気づき。 | 一人暮らしアラフォー女子のうつ病闘病記

一人暮らしアラフォー女子のうつ病闘病記

一人暮らし、アラフォー、うつ病持ちの闘病日記です。ASD元夫と離婚。精神疾患、カサンドラ仲間がほしいです。
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妹家族が帰りました。

夕方から、久しぶりの
母と二人きりの静かな時間。

母の運転でドライブに行きました。
今回、実家に帰ってから、
スーパーと散歩以外で初めての外出かも。

母と落ち着いて話していて、
ちょっとした気づきがありました。

甥姪が2〜3歳でちょうど
トイレトレーニングの時期なので、
自分たちが子どもの頃の、
そういう話も母としました。

わたしは幼稚園入園以来、
生きづらさを抱えていますが、
幼稚園の記憶はほとんどありません。

ただ、入園直後と思われる記憶が
2つだけあります。
消去しきれなかったトラウマ記憶です。

******

1、トイレの失敗

わたしは早生まれなので、
入園が3歳になってすぐでした。
しかもわたしは成長がゆっくりの
タイプだったので、
身体も小さく、他の子に比べて
出来ることもかなり少なかったです。

身体の発育が遅いので、
入園直後はまだ尿意の感覚が薄く、
「おしっこだからトイレ行かなきゃ」
と思うことができませんでした。

当然、失敗があるのですが、
それに対して怒られました。
でも、身体感覚の発育の問題なので、
意思で直すことはできません。
たぶん1日に複数回失敗したんでしょう。
「履くパンツなくなるよ!」
とかなりイライラした調子で
言われた記憶があります。

他人のネガティブな感情には
人一倍敏感だったので、
それがトラウマ記憶として
残ってしまいました。

2、給食で食べられないもの

家ではたぶん、
合成香料・合成着色料などが含まれる
加工食品は与えられていませんでした。

給食でカニカマのようなものを食べて、
たぶん化学薬品臭さに気持ち悪くなり、
吐き出してしまいました。

それを見た先生が、
「なんで吐き出すの!」
と怒ってきました。
気持ち悪くて心配してほしいのに、
びっくりしてショックを受けました。

食べ物を食べて気持ち悪くなるのは
悪いことなんだと思ってしまいました。

トイレの失敗と同じように、
消去できないトラウマ記憶として
残ってしまいました。

******

今から考えたら、
2つともあり得ない対応です。
特に食品に関しては、
アレルギーの可能性もあるので、
年少組に入ったばかりの子の食事には
特に注意しなければならず、
食べられないことを怒るなど
もってのほかです。

わたしは長い間、今日までずっと、
失敗するのは悪いこと、怒られること、
出来ないことがあるのは悪いこと、
怒られること、
すべてのことを他の人と同じように、
完璧にこなさなくてはいけない、
そうしないと怒られる、
周りを見て、周りのやる通りに、
失敗しないように、慎重に、
なんでも出来なきゃいけない、
疲れても、気分が悪くても、
それは隠さないといけない、
と思って生きてきました。

その考えが間違っていると
頭では分かっていても、
このトラウマ記憶を乗り越えることが
出来ないでいました。

今日、母にこの話をしたら、母が
「2人いた先生の片方だと思う」
と言いました。

年少組の担任の先生のうちの1人が、
母の職場に客としてたまに来るそうです。
そしてその子どもが、
さらに子ども(先生の孫)を
連れてくることがあるそうですが、
3代そろって「何か変」なんだそうです。

先生は「子どもをちゃんと見ていない人」
なんだそうです。
たぶん、子どもの発達段階を考慮して
適切な声かけなどが出来ない人、
という意味だと思われます。

その子どもは、
「そういう人に育てられると
こういう母親になるのか」
と思うような感じなんだそうです。

そして、そのさらに子ども(先生の孫)は
そういう母親に育てられているので、
やはり情緒発達に問題を抱えていそうな
雰囲気があるらしいです。
(カサンドラ連鎖じゃなかろうか…)

少し前にも給食の話は
母にしたことがあったのですが、
その時は、
「そんなこと、連絡帳に書いてあった
記憶ないけどなぁ…」
と言われて終わりました。

でも今回やっと、
先生の対応にやはり問題があったのだと
客観的事実から知ることができて、
「ああ、なんだ、やっぱりわたしが

悪いわけじゃなかったんだ」
と思うことができました。

これで、トラウマから解放される
かもしれません。

機能不全家族ではないのに、
わたしだけ生きづらかった理由の
根源的なひとつにようやく行き着いた、

という感じがしています。


時間がかかったなぁ…