こんばんわ
先日 師匠と一緒にいる時に ある言葉を貰いました。
それは
” 生きていく上で 強さは必要だけど
優しくないと 生きていく資格がない ”
という言葉です。
僕は 自分の名前が 優しい という 字を使うので
その言葉に 敏感になっているのかもしれません。
意識すればするほど 優しく在りたい自分と 優しくない自分を感じます。
優しくない自分を感じた後には なぜか 罪悪感の様な感覚を感じます。
優しい自分を感じた後には なぜか 心が軽くなるような感覚を感じます。
例えば 内の若い衆で 苦しんでいる奴がいたとします。
そいつが 何が理由で どれ位苦しんでいるのかを 僕はわかります。
でも そこで手を差し伸べることが その子の成長に繋がらないか?
と感じると 手を差し伸べることをしません。
そうすると 僕の心は どっかで 苦しい感じがします。
逆に 同じケースでも 手を差し伸べるときがあります。
そういう時は これで良かったのか?という事が頭の中を巡りながらも
心のどこかには なんというか ぼんやりとした 明かりの様なものがポッと出るような 良い感覚がします。
何に従い生きるのか?
生きるということが 当たり前であれば
最初に書いたように 言わない選択をする。
もし 今日死ぬとわかっていたら 間違いなく
今 伝えれることは 全て 伝えようとする。
これが 僕の感覚です。
だからこそ 師匠の言った
優しくないと生きる資格がない。 という言葉が入ったのかもしれません。
今日 家に着き エレベーターに乗ると ヤマト運輸の人が乗ってきました。
僕は 『 何階ですか? 』 と 聞くと 僕の階より下の階だったので
そのボタンを押して 後ろに下がりました。
その階に着き ヤマトの人がエレベーターから出た時
『 がんばってください 』 と 言っている自分がいました。
その人は 僕の方をチラッと見て 小さな声で
『 ありがとうございます 』 と 笑顔で言ってくれました。
僕は 言ってよかった。 と 心から感じました。
さっき フェイスブックを見ていたら 誰かがシェアした 海外の動画集がありました。
それは 知らない人同士の 些細な優しさを 偶然見かけた人達の動画でした。
その優しさを見た人が 自分の目の前に困っている人がいたときに 手を差し伸べる
また それを見た人が と ずっと
優しさが繰り返される動画でした。
その動画集が作られたものかどうかは 僕にとっては問題ではなく
優しさが ずっと 永遠に連鎖する。という事が大切な事。
僕は 人間は 誰しも優しさを持っていると思ってます。
ただ その人の境遇や環境などで
出し方を知らない人や 出すのが恥ずかしい人がいるだけだと思ってます。
偶然 他人の優しさを見た人たちが
優しさの出し方や 出す勇気をもらう。
素晴らしい動画でした。
僕は 優しさには 二種類あると思っています。
一つは 人から見えたり 感じたりする優しさ。
もう一つは 自分に対する優しさです。
一つ目は 今日見た動画集や わかりやすく言うと 電車で席を譲るような優しさです。
これは 自分も相手も 心があったかくなる 優しさ。
生きていくうえでの 資格 と呼ぶにふさわしい優しさだと思います。
もう一つの優しさ 自分に優しく。
昔 兄弟分である 新潟のバタちゃんから ある相談を受けました。
その内容は 優しさの反対にある 冷たさからくる
ある人とある人との 出来事の間にいる彼が
自分がどうあるべきなのか? という相談でした。
僕は彼に その当事者に何も言うことなく
バタちゃんが出来る優しさを 行動にすればいい。
そして その事を 誰にも言わなくていい。と言いました。
その時に その行動をしたかどうかも どうだったかも
僕にも誰にも 言わなくていい。 と言いました。
彼が 行動に移した事は 聞かなくてもわかってます。
その上で 彼が 誰にも言わないからこそ
自分の行動や 自分が持っている 優しさに誇りを持てたであろうとも思っています。
僕は 今まで どちらかというと 後者の方の優しさを大事にしてきました。
それは そっちのほうが 格好良いと思っていたからです。
でも 師匠の言葉や 今日の動画を見て
自分自身の 優しさのバランスが悪いなぁ と感じました。
宣言するのも 照れくさいけど
これからは 目に見えるような優しさでも
100回に1回くらいは さっきの動画のように
誰かが偶然見かけて 優しさの出し方や 出す勇気を与えれたら
それが これからの人生で在りたい 自分の姿だな。と感じます。
今日 何かの本をチラッと見たときに
人生の価値は お金や地位や名誉を残すことではなく
人を残すことだ。 と書いてありました。
今の世の中を生きている人たちが どう生きるかによって
これからの人生を生きていく人に 影響がある。
もう べたでも なんでもいい
人として 優しく生きていたい。 と
心から 思う 今日という日でした。
今まで 僕の言葉で 傷ついたり 苦しんだりした人へ
ごめんなさい 許して下さい。
そして
心から ありがとう。
先日 師匠と一緒にいる時に ある言葉を貰いました。
それは
” 生きていく上で 強さは必要だけど
優しくないと 生きていく資格がない ”
という言葉です。
僕は 自分の名前が 優しい という 字を使うので
その言葉に 敏感になっているのかもしれません。
意識すればするほど 優しく在りたい自分と 優しくない自分を感じます。
優しくない自分を感じた後には なぜか 罪悪感の様な感覚を感じます。
優しい自分を感じた後には なぜか 心が軽くなるような感覚を感じます。
例えば 内の若い衆で 苦しんでいる奴がいたとします。
そいつが 何が理由で どれ位苦しんでいるのかを 僕はわかります。
でも そこで手を差し伸べることが その子の成長に繋がらないか?
