こんばんわ




タイトルどおり 僕自身が学ばなければならない




僕と師匠の決定的な違いの話です。




中村文昭という男をご存知の方は 中村文昭といえば?




という 質問になんて答えるでしょう...。




四つの鉄板ルールや 語りべ 日本一の講演家などなど




知っている人の知り方や 触れ合い方によって




さまざまな 表現をすることでしょう。




僕にとっては いうまでもなく 




僕の師匠です。 師匠の弟子です。 という表現になります。




では 中村文昭の凄いところはどこでしょう? という質問には




いったいどんな答えが返ってくるんでしょうか?




これも 人それぞれだと思いますが




僕が 感じている部分で言うと 




まずは 観察力 洞察力 空気感 目線 気遣い 回転の速さ




など 色々あります 




その中でも 僕が最近一番学ばなければならないと感じているのが




四つ目にあげた ” 視線 ” です。




視線と言うのは 目のやりどころ という意味ではありません。




そうではなくて 常に相手の立場や状況 もっというと




相手のレベルに合わせ 相手のレベルに沿った物言いをする




という所です。




僕は 会社の若い衆に対して 自分が出来るラインを100点と




設定して 減点方式で相手を評価しています。




つまり 僕が出来る事で 若い衆が何かやるとき




僕ならこれくらい出来るというラインから見て 




ここまでやれとれば まぁ 合格かな みたいな捉え方です。




例えば 僕は報告を重視する人間なので 報告を例に取ります。




僕の考える 100点の報告とは




まず 行動する前の 事前の報告で 




いつ どこで 誰と 何を 何の為にする という内容を報告し




行動後に




まず その場で 即座に どうだったか そして どう感じたか を




報告して 100点となります。




なので この中の一つでも抜けると 減点対象となり




結果 70点位の評価を心の中でしたとします。




でも その若い衆の実力が マックス70点だとして




僕の合格ラインが 80点だとしたら 




若い衆にとっては マックスの仕事をしたのに




僕には 褒められることは当然なく 下手したら 叱られる事となります




僕は 僕自身が スパルタで育ち 褒められることがほとんんど




なかったので こういう思考回路になりました。




でも最近 太志の事や 他にもいろんなことが重なって




自分の考え方に限界が来ているんじゃないかと感じています。




この限界とは 僕がこのままでは 若い衆ののびしろを




もっと伸ばすことができないんじゃないか? という限界です。




なので 最近はめずらしく ものすごく考える時間が増えています。




そんなときこそ やっぱり師匠の出番となります。




師匠に何を相談したわけではないんですが 




師匠だったら どうするか? とか 人に対しての接し方で




僕が尊敬する 九州の 真由美姉さんだったら どうするか?




など 僕が出会った中でも ピカイチの人だったらと考えます。




そこで 視線です。




師匠や 真由美姉さんは




相手の実力が 50点だったとしたら そこに基準を置きます。




だから 100点満点がある出来事だとしても




その人にとっての100点 つまり 今の例えだと 50点であれば




物凄い相手を褒めて 認めて 賞賛します。




僕は 師匠に 『 お前の観察力は ホンマに神のいきやで 』 と




言ってもらったことがあります。




僕も 師匠を見ていて ” この人の観察力は 桁違いだな ” と




いつも感じています。




おこがましいですけど 仮に 僕と師匠の観察力が同じくらいだとするなら




なぜ 師匠の周りの人たちは どんどんパワーを発揮していって




なぜ 僕の周りの人たちは どんどんパワーがなくなっていくのか?




さっき書いたように 答えは 明確です。




見えているものが一緒だとしても 視線の置き所がまったく違う。




僕は 僕と関係が遠ければ遠いほど 




なぜか 相手の基準に合わせて 見ることができて




近ければ近いほど 僕の基準で見てしまいます。




結果は 遠い人ほど 僕と話すと元気になり




近い人ほど 僕と話すと 凹みます。




これでは 愚の骨頂です。




僕の言葉で言うなら ” あほ丸出し ” です。




お前は 師匠と出会って いったい何を学んどるんだ! と




自分自身に言いたくなる日々を ここ最近送っています。




そうです。 これは 僕が一回り成長する為の時期なんです。




昔ブログにも書いたんですが




僕が生きてくるために 必要だった鎧や剣が 




必要じゃなくなってきた証拠。




こうすべき こうあるべき こうじゃないといかん という様な




自分を律するための 鎧や剣が 必要ではなくなってきた




格好付けるわけではないんですけど




僕が生きる為に必要だった 鎧や剣は 書いたとおり




それがなくては 生きていくこと 生活していくことが難しかったから




必要としていた。 でも 




僕は 彼らを守る存在で 彼らを守るためには 鎧も剣もいらなくて




守るという覚悟さえあればいい




だから 僕が必要だったものを 彼らに押し付けるのではなくて




彼らに必要なものを 与えていけるような 親方になりたいと




心からそう思ってます。




せっかく 僕の周りには 教科書のような人間がいるのだから




素直に受け入れて 学び 自分のものにして




若い衆の笑顔を もっと増やせるような そんな親方になる為に




自分に対しての 戒めも含めて ブログに残すことにしました。




長々とわかりにくい事を書きましたが




あくまで戒めです。 読んでくれてありがとうございました。