こんばんは


先日 ある若い男が自殺しました。


そいつとは 二回あったことがあります。


二回目にあった時 僕はなぜかそいつに


『 なんか あったらいつでも言ってこいよ 』 と伝えました。


結果 その約二ヵ月後 そいつは自殺しました。


先日 そいつの実家に線香をあげに行ってきました。


そこには お母さんと おばあちゃんがいました。


お母さんは 口を震わせながら


・ どうしてこんなことになったんだろう?


・ もっとこうすればよかった


など 想いを言葉にのせて話をしていました。


火葬場の都合で 自宅には三日間いたそうです。


お母さんは 冷たくなっているそいつと一緒の布団に入り


三日間 一緒に寝たそうです。


三年前 


親父が死んだ時 その瞬間僕は泣き崩れ


親父の胸の上で 親父を抱きしめながら 泣きました。


親父はまだ あったかかった。


でも 心臓に耳をあてると 


何も 音がしない。


違和感を感じるとともに 怖さを感じたのを覚えています。


葬儀場が決まり 移動し 次の日


通夜式でした。 お通夜の準備として


” おくりびと ” の人たちが 親父の体や顔を綺麗にするために


来てくれました。


その人たちに 部屋を出るように言われ 外にいました。


しばらくすると その人から 


” 喪主の方は 中に入ってください ” といわれ 中に入りました。


親父は 風呂桶のような物の中に入っていました。


水を渡され 頭から 体の中心に沿って 水をかけるように言われました。


何とも言えない気持ちでした。


そして また 外に出てくれといわれ 


外で待っていました。


しばらくすると 声がかかり 中に入るように言われました。


親父は 白装束をきて 布団に入っていました。


係りの人が 


” もうしばらくすると 棺に入っていただくので それまで


お布団の中で 眠ってもらいます ” と僕に言いました。


それから 棺の中に入れ 会場に移動するまで 約五時間


布団の中で眠る親父を横に 僕は


遺書を書きました。


僕の遺書ではなく 僕が親父になりきって 


親父が関わった人たちに。 という 自作自演の遺書です。


一時間くらいで 遺書を書き終わり 親父の布団の横に行き


一人 タバコを吸っていました。


ふと 親父のほっぺをさわりました。


言うまでもないけど 冷たかった。


なぜか 衝動的に 布団をめくり 親父の手や胸に手を置きました。


一時間以上も 布団に入っているのに


布団も親父も冷たいままでした。


当たり前だけど 当たり前と思えない僕がいました。


僕は今でも 寝ようとして目をつぶると 


親父の最後の瞬間を思い出します。


そのときの 親父の温度やにおい そして感覚を。


それと同時に 今書いたように 


冷たくなっている親父も思い出します。


最後 火葬場で出棺するとき 僕はこう思いました。


” 親父が燃えちゃう ” 


熱くないかな? 怖くないかな? 苦しくないかな?


そんなわけないのに そう思った事を思い出します。


自殺したその男の お母さんは


冷たくなっているそいつと 三日間一緒に寝た。


僕はその話を聞いたとき 


どれだけつらかったか? 


どれだけこわかったか?


そんな風に 感じていました。


同時に なんて親不孝な クソヤロウなんだ とも思いました。


何日か前


中村一家で 日替わりでやっている ボイスメッセージで


今書いた事を話しました。


その中で ぼくが ” やっぱり ” という表現で言った言葉


” やっぱり 人は 孤独には勝てない ”


そして


” 生きてるって事は あったかいってこと ”


僕はよく 人に 


” あついねえ! ” って言われます。


その都度僕は ” そうですか? 熱いですか? ” と返事をしてきましたが


これからは こう言います。


” 生きてるんだから 当たり前でしょ ” ってね。


生きている以上 人は 心も体も


あったかくないと いけないような気がします。


というより そうあることが 人間の本来の姿なのかな?とも思います。


優しいだけ 人が良いだけでは 生きにくい今の世の中だけど


根っこには それがあって然り。


ボイスメッセージを入れた後


兄弟分の バタちゃんと 敏郎がすぐに 電話をしてきました。


二人とも 原稿でも読んだか?と思うくらい 同じ言葉を言いました。


それは


” なんとなく 優さんの声が聞きたくなって ” と


ボイスメッセージを録音しているとき 上に書いたように


親父の事を思い出し 僕は言葉がつまりました。


きっと 僕の震える声を始めて聞いた彼らは


彼らの中にある あったかさが反応し 


上に書いたように 電話をしてきたんだと思います。


僕は 彼らには言わなかったけど 電話を切ったあと こう思いました。


” ありがたいなぁ ” 


そのあと 一家のグループに こう返事をしました。


” 愛は

・     ・     ・     ・     ・    ・  
ありがたい    あたえたい    あったかい の略かもね ”



生きることが 困難な人や 生きたい理由がない人もいるでしょう。


でもね


生きている以上 生きることが 必要なんですよ。


当たり前の様に 生きている人が多いけど


生きている以上


” 生き切る覚悟 ” を持ってください。


まずは それから


希望があるから とか 夢があるから とか じゃなく


産まれてきた以上 


親が存在した以上


血が流れている以上


生きるのが 人間としてのあり方だと 僕は思いました。


僕は これからの人生で


生きる事を 諦めそうになっている連中と関わっていきたいと


思う そんな 出来事でした。