ご存知ない方もいるかもしれない。僕は2003年から八王子市議会議員を二期つとめた。自民党市議として、市長選で推薦した現職市長の利権問題を議会で徹底的に追及し、真っ向から闘い、超党派の枠組みの一角を担った。それが原因で衆議院議員に叩かれ、離党もした。結果的に次の選挙で降ろすことはできたが、数多くの裏切りを味わったし、ありとあらゆる誹謗中傷を受けた。正直に言えば人間不信に陥り、外に出たくないことも何度もあった。それでも貫くことができたのは、これまで落選しても離れず一緒に闘ってくれた仲間たちや妻や家族がいたからだ。

 

僕は縁あって2016年、当時の民進党衆議院山梨2区の公募に声がかかった。落下傘候補だ。憲法9条を守るというのが政治信条であった故加藤紘一代議士なら、それも貫く元秘書である私の決断を、天国から評価してくれたことだろう。2017年の衆議選直前に党のゴタゴタがあり、僕は立憲民主党に拾われた。支援者や連合山梨の皆さんには助けられ、みんなが本気で政治を変えようと一緒に闘ってくれた。選挙では結果を残せてこれなかったが、僕は今も山梨県笛吹市の石和町というところに住んでいる。山梨では立憲民主党山梨県連の副代表として恩返しの最中だ。八王子では代表理事として一般社団法人を立ち上げて、いくつか事業を進めている。その1つが、仲良くしている山梨の農家と始めた、県内フルーツの都内や神奈川などへの流通だ。一昨年から。

 

石和温泉から八王子までは車で1時間。ちょうど、八王子から東京駅に行くようなものだ。いや、それよりも近い。誤解を恐れず言おう。石和に住んでいるからと言って八王子を離れたという感覚は僕にはない。どっちも地元だ。後継の妻は3期となり八王子市議として頑張ってくれているし、仲間や父の時代からの後援者、そして何よりも父自身が、僕がいつかまた、どこかで政治の場に戻るのを待ち、いろいろ話をしてくれている。

 

告白する。今年1月の八王子市長選挙に候補者として声がかかった。悩んだ末お断りした。まだ自分のなかで山梨に恩返ししきれていない気持ちが強いし、一緒に続けていることもある。そして、今じゃないと思ったからだ。

 

正直に言おう。実は自問自答し、昨年末までのしばらくの間、政治的発言と距離をとっていた。政治は生活だし、今の政治を変えたいという思いは自分のなかで変わらない。いや、以前より強くなっている。間違いに対しはっきりモノ言うスタイルが市議の時代からだけど、しかし政治的スタンスを明確にすれば敵を作り、時の政権政党と対峙すれば人が離れていく。

 

今冬の八王子市長選挙で、応援要請をいただき封印を解いた。理由は明確だ。今の国や山梨の政治はおかしくなっていて、そして八王子市政も同じ。僕のように、かつて自民党にいた者がはっきり言わなければならない時が来たからだ。精一杯応援した。

 

反省がある。応援した八王子市長選は負けてしまった。自分では一生懸命だったが、横断的な枠組みでは、もしかしたら、もう少し何かできたのではないか。それは山梨でも同じだ。新型コロナウイルス感染症が拡大し、この数か月、自己の見直しをする機会を持った。5月で48歳になった。認めたくはないがりっぱなオヤジだ。どの世代もそうで、将来に責任をもたなければならない。

今の政権、崩壊は時間の問題だ。が、しぶとい。先ずは一日も早くこの政権を終わらせる努力をしていこう。しかし、その後の枠組みが同じなら、何ら変わらない。そこも壊さなければならない。野党がしっかりしろ、というお叱りはその通りだ。耳が痛い。大きなことを言うつもりもないが、それでも自分にできることがあれば、努力と協力は惜しまないつもりだ。