と感じると 手を差し伸べることをしません。
そうすると 僕の心は どっかで 苦しい感じがします。
逆に 同じケースでも 手を差し伸べるときがあります。
そういう時は これで良かったのか?という事が頭の中を巡りながらも
心のどこかには なんというか ぼんやりとした 明かりの様なものがポッと出るような 良い感覚がします。
何に従い生きるのか?
生きるということが 当たり前であれば
最初に書いたように 言わない選択をする。
もし 今日死ぬとわかっていたら 間違いなく
今 伝えれることは 全て 伝えようとする。
これが 僕の感覚です。
だからこそ 師匠の言った
優しくないと生きる資格がない。 という言葉が入ったのかもしれません。
今日 家に着き エレベーターに乗ると ヤマト運輸の人が乗ってきました。
僕は 『 何階ですか? 』 と 聞くと 僕の階より下の階だったので
そのボタンを押して 後ろに下がりました。
その階に着き ヤマトの人がエレベーターから出た時
『 がんばってください 』 と 言っている自分がいました。
その人は 僕の方をチラッと見て 小さな声で
『 ありがとうございます 』 と 笑顔で言ってくれました。
僕は 言ってよかった。 と 心から感じました。
さっき フェイスブックを見ていたら 誰かがシェアした 海外の動画集がありました。
それは 知らない人同士の 些細な優しさを 偶然見かけた人達の動画でした。
その優しさを見た人が 自分の目の前に困っている人がいたときに 手を差し伸べる
また それを見た人が と ずっと
優しさが繰り返される動画でした。
その動画集が作られたものかどうかは 僕にとっては問題ではなく
優しさが ずっと 永遠に連鎖する。という事が大切な事。
僕は 人間は 誰しも優しさを持っていると思ってます。
ただ その人の境遇や環境などで
出し方を知らない人や 出すのが恥ずかしい人がいるだけだと思ってます。
偶然 他人の優しさを見た人たちが
優しさの出し方や 出す勇気をもらう。
素晴らしい動画でした。
僕は 優しさには 二種類あると思っています。
一つは 人から見えたり 感じたりする優しさ。
もう一つは 自分に対する優しさです。
一つ目は 今日見た動画集や わかりやすく言うと 電車で席を譲るような優しさです。
これは 自分も相手も 心があったかくなる 優しさ。
生きていくうえでの 資格 と呼ぶにふさわしい優しさだと思います。
もう一つの優しさ 自分に優しく。
昔 兄弟分である 新潟のバタちゃんから ある相談を受けました。
その内容は 優しさの反対にある 冷たさからくる
ある人とある人との 出来事の間にいる彼が
自分がどうあるべきなのか? という相談でした。
僕は彼に その当事者に何も言うことなく
バタちゃんが出来る優しさを 行動にすればいい。
そして その事を 誰にも言わなくていい。と言いました。
その時に その行動をしたかどうかも どうだったかも
僕にも誰にも 言わなくていい。 と言いました。
彼が 行動に移した事は 聞かなくてもわかってます。
その上で 彼が 誰にも言わないからこそ
自分の行動や 自分が持っている 優しさに誇りを持てたであろうとも思っています。
僕は 今まで どちらかというと 後者の方の優しさを大事にしてきました。
それは そっちのほうが 格好良いと思っていたからです。
でも 師匠の言葉や 今日の動画を見て
自分自身の 優しさのバランスが悪いなぁ と感じました。
宣言するのも 照れくさいけど
これからは 目に見えるような優しさでも
100回に1回くらいは さっきの動画のように
誰かが偶然見かけて 優しさの出し方や 出す勇気を与えれたら
それが これからの人生で在りたい 自分の姿だな。と感じます。
今日 何かの本をチラッと見たときに
人生の価値は お金や地位や名誉を残すことではなく
人を残すことだ。 と書いてありました。
今の世の中を生きている人たちが どう生きるかによって
これからの人生を生きていく人に 影響がある。
もう べたでも なんでもいい
人として 優しく生きていたい。 と
心から 思う 今日という日でした。
今まで 僕の言葉で 傷ついたり 苦しんだりした人へ
ごめんなさい 許して下さい。
そして
心から ありがとう。