こころのチキンスープという本を読んだことありますか?


こころのチキンスープ―愛の奇跡の物語/ジャック キャンフィールド
こころのチキンスープ〈2〉―生きることは愛すること/ジャック キャンフィールド

チキンスープは、風邪をひいたり、具合が悪い時に手作りの温かな食事としての代名詞です。

日本で言う「おかゆ」のような食べものです。

学生の頃大好きでよく読んでいたのですが、またここ数日で思い出していました。


本が実家なので正確にはかけないのですが、その中にとても素敵なお話がありました。



あるところに修道院がありました。

修道院ができたばかりの時は活気にあふれていたのですが、だんだんとその思いが減り、薄れ、

雰囲気が殺伐としていきました。

あるとき、預言者!?(ラビだったかも)があらわれ、「この修道院に救世主が現れます。」と

伝えました。みんながびっくりして、どこに現れるのかを聞くと、その人はこう答えました。

「あなた方の間に隠れています。その中のうち一人が救世主です。」

次の日から、修道院の雰囲気ががらっと変わりました。

「この人は○○な良いところがあるから、この人こそ救世主かもしれない。」「待てよ、あの人は□□が得意でみんなをいつも助けてくれるからあの人こそ救世主かもしれない。」

そして、自分以外が救世主の可能性があると分かったそれぞれは、お互いに尊重し、ケアし、大切にするようになりました。

その修道院では温かな掛け声、思いやりのある行動が増え、愛のある活気ある修道院になりました。




もう15年ぐらい前の話なので、勝手に作っているかもしれませんが(笑)、
実にそれぞれの心掛け、物の見方次第で雰囲気が大きく影響されるのだと思わされました。



大きな地震、災害が続くからこそ自分の心掛けがとても大切だと感じています。

色々分からず、焦ったり、悩んだり、一生懸命になりすぎたり、落ち込んだり、妙に明るくふるまおうとしたり、楽観的に考えたり、軽率だったり。

また自分の得ている情報と周囲の情報の量の違い、解釈の違い、意見の違い、表現方法、心のキャパなどそれはそれはめまぐるしく変化する一週間だったようにも思います。そしてこれからも続くかもしれません。

その時にやはり大事なのは相手を信頼すること。違いがあっても、理解できなくても「相手の善意」を信じる事だと強く思います。


なぜなら一人ひとりは本来神様から来て、愛され、愛するために世にきていると思うから。


<聖書:マタイによる福音書25:37-40>

すると、正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちはあなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。

いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊らせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』

すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たちに、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」