蜃気楼の彼方に走るよ | 君を殺しても

君を殺しても

THE NOSTRADAMNZ Lucifer K nemoto

おはようございます。ルシファーです。


つれづれなるままに。


◾️お盆の件

お盆てご存知ですか?

会社に取り引き先の方が来たときには、お茶をお盆にのせてお出しし、出したあとお盆は身体にくっつけた状態で去るのがマナーなんですけど、そのお盆ではなくて、夏に亡くなった人が帰ってくるというジャパニーズハロウィン的な文化です。


ぼくはお盆が大好きで、何故かというと、誕生日がお盆に近いので、子供の頃は大体毎年両親の実家に帰省して、そこで誕生日だからとおもちゃやさんに連れてってもらったり、おじさんが遊んでくれたり、転校前の友達と遊んだり、そりゃまあ楽しい時間を過ごした記憶が、ぼくの中でハロウィンよりお盆!という価値観となって育まれたわけです。

あとコレめっちゃ好き。

光が出てくるくる回って、めちゃくちゃきれいなんですよね。


夕方過ぎくらいに暗くなった仏間で、おばあちゃんがこれを点けてくれて、おとうふやさんが来て、「こうへいくん、いい子でえらいからこれでラムネ買っといで」と、おばあちゃんが優しい笑顔でお小遣いをくれて、ラムネを買って、蚊取り線香の香りがする縁側でラムネを飲みながら、部屋中を薄水色や薄桃色の光がぐるぐる走る光景を眺めて、そんな時間に無性にときめきを覚えたりしたものです。


時は経って、いまルシファーのお仕事をする中で、もちろんキリスト教の方も神道の方も、新宗教の方も無宗教の方もいらっしゃるのだけど、夏はやはり冥界から日本へのツアーを組むのがメイン業務になってくるので、幼少期の夏をどうしても想起します。

そして、ご先祖様の数のおびただしさにただただ驚きます。


皆様には漏れなく等しくご両親がいらしたと思います。

そのご両親には更にご両親がいらして、というのを10世代遡ると、御先祖様と呼べる存在の方はなんと2000人を超えます。

さらにさらに30世代遡ると20億人を超えます。

やばくないですか?

なかなか、顔も知らない御先祖様の存在を感じるのは難儀だと思うのですが、数で考えると、ヒト1人生まれることの尊さみたいなものがなんとなく分かるかと思います。


限定何個の商品、とかってありがたがられるじゃないですか。

どんなに自分で自分の価値がないと思ったとしても、あなたが生きて死んでいくことはとんでもないレアケースだということを、御先祖様という存在は教えてくれるのです。

今から30世代遡ると、おおよそ750年程前なんですけど、たぶん鎌倉時代とかですよね。

鎌倉に大仏作ったった!とか、北条氏が云々とか、モンゴル軍が攻めてきたけどユーアーマイソウソウ!!と念仏を唱えたらビビッて帰ってったぞ!!とか、そんな頃だったと思います。

おじいさん!アウストラロピテクスが立った!!とか言ってた頃と比べると、だいぶ最近の話な感じですよね。

でも、その頃からの20億人の、誰か1人でも何か違う選択をしていたら、ぼくやあなたは居ないかもしれないんです。


だから、同じ時代に生まれて、今こうしてあなたがこの文章を読んでくれていることは、きっと人類史には残らないけど、とても稀なことなんです。

それを、ぼくの語彙では奇跡と呼びます。


それを想起して、自分のことを大切に、ハッピーに生きようね、ということを改めて考える機会というのが、本来のお盆のイベント趣旨だと思うんですけど、イベントはいつのまにか形式的な儀式になってしまい、価値が下がり、重要視されなくなってしまう。

あなたがお盆に思いを馳せなくともぼくは構わないんですけど、ぼくは自分の存在のレアさを感じていないと諸々どうでもよくなって自暴自棄になりがちなので、やっぱりこういう機会を設けていちいち再確認することで、丁寧に生きようと思えるので得だとは思います。


そっか〜と思ってくれたあなたは、この夏は御先祖様に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。

たぶん、今あなたが激動の時代に揉まれ、もがきながらもどうにか幸せになりたいと願って生きるように、20億人以上が同じように生きては死に、いまの我々に命をつないでくれたわけです。

そのおかげであなたがぼくに出会ったのなら、ぼくはあなたの御先祖様に感謝で手くらい合わせちゃいますね。


大将!仏花マシマシ、線香多めで!


