実は彼、元々は人間だったんです。
加根田金男くんという、お金が大好きな少年が、お金の音がする不思議な繭を拾って、親に「そんなにお金のことばっかり考えてるとカネゴンになるぞ!」と言われ、本当にカネゴンになってしまうという話。
コメディータッチで描かれますが、よくよく考えると怖いですよね。
お金ことが好きで好きで、お金に取りつかれた結果、"ヒト"ではなく"異形"の存在となるわけです。

②仮面ライダーV3



ウルトラマンと双璧を成す、日本の特撮ヒーローの代名詞「仮面ライダー」の第二作です。
仮面ライダー1号と2号は、優秀であったがために悪の組織ショッカーによって改造人間にされ、無理やり"異形"の存在とさせられた、というのがストーリーを支える重要な骨子になっています。ヒトではなくなってしまった自分が、ヒトを守るために戦うが、異形であるがためにヒトの社会には受け容れられない孤独を背負ったヒーロー、というのが、神仏のような光の戦士であるウルトラマンとの最大の違いであり、特に古いシリーズを特徴づけている所以だとぼくは思います。
だから、仮面ライダー1号2号のマスクには涙のような意匠が入っており、これは他の石ノ森章太郎作品のヒーローにもしばしばみられる特徴です。
で、なぜぼくがここで一号や二号ではなく、2作目にして三人目のライダー「V3」をここで引き合いに出すのかというと、V3は2人の先輩とは違い、自ら改造人間になりたいと願った存在だからです。
ショッカーの後継団体「デストロン」に両親と妹を目の前で殺された男が、その復讐を果たすために自ら改造人間、つまり異形の存在になりたいと願った、というお話なのです。
異形の存在となる苦しみを知っている先輩二人は当初は断りましたが、すったんもんだあって彼を認め、後輩に改造手術を施すのです。
「果たせぬ想いを果たすために自ら能動的に異形の存在となった者」が、仮面ライダーV3なのです。

③戸川純さんの「蛹化の女」



もはや実質的に国歌と呼びたいパッヘルベルのカノンに乗せ、"あなた"を想い過ぎるあまり、虫になってゆく女を描いた、凄まじい楽曲です。
これは、それこそ感想や批評をしようにも、容易に言葉にできないところに凄みがある実例だと思います。
ただ、それほどまでに誰かを想うことってすっげえ…という想像をして、ただ圧倒されますね。
「想うあまり、いつのまにかヒトではない異形になった」という凄まじさ。なんかそういうものをぼくだって描きたいぞ!というのが、「異形」の作詞をするうえでのそもそもの着想だったのかもしれません。

④能面




般若のお面が有名ですが、あれって元々はヒトの女性なんですよね。
最近AIで造られたと思しきショート動画を見ましたが、能では女性の感情レベルに合わせてお面が使い分けられるそうですね。泥眼⇒橋姫⇒生成⇒般若⇒真蛇と進化していくんだそうです。進化っていうとポケモンみたいだけど。
要は感情のレベルが上がるにつれて、ヒトではなくなって"異形"の存在に、そして怨霊や妖怪の類に、しまいには触れられない神のようになっていくということだと思います。

■「怨念」が出たとき感じたこと
で、ぼくはのろゐみこがドロップした楽曲「怨念」を聴いたとき、「うわーこりゃあ勝てねえな」と素直に思ったものです。
普段の「ひょうきんで楽しい人たちだなあ」という印象が正直強かったけれど、楽曲の中身を見たときに、それこそ戸川純さんにあるような「凄み」のようなものを感じるんですよね。これって、男性からすると最大級に怖い。自分が持たない、しかしいつそれに触れることになるかわからないモノだから。
その凄みは、ジェンダーが男性でありながら出せる人ってあんまり、というかほぼ居ないと思う。ぼくが如何に残酷で凄惨なことを書いたとて、男性特有の「(射精の為に託けた)人語の通じなさや愚かしさ」はあれど、「(特定の対象に向けられた)感情そのものの凄み」みたいなものってそこまで感じないと思うんですよね。
そういった凄みが、普段「ひょうきんなお姉さん」として振る舞ってるあの2人の声と演奏で紡がれることが、他にないオリジナルだなあとぼくは思ってます。

