今日は、朝から市場に行き、生きるって・・・って思って帰ってきましたかお


ローフード礼讃  ~Physiology  of  RawFood~   ローフード礼讃  ~Physiology  of  RawFood~

都会育ちの私は、小さい頃からいつもきれいに加工されたものしか見たことがないので、生きたままとか、

その場で解体しているのとか、ちょっと弱いです・・・。でも、それって凄く大事なことですよね。

仕事上、ベジタリアンですか?と聞かれることがあります。

もともと、お肉好きの家庭で育ったので、家では必ず食卓にお肉のメニューがあったのですが、健康の理由でお肉を減らし、乳製品を減らし、卵の質を選ぶようになっていきました。

今は、食べなくても何も支障もなく、逆に体が軽くて元気かもしれません。

そしてさらに、色々学ぶ中で今現在の屠殺場の事実 (見るにはちょっと覚悟が必要です)を知り、ちょっとショックを受け、お肉に対する見方が変わりました。

本来、食事とは自分の命をつなぐための「命をいただく」行為だったと思うのですが、文明が発達し、本来のかたちから離れた加工品、味付けで、その感覚は鈍ってしまうのだと思います。

私は、自分が体調を崩すまで、「食事は命をいただく行為」という概念がありませんでした・・・。


それが徐々に変わり、今では、野菜の命さえ「奪っている」=「頂いている」という気持ちが増しました。

動物であろうと、植物であろうと生きていた物を頂くことには何も変わらない気がしてなりません。

私は、「何かの命を頂く」=「繋いでいく」ということが生きていくことだと思っています。ですから、文化や習慣を否定したいわけでもなく、何がいい、悪いという思いで見ることがないようにも心がけています。

実際、食べものに対する思いは私自身がかなり変化してきましたから、それぞれの認識も時や場所で違うのだと思います。

以前、モンゴルでお祭りのために羊が一頭屠られる映像がありました。羊は抵抗する様子もなく、静かに「食べもの」になっていきました。解体している人も「まず、羊が苦しまないように、こうして殺す、その後、無駄のないように解体する、全てを頂くことが大切、羊も私たちのために命をささげてくれている。」と話しているのがとても印象的でした。


ですから、今日の市場でまた改めて、生きたまま、あるいは解体されて売られていたものを目の当たりにして、自分が同じように殺したり、解体したり、加工できるのであれば食べてもいいのではないかなと思いました・・・。

今の私はちょっとナイーブ過ぎて全ては難しい感じがしましたが、生きるってことはすごい!って改めて思いました。


ちなみに、市場では、今日はパパイヤ、スイカ、アボガドを購入しました・・・。