◾️世代の話

そんなふうに、世代は受け継がれていると同時に、隔絶もまたされていると思います。


オッサンが若い女性の金メダルを噛んでヒンシュク買ってるじゃないですか。

ぼくはこれ犯罪的だなというか、非常に許せない感情になっておこなんですけど、とはいえ身近にも似たようなことあるよな?とも思ったりして。


めっちゃ身近なとこだと、ワクチン打ったからマスクをしなくてもいいですか?という高齢者の方と居合せて、ぼくはその方がとても素敵な良い人なのを知っていたし、熱中症のリスクとかもあるだろうし、周囲に他の人もいなかったので、どうぞ〜て言ったんですけど、マスクってぼくの認識では自分以外にうつさないための策であって、自分がワクチンを打ったかどうかとはあまり関係ないと思っているので、そこに認識の距離を感じました。

むしろ、マスクそのものの効果どうこうというよりは、今のこの現状だと、見知らぬ人、言葉を交わすことなく居合わせた相手に対して「ぼくはあなたに危害を加える意図をもっていませんよ」という意思表示のツールだと考えています。

つまり、電車の中で通話しないとか、666才でピチピチげんきっこのぼくは優先席に座るべきでないとか、そういった「マナー」の類いのものだと思ってます。


だから、人が多い場所でノーマスクの人を見ると、小学校の教室で堂々とタバコを吸うとか、映画館でとんこつラーメンを喰うとか、そういう人をみかけた感覚になります。

マナー意識の高低には世代的な隔絶は感じないのですが、マナーの中身については、やはり世代的な差は感じます。


特に唾液に対する感覚の違いって割と顕著だなというか、皆さまも学校のプリントを配られるときや、紙幣のやりとりをするときに、上の世代に指ペロをされてゲンナリした経験てあると思うんです。

これってぼくは明らかに世代による隔絶なんじゃないかと思います。

たぶん今の40代以下の人で、指ペロする人って皆無だと思います。

なんなら割と上の世代って、ツバつけときゃ治る!みたいな感覚を持ってるというか、ヒトの唾液をそんな汚いもんだと思ってないんですよね。

ぼくはシティーボーイなのでめっちゃイヤです。

スーパーめっちゃイヤ人ゴッドです。


もちろん、件のメダル噛み噛みおじさんの問題はそこだけではなく、あれをオープンな場所でやったらどう思われるかという想像力の欠如とか、クローズドな場所でやったとしても相手がどう思うかの気遣いとリスペクトの欠如とか、その他諸々の問題があるからこそヒンシュク買ってるんだと思うんですが、そこは世代ではなく個人の問題だと思います。


逆に、冥界の近くにおそらくデザイン系の専門学校があって、若い人たちをよく見かけるんですが、まあ概ね礼儀正しいこと。

ぼくらとは大違いというか、たむろしてタバコ吸ったり、大声で喚いたり暴れたりとかしないもの。


そして怖いなと思うのが、彼らのファッションがちょっとそれはナシなんでわ???と思ってしまうコーデが増えたこと。

もちろん同世代でも全然ある感覚なんですけど、それとはやや質が違う感じで、特定の、おそらく今流行しているスタイルでナシが発生してるんだろうな、という。

同世代だと、スタイルを履き違えているな、とか、わかってないんだな、という感覚だったのが、若者のスタイルそのものがわからない、みたいな状態になっていたりして。

それってぼくは一番なりたくなかったものの一つで、ことにファッションと音楽に関しては、感覚が老いたら終わりだなと思ってきたので、いよいよ直面した感覚の老いに、焦りのようなものがあります。


かといって若返れるものでもないし、若づくりをするよりは、今の自分にしかできないことをするほうがカッコいいと思うのでそっちを標榜するのですが、感覚は常に最新へアップデートしていたいなと思います。

つまり、やってることが新しいか(というより「若いか」)どうかよりは、自分がやっていることを、ちゃんとアップデートされた目線から見られているかな、ということは常に意識していたいです。

「オッサンが自分の時代から抜けられない感じでロックやってる」ではなく「オッサンが自分の世代でしかあり得ないロックやってる」のほうがカッコいいと思う、という話です。


でいうと、前回紹介したような、恐ろしくカッコいい、若いクリエイターが出てくるのはめっちゃワクワクするというか、勉強になります。


◾️ノストラダムスの今後

11月から新体制を迎えるにあたって、諸々準備を進めております。

間に合うかな、、、というのはちょっと心配ですが、えんどうさんがノストラダムスに及ぼしてた影響ってめちゃくちゃ大きくて、もちろん今後も当然影響は残り続けていくんだと思うんですが、いうてもかみむらくんとぼくだけの組み合わせで何かやったことって、ノストラダムスより前からを辿っても、今までこの世に無いと思うんですよね。


例えば、コーヒーに砂糖とミルクを入れた状態って美味しいと思うんですけど、ブラックコーヒーに砂糖だけ入れた状態と、ブラックコーヒーにミルクだけ入れた状態と、ミルクに砂糖だけ入れた状態って、どれも成立すると思うんですけど、どれが一番美味いかっていうと、好みが分かれると思うんです。


特にノストラダムスって、単なるスリーピースバンドの、ギター、ベース、ドラム、というパワーバランスとは少し違って、全員が歌い、全員が曲のアイデアを出し、全員が自分のパートは自由にやる、というスタンスの人の集まりなので、単にドラムとベースだけになる、というのとは違うんです。

多分普通に想像するのって、麺とスープと具でラーメンだけど、麺なしもスープなしも具なしも成立しないじゃないか!みたいなイメージだと思うんですが、少なくとも我々は、誰が抜けたとしてもそういうラーメンみたいなバランスではない、ということはお伝えしておこうと思います。

カフェオレのバランスです。


というわけで、トアルコトラジャ豆の仕入れがあるのでこれで失礼します。


今日も一日、げんきげんきの現場で起きてんだ!!!!