今日は 先日の記事に



懐かしい人からコメントがあったので



そのことで感じたことを書きます。



その人は以前 うちの会社に属していた人です



いろいろあって 今は一緒に働いてはいませんが



コメントはうれしかったです。



ブログを見る見ない や コメントするのも



性格的な部分もあるんでしょうが



今までうちの会社を辞めた人からコメントを



もらったのは初めてのことです。



そこで 僕が思ったのは



やっぱりやめ方って大事だな ということです



僕は何年か前まで 辞めるとなると



みんながみんなといっていいほど



なにかしらもめました それも こっちの



一方通行な してやった感丸出しで



きれいごとを並べて こっちの都合のみを



そのまま言葉にすることが 僕の中のなにかの癇に障るので



言葉を選んで 相手を操作し なんとか 意のままにしようと



必死でした。



当然人間は第六感があるので こっちの感情は



すぐに気付かれ 結果 10あったら 成功したのは



2位です。何を持って成功かというと その人たちが



今の主力になっていることです。



口先だけでも ついて着てよかったと 言われると



僕はうれしいです。



それは良いとして 僕が言いたいのは 



出会いであり 別れであっても



自分の中のフィルターを通して 相手の言葉や行動を



見ているということ また 僕のように我の強い人間は



相手の感情表現も自分だったらこうする という



形でないと 満足しないということです。



でも 何年か前に 七つの習慣を読み返してから



少しずつ 僕の中で変わってきました。



要は 極力自分フィルターを通さずに 



Win-Winを意識し 相手の意見を尊重することで



出会いの形や 別れの形が 変わってきました。



自分フィルターが必要最低限以上 なくなれば



もっと多くの出会いや もっと多くの良い別れがあるでしょう



その証拠に コメントの人に限らず 必然としか



言いようがないんですが 今日 僕の現場を



下請けさんに やってもらっているので



現場を見に行ったら またまた うちをやめた人に



会いました。その人とも 悪い別れ方はしていません



だから あった瞬間に 思わず 笑ったら



相手も笑って 2時間くらい話をしました



それも とても うれしかったです。



こんなことが 一日に2回も起こるなんて 



これを 必然とするなら 僕のトラウマらしい



人に認めてもらいたい という部分が



前に向かっているということなんでしょうか?



コップにちょこっとしか入っていない水を見て



こんだけ という人もいれば こんなにも という人もいます



幸いにも 僕は プラス思考なので



この必然をプラスに解釈します。



今日は良い日でした。