こんばんわ 今日は一昨日入社した



新人営業マンの話です。



彼は 40前で 営業畑でやってきた人です。



彼は 僕の会社の下請けさんの営業でした。



当時の彼の印象は しつこい くどい



そんな感じです。



というのも 僕が「 もう俺にはかけてこんで 」といっても



へっちゃらで電話してくる人間です。



で 何か月前かに やめようと思ってるという話を聞き



「 うちこやー 」と言いました。



対相手側としてみると しつこい ですが



対自分側でみると そのしつこさが 武器に見えるんですよ



で それから 2か月くらいが過ぎて



僕に会いたいというので あって話を聞くと



ブログを読んだと言いました。 そのうえで



内容と 彼から見える僕にギャップがあるので



本当かどうか 話をしに来ました。と言うんです。



当然僕は これでもかというくらい



自分の想いを熱く語り そのうえで 



自分で決めろと 伝えました。



結果は冒頭の通りですが 彼は 家庭もち ローンもち



で うちに来て 収入は 約半分



そのうえで 今日の帰り 僕は彼に送ってもらったんですが



その時に 「 歓迎会をやろうと思うんだけど?」と言うと



そんな立場じゃない と言います。



わかった じゃあ 物件決まったら やろか?と言うと



利益がでないと ダメですよ と言うのです。



僕は 良し! と思いました。



僕は彼を全力で応援します。



それでこそ 営業マンだ



それでこそ 一家の主だ 



あなたは 立派だ そう思いました。



内にも この真逆の人間がいます



そいつに このブログを見せたいですわ



どうして 同じ条件 同じ環境でも



こうも違いがでるんですかね?



当然 生きる意味 生きる理由 働く意味 働く理由



自分自信のあり方という理想 信念 我 役割等



いろいろ理由はあるでしょう。



でも ただ単に 一生懸命やるかどうかは



誰でも選択できること



しかも もうちょっと言うと



人間と言う動物か誰しも平等に持っている者は 生と死です



これだけは 選べません。



そのうえで、その間にある 生きる ということには



なぜ 選択肢があるのでしょうか?



選べない事と 選べることがある



人間には持って生まれた 欲がある



欲をかなえるために 人は生まれてくるのか?



違う 欲に打ち勝ち 人としての選択をするために 



人は人として 生まれてくると思うのです。



なのに 大半の人間は 自己満足基準



できないことを 理由にする



そこには 選べる選択肢があるのに



そう思っちゃうからしょうがない と



思うということは 基本的に 欲からくることも知らず



思ったことが自分の答えだという 言い訳をし



想いの先を 自分から相手へと変えるだけなのに



いつまでも 自分基準で 自己満足の為だけに生きる



こんな人間が多い中 今日の新入社員は



僕にとっても良いカンフル剤になると思います。



彼は 伝説を作る人になると 確信してます。



いつの日か 彼の事を やっぱりというタイトルで



書く時を信じて 今日は終わります。