あれが最後・・・という恐怖 | お父ちゃんがんばれ!肺がんに負けない家族の闘病日記

お父ちゃんがんばれ!肺がんに負けない家族の闘病日記

2011年4月お父ちゃんが肺がん宣告されました。
かわいい娘のためにも、前向きにがんばる家族の日記です。

この1年半、お父ちゃんのがん告知を受けてから、

それなりに「死」というものを考えてきたつもりだけど、

それが、こんなにすぐそばにあるものだと、

痛感(ん~~なんか言葉が違うけど・・・)しました。


28日金曜日夕方

ひめ幼稚園から帰ってきて、一緒にスーパーへ買い物へ出かけると、

義理父から携帯に電話が。


その日は午後から久しぶりに義理父と一緒に義理母も病院へ行くと言うので、

お父ちゃんに

ひめの幼稚園の運動会のことや、

週末、外泊することになったお父ちゃんと一緒に、ジジババも待ち合わせをして、

ひめのお誕生日プレゼントを買いに行こうという話をしてもらうことにしていた。


時間とかの確認かな?と思って電話に出ると、

うわずったような声で

「早く来て!さっきぶっ倒れた!もうダメかもしれん」


いったい何が起こったのかわからないいまま、

とにかく落ち着け!と言い聞かせるように、車をUターン。

ひめに、「じいじが病院に来てっていってるから」とだけ伝え、

ひたすら病院へ走った。


ひめもただならぬ様子はわかるようで

まるこ 「パパなんかあったの?」(←普段お父ちゃんなので、それもややおかしい)

サザエさん 「うん、どうしたかなぁ」

とだけ答えると、ひめもそこからは何も聞かなかった。


病院まで1時間の道のり。

何が起きたかわからないけど、ただひたすら

「お父ちゃん!ひめが着くまで待ってて!」 と祈り続けた。


なにしろ午前中、私は病院で、週末の外泊のことや

脳のMRIの結果が出たら、しばらくは在宅診療に切り替えるべく、

看護師長さんや地域医療センターで打ち合わせをしてきたとろ。


相変わらずぼんやりした感じはあるものの、

デイルームで一緒にお昼を食べて、

マスオ 「病院の帰り道にはコンビニに寄って、チューハイが飲みたい」

と、わけのわからんことまで言ってたのに。


病院につくと、ちょうどCTを撮りに運ばれていくところで、N先生が

医者 「意識はありませんけど、お薬で眠っているだけですから」


原因は、脳転移したがん細胞が正常な神経を圧迫し、

けいれんのような発作が起きたのだそうです。


点滴をしたまま、自力で歩いてトイレまで行き、

病室まで戻ってきたところ、廊下で突然倒れました。


幸い夕方は、病室を行き来する先生がうろうろしていて、

病室前で立ち尽くしていたお父ちゃんに、たまたま通りかかった先生が

「どうされましたか?」と声をかけたところ、痙攣しながら倒れ、

先生が口を開けるなどの対処をすぐしてくださり、

N先生もすぐに駆けつけてくださったおかげで一命をとりとめた。


ひととおりの治療が終え、救急治療室に通されると

看護師 「眠っているだけですから、声をかけたら起きられますよ」

と言われ


サザエさん 「お父ちゃん、お父ちゃん」

と呼んでみると、ゆっくり目をあけ


マスオ 「え、何。なんでみんないるの?」

まだぼんやりしているのと、倒れた記憶がなくて、

何が何だかさっぱりわからんという様子。


病室をでると、安堵感から涙があふれてしまいました。


あとから記憶をたどってみると、トイレで

マスオ 「頭の中で、なんかすごい音がして、ふら~っとしてきた」


んだそうで、トイレにナースコールがあることも知らず・・・


まったく1年半も病院にお世話になっているというのに、あきれたお父ちゃんでぇ


サザエさん 「ちょっとおかしいと思ったら、看護師さんに言うんだよ!」


こっちが生きた心地がしないという出来事でした。


病院というのは安心である反面、

最期に立ち会えない怖さがあることもつくづく体感させられた。


今、のんきにこんなことが書き込めているのが、ほんとうにありがたいえへ