ぼくの好きなおじさん | 君を殺しても

君を殺しても

THE NOSTRADAMNZ Lucifer K nemoto

こんばんは、ルシファーです。

実家にモノを取りに行ったとき、ふと昔の写真とかを見て、ツイッターで使おうと思って色々デジタル保存してきたんです。

子供の頃から、特に高校生くらいからは本格的に、ぼくはあんまり変わってないなあなんて思いながら、なんか色々思い出してしまって。

皆さまには、人生で出会った恩師っているでしょうか。
学校の先生だけじゃなくて、その人の考え方から直接影響をうけたな、という方。

ぼくにはたくさんいるし、身の回りの一人一人が師であるとすら思うのだけど、ぼく自身の生きるスタンスというか、ものの見方を決定づけたカリスマ的存在って、3人いらっしゃいます。

それぞれを振り返りたいと思います。

◾︎高2のときバイトしてたラーメン屋の社長
友達の紹介で、厚木サンダースネークからほど近い家系ラーメンのお店でアルバイトをしておりました。
理由は髪色が自由だったから。
ライブハウスが近かったお店には、無名時代のあの人やこの人など、今や名前を出すのもはばかられるような神奈川県出身といえば!みたいなミュージさんたちにご来店いただきました。
あいつの食ってたラーメンは俺が盛り付けたんだぜ!なんて未だに悲しげな自慢をすることもしばしばございます。

で、その社長は当時30代で、まあ世代的にも土地柄的にもビーバップハイスクールや今日俺の世界で生きてきた方なので、元暴走族の方でした。

元々粗野なタイプなんだろうなあとは思うものの、基本的に物腰が柔らかくて、びっくりするくらい頭のいい人だった。
なんだろう、並の人間なら3人でやっと回るようや局面でも、1人で回せちゃう感じ。
バックヤードには経営とかマーケティングとか接客に関する本がズラーッと並んでて、超勉強したんだなあ、と思いました。

とはいえ、怒らせるとマジで怖かったですね。

「表情は笑顔なのに超キレてる」という人間の状態を、ぼくは少年マガジンで連載してた「特攻の拓」でしか見たことがなかったんだけど、あのとき現実で初めてみました。
この話をすると「ちょww竹中直人かよwww」とか言われるんだけど、あんなファニーなもんじゃなくて、本当に特攻の拓の世界です。




何かが怖くてチビリそうになる、という感覚も、当時は想像すら出来なかったんですが、
ぼくがミスったとき、社長がこの顔でゴミ箱を蹴っとばして「…ガキコラテメヤロ…!」みたいなことを言った瞬間、あっこれはちびりそうだな、と人生で初めて思いました。

そのときは、もちろん心底凹んだんだけど、
そのあとしっかり、「そんな落ち込むなよっ!」とか言いながらコーラとか差し出してくれつつ、何がいけなかったのかをわかりやすく説明してくれて。

それも、説明が現実的で、言われる側の立場に立った言い方で教えてくれていたと思います。

例えば、ミスったことそのものについて責めるのではなく、ミスるようなボーッとした身体状態や精神状態で刃物や火や重い物を扱う業務に就くと事故る可能性がある、事故るとお前がケガする、お前がケガするとお前は困る、お前が困るだけじゃなく、責任者の俺の過失になって俺がお縄になる、店が閉まる、従業員の仕事がなくなる、お客さんがラーメン食えなくなる、誰も得しないだろ?みたいな。
これを、全く世の中を知らない高校生が解るように、威圧的にならずにしっかり諭すという。

今になって尚更思うけど、なかなかできることじゃないと思います。

その、人となりが粗野であっても、相手がいかに若くても、相手に対してリスペクトを忘れずに真摯にコミュニケーションをとる姿勢は、やはり影響をうけたなあというか、今でも見習いたいなと日々思います。

あのときは、そういうオトナに初めて出会って、単純にかっこいいなと思った。

で、高3に上がるときに大学受験するからってんで辞めたんだけど、辞める話をするとき、彼が生きてきた世界からすると受験勉強なんてなんら役にたたないもんだ、と思っていたであろうけれど、
「勉強だけじゃない逃げ道は作っておきなさい」と教えてくれました。

「逃げ」という響きがネガティヴに捉えられがちだけど、要は生きていく方法を一つに絞るのはあぶねーぞ、ということ。

当時は、なんの疑いもなく自分は世界を股にかける伝説のロックスターになって教科書に載って、最終的には紙幣に印刷される男になると信じていたので、はあ、という感じだったけど、これは中長期的に人生を捉えてるとすると、ぼくにとっては正解で、この言葉をもらったからこそ今フツーに病まずに生きていられてるな、と思うのです。

たぶん、ああ言われてなければ、ぼくは現実を受け入れられなくて、どうにかなって死んでたと思います。真面目に。

ああ言われてなければ紙幣になってたな、とは思わない。
何故なら夢に見合う努力をしなかったし、ああ言われてなかったとしてもぼくは充分な努力をしなかったと思う。
だから、ぼくの才能に気がつかない世の中を呪って早々に死んでたでしょうね。