■「怨念」から読み取ったストーリー
たぶん許嫁的な、将来を約束し合った大切な相手(きみ)を、理不尽な「掟」とそれに付随する「儀式」で失った人の話なんじゃなかろうかと思います。
おそらく、罪が罰を呼んだ話ではなく、罪なき人が、その人以外の最大幸福のための祭祀で、生贄として身体を切り刻まれたのだろうと思います。四肢を奪われ、腹を切り裂かれ、その血肉を神に捧げる狂乱の宴。
見てはならないその光景を、どうしても心配で、暗闇からこっそり覗いて目撃してしまった主人公は、悪い夢を見ているのだと自分に言い聞かせるけれど、それが現実であることを受け入れると同時に、ヒトを捨て、鬼になります。
「こんな理不尽がまかり通る世界なら、そんなものは総て燃やしてしまえ」という感じで、生まれ育った集落に火を放ち、人々も家々も、そこでの思い出も、全てが煌々と燃え上がるに至ります。
そんな業火を背景に、無惨に傷つけられて軽くなってしまった亡骸を抱え、主人公は力いっぱい走ります。
亡骸と2人だけの逃避行の中で、だんだんと自分がヒトとしての感情を失って、怒りと憎しみと呪いに満ちた存在感になっていくのを感じながら、どこまでも走っていきました。
でも、どこまで走っても、呪いの唄はずっと頭の中で鳴り響き、ついてきます。

アレだ、もののけ姫のタタリ神なんかがそんなイメージですよね。
そんなお話を「怨念」から読み取りました。

■そして「異形」の存在へ
ヒトであることを捨て、鬼と化して途方もなく走り続けた主人公は、だんだんと、カネゴンや仮面ライダーV3、蛹化の女、そして泥岩が真蛇に変わっていくように、抱えた亡骸と結合し、変形していき、その姿は、もはや元々ヒトであったかもわからないような、異形の存在になり果てました。
怒りと憎しみと復讐だけが形になったような、禍々しい異形の何かになって、もはや怒りや憎しみを向けるべき対象が何なのかすらわからなくなっていった。
そしていつしか、街をただただ彷徨う怪異となりました。夜な夜な闇を徘徊し、朝になれば人混みに紛れる、生きているか死んでいるかもわからない、曖昧な存在です。

「瀝青(れきせい)」とはアスファルトやコールタールのことで、「脈理(みゃくり)」とは筋状の模様や組織の並びのことです。だから「瀝青の脈理」とは、つまりコンクリートの建物の隙間にアスファルトの道路が張り巡らされたような市街地や都会のことですね。
とすると、主人公が生まれ育ち火を放った故郷からは、ずいぶん遠くまで来てしまったんですね。
きっともう、故郷の風景も思い出せなくなってるでしょうね。

ただ、「きみ」を救えなかった後悔や罪悪感と、故郷に火を放って滅ぼした業を背負いながら、この世界への怨念を抱き続けることが存在意義であり、目的となっています。

■異形に訪れる転機
霊感の強い子供なのか、心ある霊能力者なのか、もしくは神主や僧侶、はたまた神父や牧師かもしれないんだけど、その異形の怪異に気づく人(あなた)に、たまたま出会うんですよね。さらにその人は、怪異を怪異として扱わず、まるでかわいそうな犬や猫をみつけた子供みたいに、無邪気に交流をもちます。

いくら脅かしても、
「そっかあ、何だかわからないけど、とっても悲しくてつらいことがあったんだね。よしよし。また明日も会いにくるから、ここにいてね!」
とかなんとか言って、声をかけ、耳を傾け、頬や頭に触れ、毎日会いにきてくれる。

もし「君」との間に子供がいたら、このくらいの歳なのかなあ?みたいなことなのか、はたまた「君」を忘れるくらいの恋愛対象なのかはわからないけれど、「あなた」の存在が、哀れな怪物にやっと差し込んだ光になるわけです。
いつしか、「早く会いたいな」なんて思っちゃうんですよ。怪異のくせに。

■引き裂かれる存在意義
皮肉にも、「あなた」の存在によって、怪異の中に、「赦されたい」や「癒されたい」という想いが芽生えてしまう。

「あなた」との交流で、忘れまいと思っていた怨念の傷口が塞がれていってしまう。痛みが癒えてしまう。途方もない年月の中、耳にこびり付いたままだった「呪いの唄」が遠のいてしまう。
でもそれは、怪異が異形たる理由を失うことに繋がります。

