急遽ルシファーです。
◾️神様と仲なおり
前にも書いた気もするんですが、レベッカのこの曲の深さをしみじみと感じる年頃になってまいりました。
ぼくが中学生くらいのとき、既に伝説のバンドだったレベッカが再結成と話題になりました。
元々全然リアルタイムではないけど聴いたことはあって漠然と好きだったし、わあーと思ったんですが、フレンズやラズベリードリームなどの路線を期待していた少年ルシファーはあまり『神様と仲なおり』はピンときていませんでした。
むしろ、当時は神様とかファックオフ!くらいに思っていたし(今も場合によっては全く思ってないわけではないけど、神と呼ばずともそういう存在の大切さもまた知りました)、退屈な曲だなあくらいの印象でした。
そもそも、神様と仲直りてのがどんな状況なのかわかりませんでした。
わからなかったから、ずっと引っかかっていたというか、印象にも残っておりまして。
いま、ぼくらはかつてなく抗いようのない激動にさらされているなと思います。
ここでいう「神様」が、そういった、ヒトにとってどうにもならないようなことを、意図的に司る存在を指すとしたら、なんて残酷な奴なんだろうと思うので、マジでファックオフですよね。
神に逆らう、とは、そうして運命から脱するためにもがき戦うことなんだろうと思います。
逆に、「神様と仲直り」とは、マキシマムに表現すると「運命を受け入れる」ということなんじゃないかと思います。
ミニマムなら、「身の丈を知る」ということなんじゃないかと思います。
それって、そう書くとめっちゃツライというか、しんどいことですよね。
それを、「神様と仲なおり」と表現することに、言葉にできないような、泣きたいような、でも前を向いているような感覚を覚えます。
いま大人になってから染み入るフレーズですよね。
ぼくが思うに、この曲は過去を含めた自分と向き合った内容なんじゃないかと思います。
「君」とは自分を指しているように思います。
だから、流れる涙が後々に生きる宝物になることを知っているから、頬に流れる涙の粒を「宝石」と表現してるのではないかとか。
孤独だった子供の自分に寄り添う心情であるように思います。
「海と太陽の約束」とは、日没=時はどうしても過ぎゆくことであり、何かを喪失する前の自分に、自己実現をするなら「風」が見えなくなる前にやらないと、「間に合わないよ」と訴えているように思います。
そして、鏡の中の自分=今の自分や置かれた状況と、泣いてる君=過去の辛かった自分や置かれていた状況を受け入れることが、『神様と仲なおり』なのではないでしょうか。
「大人で子供で友達で恋人にもなれる」とは、今も昔も無限の可能性がある存在だ、という意味に思えます。
それを思い出して、どうにか前に向かって進んでいくよ、ということを言っている歌なんじゃないかと思っています。
ぼくは、具体的にいうと、コロナ禍が心底憎いです。
どうにかならないかと日々思うし、どうにかなりそうなところはどうにかしようとするし、どうにもならないことはどうしようもないと思っています。
でも、与えられた機会に対して誠実に向き合うことしかできないんですよね。
それしかできないか、こんなもんか、と思ってしまうと辛いんですが、それを受け入れたうえでベストを尽くすことには変わりないんです。
そんなことを思わせてくれる素敵な歌だなと、今は心底感動します。
そう思えることも、ぼくの成長だと思います。
そしてぼくも、誰かにとってのそういう歌を作りたいし、歌いたいです。