子供の頃に思い描いていた理想と違ったとしても、生きて今また好きなように音楽ができていることをありがたいことだと思います。

正直、そのギャップに今もう苦しんでいないかというと、そりゃあ悔しいのだけど、死んでたら何もできなかったと思うと、全然マシだと思うし、全然今からでも紙幣になる気はあるので、今ぼくの才能に気づいているあなたは、ぼくが盛り付けたラーメンを自慢するくらいの自慢はできるようになるでしょう。

これ、ノストラダムスの予言です。

◾︎大学の教授
宮下誠さんという、美学専攻の先生です。
ものの見方とか、特に「考える」という行為の重要性とか、まあおそらく最も思想的な部分で影響を受けた方ですね。

今ぼくが歌う内容というか、言いたいことのひとつは彼から教わったこと。

高校3年のとき、予備校に飽きると近所の友達がバイトしてるシャノアールに移動して勉強してたんだけど、通ってた高校の地理の先生が客としてたまたまいらして、たまたまわかんないとこを訊いたときに、「どこの大学いきたいの?」と聞かれて、志望校の哲学科にいきたいんです、と答えたら、「あそこの哲学科で、僕の大学の同期で宮下っていう男が美学コースを教えてるんだけど、あいつは絶対面白いよ。」という話があり。
そのときは哲学科行ったら倫理哲学コースをやりたいと思っていたので、フーンと聞き流してたんだけど、なんとか第一志望に受かって、講師陣の紹介を受けたとき、 一目見てあのおっさん変だぞ、面白そうだぞ、と思ったのが、まさかの宮下先生でした。
人の縁て不思議ですよね。

で、哲学科は二年次まではコースが分かれてないから美学も倫理哲学もやるんだけど、哲学系はもうキルケゴールの死に至る病の文章の「関係と関係の間に生ずる関係」というパンチラインが意味わからなさすぎてトラウマになったので興味を失ってしまい。

逆に、美学はすげー面白かった。

宮下先生は、プロジェクターにビン一本と果実が二つ描かれた静物画を映して、「何の絵だと思う?」と問うてきました。
いや、ビンと果物だろ、て思うじゃないですか。

「これはね、明らかに男性器ですね」

と、先生は大真面目に仰いました。
ぼくは大爆笑でした。

ただ、その絵が描かれた背景とかを聞くと、んなアホな、と思った答えが、マジだ、に変わっていくんです。内容おぼえてないけど。

つまりは、作品は目に見える先端にしか過ぎなくて、それが成立するまでの過程を含めて考えることでみえてくるものがあり、そこに価値が生まれる、という価値観を、ぼくはそこで新たに得たわけです。

これはぼくにとっては結構なパラダイムシフトで、例えばパンクだったりヒップホップだったり、ましてやヴィジュアル系なんてものは、ひとつの楽曲だけではなく、まさしくそういった成立経緯というか、時代背景まで込みで考えるとおもしれーぞ、ということに繋がったのです。
音楽ではなく、現象として、文化として捉える眼差しを頂いたのです。

そんなで、気づいたら美学コースを専攻していて、バンドやりながら夜勤のバイトしながらでフラッフラで大学なんてろくに行かなかったけど、彼の演習には割と出席しましたね。

演習の題材はピカソとクレーでした。
いずれも、当時のダダイズムやシュルレアリスムの文脈と影響関係にありながらも、それらそのものとは一定の距離があった2人。
ヴィジュアル系でいうところの、バクチクやルナシーやエックスがサルバドールダリとかだとすると、ソフトバレエとか筋肉少女帯とかイエモンとからへんのポジションだと思って頂ければ。
共通項も交流もあるけど、ちょっと文脈が違う的な。

ピカソもクレーも、ただ絵を見るだけだと正直意味わからんよね。
でも、その絵が描かれた時期に作者がどういう状況と時代に置かれていたのか、などを踏まえると、不思議と絵画は面白くなるんです。

何せ、よく言われたのは「わかる」と「わからない」の二元論に収斂するのではなく、考えて考え続けろ、ということ。
歴史の悲劇は、「わからない」「考えない」という状況から生まれたのだと。
なるほどそうだと思います。

先生は「民衆はバカだ」とまで言い放ちました。
基本的に民衆は考えないからですね。
そう、誤解を恐れないあまり、めちゃくちゃ誤解されがちな方でもありました。

しまいには『カラヤンがクラシックを殺した』というタイトルの本を出して大バッシングを受けました。
カラヤンは熱狂的なファンも多い、有名な指揮者の方です。

このブログの読者層にわかりやすく置き換えると『ラルクアンシエルが日本のロックを殺した』みたいな本を出して、盲信的なラルヲタから大バッシングを受けるみたいなことです。
そりゃあそうなるよ、て話ですよね。

もちろん本の目的は、カラヤンディスではなく、たのしい音楽もいいんだけど、そこからもう一歩踏み込んで考えてみようぜ、ということを伝えたかったのです。

でも、考えない人はどうやっても考えないので、考えない人にはそんなこと言っても伝わらないんだな、ということや、過熱したバッシングの中で本の内容とは何ら無関係で事実無根なことまでネット上に書き散らかされてしまう現実があることも、悲しいかなそのときの状況で学びました。