「あなた」の純粋な優しさが光となって、それが強くなればなるほど、世にも醜い異形となった姿が鮮明に映し出されてしまうことに、恐怖すら感じます。

だから、
「その眼で、見ないで。」
です。

街路樹の椿の花が、あれから何度目かわからない春の訪れを告げます。

それでも、凄惨な死を迎えた「きみ」のこと、その真っ赤な血肉の匂いを、故郷を焼き払った業火を忘れて、自分だけが癒されたり、赦されたり、ヒトの心を取り戻したりすることは、決してできない。それは、「きみ」を愛し続けること、「きみ」を不幸にした世界を憎み呪い続ける誓いを立てて異形となった自分への裏切りであり、主人公にとっては「きみ」の痕跡を否定することにすらなります。
だから、主人公のタマシイや肉体を覆い、それを異形たらしめている「殻」を脱ぐわけにはいかない。

ここに根源的且つ避けようのない矛盾が生じて、主人公は存在ごと引き裂かれようとしています。
だから、異形の殻の下にいる、苦しみからの解放を望み、葛藤の中で無様に引き裂かれゆく、ヒトとしての自分を「きみ」にも「あなた」にも見られなくたい。

それで、
「私を、見ないで。」
です。

そんなイメージをもった歌です。
せつねえなあオイ!!!!

■V系と異形
ヴィジュアル系って、異形の文化なんですよね。
ゴスやLAメタルといった、英米圏のお化粧ロック文化とV系の根源的な差違は、それこそウルトラマンや仮面ライダーとアメコミヒーローの違いを考えると、垣間見える気がします。
例えばマリリンマンソンやスリップノットも異形っちゃ異形なんですけど、彼らは「生きて血が通ったヒトが、コスチュームとして何かを纏っている」というニュアンスは捨てないんですよね。
他方で日本のV系は「いるはずのない何かが憑依して、変異したと見做す」というニュアンスが強いと思います。能面や歌舞伎にもそのニュアンスがあると思います。
そこが、結構V系がその他の類似カルチャーとの境界線を感じさせるところである一方で、「お囃子で踊り祈ることで神性を帯びる巫女」みたいな部分でアイドル文化とは相似関係もしくは地続き上にあるんじゃないかなーと思います。

こと、ぼく自身はとにかく「普通の子供」でいることから脱却したいと深く強く願った結果、メイクをして衣装を着て髪をセットし、ルシファー様だぞ!と言いながらステージに立つことになったわけです。
うちのギターはロボットだし、ドラムはピエロです。
異形のパレードでございますね。

のろゐみこが、アイドルでもなくガールズバンドという括りでもなく、V系だと感じられる理由も、そのあたりの話の中にあるんじゃなかろうかと思います。

■二項対立に挟まれて
ぼくを内包するTHE NOSTRADAMNZの歌には「夢に胸をときめかせるロック少年だった自分」と「何も成さずに大人になってしまった自分」の対立や、「そんな自分への自責と自虐」と「うまくいかない世界への他責と他者への責任転嫁」の対立や、「紳士的かつ知的なジェントルマンでありたい自分」と「野卑で下品で性的で暴力的な願望」の対立など、複数の二項対立の狭間で揺れたり、激しく葛藤したりする様が描かれています。
描かれているというより、滲み出てしまう、のほうが正確かも。

そんなぼくから見て、のろゐみこにも、「ひょうきんでたのしいお姉さん」と「暗澹たる怨み辛みと心の闇」みたいな二項対立が存在すると思います。
たぶん両方とも彼らの本当の姿であり、時にそれは矛盾を抱えながら同居したり、はたまた激しく葛藤したりして、それが楽曲やステージにも滲出することで成立する世界観だと思います。

だからこそ、「怨念」と対立し、矛盾し、それでいて地続きになっている「異形」をのろゐみこが歌うことで、この歌にはタマシイが宿るし、だからぼくはここまで自分の楽曲に感動できたのだと思っております。
なかなか経験できない、大変ありがたいことです。

以上でございます。
ご静聴、ありがとうございました。