この時、私は


「あの火事のことだけれど」とは当然言わなかったし、「あのことだけれど」と、代名詞さえ使わなかった。


身に覚えがなければ、

「なんのこと?」となるはず。


それなのに元夫は、一瞬憎悪の表情を見せた後、

「悲しいな」

とだけ言った。


もうほとんど確信に近いものがあった。


と同時に、あぁ、だから、元夫の家族は仲が良いを通り越して異常なまでに結束が固いのだな、この秘密を抱えているのだから、当たり前かと納得した。


血のつながりがなく、秘密を共有しておらず、私の置かれている立場(夫が単身赴任で義母と同居)がおかしいと主張し始めた私は邪魔者でしかない。


私と元夫や義家族との関係が拗れだしてから、それとなく疑問を口に出す人も出てきていた。


「昔は、商売が傾き出したらよく火事を出したもんだよ」


「死人どころか怪我人も出なくて、得だけした火事が普通の火事なわけない。うちの近所でもそういう家があるけど、噂になってるよ」


友人の一人から

「○○さん(私のこと)、本当に強いわぁ、私なら速攻でその家を出ている」とも言われた。


いやいや、速攻で家を出たいのはやまやまだったけれど、子どもの学校の手続きもあるし、私はパートとはいえ、仕事をしていたので、明日から辞めます、とも言えなかった。


すべてをクリアして別居できたのは約3ヶ月後。ただその間、私はかなりナーバスだった。

今度は死人(私)の出る火事を出されるのではないかと。私は離れに住んでいたので。




長くなってしまったけれど、NNNドキュメント「死刑囚の子 殺された母と、殺した父へ」の番組を見て、まだ小学生で、お母さんを助けてあげられなかった(気づかなかった)自分を悔いている息子さんに涙し、昔のことを思い出した。


息子には不自由な暮らしをさせて申し訳ないことをしたと思う一方で、私の身に危険を感じだから家を出ることにしたのだと息子に理解してほしかった。でも、そんなことは言えない。言ったらダメと自分の中に押し留めた。


話は元に戻り、数年を経て元夫から裁判を起こされるのだけれど、元夫側から証拠として出された録音の中に、「あのこと」についての決定的とも言える発言が残されていたことに気付く。私の疑惑が確信に変わった瞬間だった。


続く

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エッセイを読んで、この作家さんの波瀾万丈な私生活に興味を持ち、小説を手に取った。


小説の体をとっているとはいえ、作家さんの体験を基にしている、と思う。性愛描写が激しくて、官能小説?と思うばかりだけれど、わたしは違う視点から夢中になって読んでしまった。一番目、二番目の夫との離婚に際しての諸々。離婚時は、お互いの醜さがどうしても出てしまうもの。思い返すと、嫌だったな、当時の私、と。ただ、言われっぱなしには耐えられなかった。弁解させてもらうと、私は人の悪口を言うぐらいならば、それに片目をつぶり、スルーすることを選ぶタイプの人間だった。でも、時々は毒を吐いた方がいいのかも、と思うようになった。最後に強烈な爆弾を投げつけてしまうことになるから。