結果、民衆はバカだが、バカには大真面目に何かを説いても伝わらないし、ぼくだってバカな民衆の一人だ、というのがぼくの今の認識です。

でも、自分をバカだとわかっていても、つまり真理にはたどり着けなくとも、少なくとも考えることはやめないし、考えていることを発信することもやめない、という点で、ぼくは宮下チルドレンだと思います。

卒業論文も彼に見てもらいながら、ヒーローってなんだろう、ということを書いたんだけど、彼はA+をくれました。
「もし音楽がダメでも、キミは物書きになりなさい」と言ってくれました。
ホントかウソか知らないけど、そう言ってくれたことで少なからず自信がついたし、嬉しかった。

ぼくは卒業論文を出したあとに必修だけ2単位足りないことが発覚して半年留年したんだけど、
うえーんと相談したら、授業こなくても、いつもみたいに面白いレポートをくれれば必修科目の単位をあげるから、安心してバンドやっといで、と言ってくれました。

留年中、たまたま空いた時間で先生に会いに行ったときの彼の授業は今も脳裏にやきついている。

黒板に、「見る」と「視る」、「聞く」と「聴く」と書いて、
この違いがわからない奴は僕の授業を聞くな!!!とブチ切れていました。

なんとなくそわそわして、授業のあと、先生に声をかけたら、いつもの穏やかで優しい笑顔で「おお、ねもとくん!」だって。
当時、人生で初めてプレスでCDを作って、納品待ちの状態だったので、届いたらあげますね、と伝えました。

「ただでは貰えないよ、ボーナスでたくさん買ってみんなに配るよ」と言ってくれました。

でも、それが最後の会話になり、彼は突然亡くなりました。

一報を受けて、やばい、単位貰えないじゃん、とか思って、深夜だったけど母親を起こして、事情を説明しました。

事情を説明するうちに、CDあげてないじゃん、と思ったら、もう涙がとまらなくなりました。
悲しくて悔しくて、鳴咽が押さえられなくて、声を上げて泣いた。

おかんもびっくりしただろうけど、子供の頃のように黙って背中をさすってくれました。

たぶん、あのタイミングで事情を説明する必要なんてなかったので、かなり気が動転してたんだろうし、とにかく誰かに話して、起きたことを整理したかったがための反射行動だったんだろうな、と今は思います。

なんか、本当はもっと具体的な教義を書きたかったこど、振り返ったらやっぱりおセンチな話になってしまいました。
でもあの死はぼくにとってそれくらいインパクトがあったのです。

なんとなく、突然思わぬ誰かを喪う気がしてしまうというか。
自分の発言に、そういう気持ちを感じることがあります。

もちろん、彼の授業も確実にぼくが歌う歌に影響してると思います。

歌詞を見せたら、ちゃんとA+もらえるんだろうか、というのは、どっかで未だに考えてるな、と思います。

◾︎とある企業の方
大学を留年したぼくは、宮下先生のはからいで昼間学校に行かなくてよくなったのと、留年分の学費を稼ぐために、某ブラック企業に勤め始めました。
あれはあれで面白かったけど、許せないこともあったので辞めました。

仕方がないので、とある企業に転職しました。
そこではえんどうさんがエライ人だったので、ぼくは彼の部下になりました。

そんなえんどうさんも、もちろん師だと思っているのだけど、彼よりさらにエライ人だったSさんにも、すごく影響を受けた。

なんだろ、仕事をするにしてもバンドをやるにしても、なんか目的があって動くときの段取りと要点は同じなんだ、ということを教わりましたね。

どうしても人は、目的やシチュエーションが違うと、それぞれ違うもんだと捉えてしまうし、そりゃあ違うことも多々あるのだけど、プロジェクトを前に上に進めるにあたっては、物事の構造って案外相似しているんだな、ということです。

具体的なところは企業秘密なのでお伝えできませんが、宮下先生が創作する中身について影響をくれたとすると、Sさんはそれに対する心構えや進め方を教えてくれたなあと思います。

元バンドマンで、音楽、とりわけロックやパンクにも造詣が深いSさんが「Lilly」のPVを観て密かにカッコいいと言っていたよ、という話を人づてにきいて、ぼくは密かに嬉しかったです。

あと、私情とビジネスを絶対混同させないとことかもリスペクトですね。
すげえシステマチックに物事を考えるんだけど、それは情熱とかアナログなものに裏打ちされてたり。

まあ長くなってしまったのでSさんのおざなり感はホントすいませんなんですが、ノストラダムスの2/3はSさんチルドレンではあるので、恥じない表現をしていきたいですね。

まだまだ書ききれないのだけど、寝る時間をめっちゃ過ぎたので寝ます。

これを書きながらラクして腹筋鍛えるやつを貼ってるので、起きたらきっと鋼のボデーを手に入れているはずですね。

おやすみなさい。

画像は、クレーの「忘れっぽい天使」という可愛い絵です。