こんばんわ



昨日は 八年 氷室建設で勤めた 佐藤のお別れ会でした。



彼は 八年前に 僕の知り合いを通して 紹介されました。



簡単に言うと 詐欺師に騙され お金持ちだった両親は自己破産



それでも さらにけつの毛までむしろうとする やくざもんに



借金を作らされ そして たまたま知り合いになった弁護士に



騙され 彼は 借金まみれになり 当時付き合っていた彼女



を風俗店で働かされる羽目になり 彼は その店で働き



給料は 全部没収。



当然 生活が出来ないので 空いた時間でバイトをしているときに



僕の知り合いと出会い その知り合いが 彼の事情を聞き



僕に 『 面倒見てくれないか? 』 と頼んできたわけです。



 彼との思い出はたくさんあります。



今後の彼の人生に 悪影響になるといけないので



ここに書き残せることは あまり無いといっていいくらいの



そういう 思い出がたくさんあります。



その中での いくつかを 書き残しておこうと思います。



まず 彼のお母さんが 飯が食えなくなり 畑に野菜を盗みに行った。



その話を聞いた僕は 当時 住む所も追い出されていたので



僕の家に 泊まりに来させました。



その日 お母さんの生活を聞くと 本当に苦しい状況だったので



僕は 『 お前がお母さんにしてあげたいことを 紙に書け 』 と言って



紙に書かせました。



その中で 印象に残っているのは



・ 靴下を買ってあげたい


・ ふとんを買ってあげたい


・ ごはんを 食べさせてあげたい


・ 下着をかってあげたい


・ お風呂に入らせてあげたい



等々 A4の紙一杯になるくらい こういうことが書いてありました。



僕は これを見ていて 涙が出て来ました。



うる覚えですが 当時 僕は佐藤に



『 なんで もっと早く 俺に言わんのだ! 』 と言ったのを覚えてます。



次の日 親友の裕輔が リサイクルショップをやっていたので



必要なものを揃え 佐藤に渡しました。



佐藤は 泣いていました。







 次に 佐藤のお父さんが亡くなりました。



お金が無かったので 佐藤は 葬式の費用を僕に貸してくれと



言って来ました。



彼は 葬式くらい まともな事をやってあげたい といい



80万円位の 葬式をやりました。



通夜の日



弔問客は 氷室建設の人間だけでした。



それでも 佐藤は 内の人間に 笑顔で



『 来てくれてありがとう 』 と 言っていました。



葬式の日



弔問客は 僕と うちの太田さんだけでした。



出棺の時 佐藤が 係りの人からマイクを渡され



たった二人の 弔問客である僕たちに 別れの挨拶をします。



『 本日は みなさん お忙しい中・・・ 』 と。



僕は 係りの人間を睨み付けていました。



” お前らもプロなら 状況考えろ! ” と。



一通りの事が終わり 佐藤は僕のところに来て



『 本当にありがとうございました。 親父も喜んでると思います 』



そう言っていました。



僕は 一言 『 そっか 良かったな。 』 と言いました。








最後に 佐藤に子供が産まれました。



名前は 一慶 ( いっけい ) と言います。



僕が佐藤に 名前の由来を聞くと


               ・      ・

『 僕たち夫婦にとって 一番 の 慶び という意味です 』



そういっていました。



ある時 他の従業員から 佐藤が 解体工事で出る



売れる アルミサッシを 盗んで売っているかもしれない と聞き



僕は 佐藤を問い詰めました。



すると 佐藤はこういいました。



『 アルミは売りました。 でも 会社のアルミは売っていません 』



『 じゃあ どこのアルミ売っとんだ! 』 と言うと



『 空き缶です。 』 と言います。



彼は 当時 僕が知らない 他の借金があり



誰にも言えず 子供のミルク代のために



夜な夜な アルミ缶を拾って 売っていたそうです。



書ける範囲で書きましたが、 彼にはこんな過去がいっぱいあります。



そんな彼が 昨日 退職しました。



僕は お別れ会が 終わったら こっそり佐藤に




『 なんか 困ったことがあったら いつでも言って来いよ 』 と



言うつもりでした。



でも お別れ会の最後に 工事部の頭である カンペイが



『 じゃあ 最後に社長から一言お願いします 』 と言ってきました。



僕が もじもじしていると カンペイに



『 社長! 八年ですよ! 』 と言われました。



僕も そうだな。 と思い 最後に思いを伝えました。



僕が最後に言ったのは



『 俺が 一番お前に伝えたかったことは 義理人情だぞ



だから 義理人情だけは 忘れたらいかんぞ。 お前は



うちで八年間も勤めたんだから どこに行っても大丈夫。



だから 自分を信じて 一生懸命やれ。 俺は



お前に感謝しとるし 幸せになって欲しいとおもっとるよ。 』



そう言いました。



僕は今日 昨日自分が行ったことを振り返って 



僕が伝えたいことは 義理人情なんだと そう強く思いました。



それさえわかってくれれば 仕事が出来るかどうかなんて 二の次



そう思います。



それと 最初に書いたように 僕は人に頼まれて佐藤を雇いました。



他にも うちの従業員の半分以上が 頼まれて雇った人たちです。



結果



僕は 人に相談されることが増えて来ました。



そのほとんどが その人たちが人生に行き詰まり



自分では どうしていいのか わからない という状況です。



師匠がよく講演で



『 頼まれたことを 一生懸命やっていれば おのずと役割が



まわってくる 』 と 言います。



今の僕に 人の相談に乗るとか




人の悩みの力になる というような 役割があるなら 



こういう 佐藤のような いわゆる 受け入れにくい人たちを



受け入れてきたから 与えられた役割なのかもしれません。



だとするなら その役割は 大歓迎です。



僕はよく 従業員に対しての事で 『 どうしてそこまでするの? 』



と聞かれます。



その答えを一言で言うなら



それが 人情だから。



『 どうして そういう人を受け入れるの? 』 と聞かれ




その答えを 一言で答えるなら



それが 義理だから。



そういうことです。



誰にわかって欲しいとも思いません。 



なぜなら 僕がもともと 馬鹿だから。



馬鹿のもとに 馬鹿が集まり 馬鹿なりに 一生懸命生きる



そんな 一癖もふた癖もある 馬鹿げた集団があっても



いいんじゃないか と 思ってます。



商売だから お金は儲けます。



でも 出る言葉の中で多く言うのは



『 お金で買えないものを大事にしろ 』 です。



金儲け と 金で買えないものを大事にしろ



この 相反する言葉に 戸惑う若い衆もいると思います。






僕の中にずっとあった 芯の部分 これを言葉にする事が



少しずつ出来るようになってきました。



生きるためには 金が要る



守るためには 金が要る



人は 一人では生きていけない だから 



和をつくろうとする。



生きる為 



つまり 和を作っていくためには 義理を知らなければならない。



守るため



守りたい人を増やしていくためには 人情を知らなければならない。



35歳の時点で 僕が 僕の中の 芯の部分を言葉にするなら



こういうことです。



だから



人は 人情 男は 義理。



これが 僕の生き方です。