最近 何の為にという 目的探しをよくしています
だれかとの会話とか 僕の目に見える人の行動とか
この人は 何の為に今こういっているんだろう
何の為に こうしているんだろう
こういう基準で見ると あまりにも 僕の目に見える目的が
自分のために という基準に移ります
僕自身もそういう時が 多いけれど
僕の目につく そういったことは
はっきりいって 陳腐に見える
でも これは その人自身の問題ではなく
問題の原因は その人の親もしくは 家庭環境にあったと思う
僕自身もそういう節がある過程で育ったけれど
それに気づき 立ち向かっている
最近思うのは 純粋に 気づける人とそうじゃない人の違いは
いったいどこにあるのか?
本当は誰もが 幸せになることを望んでいるはずなのに
そして その幸せの実感は 他人から与えてもらうものなのに
あまりにも 自己中心的な人が多い
変えれない過去にいつまでもしがみつき
そこを基準とすることで
今の平穏を感じる
この矛盾はどうやったら とけるのか
答えはないけど
何とも言えない いやな感覚です
まずは 自分が幸せになることを考えるのが人間でしょう
でも その先にある 誰に何を与えれるのか
それが 価値じゃないのかと
そんな風に良く感じてます
歩くのが嫌なら 足を切ってしまえばいい
話すのが嫌なら 口を縫ってしまえばいい
極端なたとえですが
誰もが持つ 自分の構造を基準に
それ自体が何の為にあるのかを考えたら
いかにそれに矛盾しているかを感じざるを得ない
そう思います
ちょっとわかりにくい事を書いていますが
要は 自然体で生きればいいでしょ
にんげんとして っていうことが言いたいです
今この瞬間に 酸素が0になったら
今悩んでいることなど 一瞬にして考えなくなるはず
所詮悩みなんて そんなもんだろうなと 感じてます
こんな便利な世の中だからこそ
理解から始めるのではなく
体感することから始めたいものです。