その男性の障がいというのがどの程度の状態なのかわからないのだけど、自力でドアを開けることができなかったのは確かで。
何時間も放置されて発見されたとき、男性の体温は40度以上に達していて、口からは泡を吹いて亡くなっていたらしい。
放置されてからその間、彼がどんなにつらかっただろうと思うと胸が痛い。
こんなことを言うのは印象を悪くしてしまうだろうけど、見方によっては多分、自分は差別意識がすごく強い人間なんじゃないかと自分で思ってる。
誰かについて考えるとき、もしくは接するとき、人種とか、性別とか、国籍とか、出身地とか、世代とか、学歴とか、宗教とか、これらが全てではないと解っていながらも、心のどこかでは、それらは必ずそのひとが送る人生のファクターとして機能するはずだと思っているし、それが人格にも影響するだろう前提を踏まえる。
平たく言えば、バカだったら「男だからな」と思うし、卑屈だったら「女だからな」と思うし、
怒るところとか怒り方が変わってるなと思ったら「日本人じゃないからな」とか普通に思ってる。
でもそれで、元来短気な自分も、そうそう他人に腹を立てずに日々暮らせている。気がする。
それは機能的な特徴も例外ではなくて、反復行動とかしてる人を見ると自閉症かな、と思うし、顔に特徴があればダウン症かな、と思うし、妄言を吐いてれば統合失調症かな、と思うし、落ち着きがなかったり忘れものが多かったらADHDかな、と思うし。
でもそれらのことは、病気や障害だといよりは、
単純にそういう性質や傾向を持った人だと思う。
でも、だからといって、何かに対して合う合わないとか得意苦手はあっても、ヒトとしての優劣は無いと理解している。つもり。
それらを思う対象は人間だけじゃなくて、ボンちゃんがアホなのは彼が猫であってヒトより知能が低いからだと思うし、カラスとかが頭いいなあと思うのは鳥のくせに、だからだと思ってる。
でも生命としての卑賤は無いと理解している。つもり。
だからあのニュースがこんなにもショックだったのは、多くの19歳にとって簡単であろう、車のドアを開ける、という行為をする能力が"たまたまなかった"ことが彼の命を奪ったからなのだと思う。
これがいわゆる健常者とされる人だったら、縛られでもしない限り命は助かってたんじゃなかろうか。
もう、全くの想像でしかないのでアレなんだけど、「ここにいてね」といわれたら、「ここから出なさい」と言われるまでその場を動けない性質の人って現に存在しているわけで、もしからしたら亡くなった方もそういう性質の方だったのかな、と思って。
もしそうなら、できることなら、飛んでいってドアを開けて「ここから出なさい」と言ってやりたかった。
そもそも機能的な性質の問題によるものだったのかはわからないし、今の自分からはどうしようもないのだけど、彼は純粋にそこにいることしか選択の余地がなかったのだと思う。
その、純粋という無力が、ここまで心を痛くするのだとも思う。
「レインマン」という映画がとても好きなんだけど、あれの終盤で、存在すら知らなかったサヴァン症候群の兄が、子供の頃にいた空想の友達の正体だったとわかるくだりに非常に心を打たれるのは、子供の頃の記憶とサヴァン症候群の男に恣意的なものがないからだと思うんだ。
ただ、そういう性質や機能のヒトが家族としてそこに居合わせただけで、それ以上でも以下でもないという。
多分そういう類の物事を純粋というんだろうね。
だからあの映画は、およそ純粋とは遠いところに来てしまっている主人公のトムクルーズが、あの頃から精神的に時を経ていない兄の純粋を通して、自分の純粋を思い出しつつ、兄や父との血縁という絆を取り戻す過程を描いたお話なんだと解釈しています。
その、失ったものの大きさに改めて気がつかされ
るときの言葉にならない感情が、感動になるんだと思う。
純粋は尊い。
美しいとすら思う。
でも残念ながら、無力だとも思う。
なぜって、ただ透き通った事象が、ただそこにあるだけであって、何かしらの力を加えられたら、為す術なんて奇跡以外には持ち合わせないから。
たまたま偶然、あのとき奇跡は起きなかった。
だから彼は亡くなった。
その事実があまりにもやりきれなくて、なんでだろうと理由を探してしまうんだけど、そんなものは無いんだよね。
原因はいくつもいくつもあるにせよ、納得できる理由なんてない。
じゃあどうすればいいかって、たまたま何か困ってる誰かがいて、たまたま助けられそうなら、そのときにできるだけ助けようとするしかないと思うのだけど、それはそれでなかなか難しいのだよね。
善悪とか、好き嫌いとかで人や物事を判断するのではなく、ファクターや性質込みで、そういうものだとしてただ認識できればいいと思うのだけど、それもまた難しい。
そういう自分の、純粋じゃない無力さを自覚しながら、開き直らずに生きていくしかない、という、本当に当たり前すぎるだけの長い話を読んでくれたあなた、どうもありがとう。