今日は中華街に行って
きました。
 
娘の幼稚園で着る
春節(中国正月)
の衣装を買いに、
短い時間だったけど
楽しかった♪
 
地元の長崎にも小さな
中華街があり、
 
この前まで住んでいた
神奈川にもあり、
 
バンコクにも大きな
中華街があります。
 
夫が中国語が専門で、
私達は飲茶が大好きと
いうこともあって
訪れる機会は多いように
思います。
 
古き良き中国の雰囲気
を感じて何故か懐かしく
もあるような、
そんな中華街が好きです。
 
中国に住んでいた時も
都会の街よりも
どこかノスタルジック
な街並みが好きでした。
 
重度障がいのあった優大
を抱えて、
実際に中国に住むことは
本当に大変でしたが、
ご縁を感じられる国。
 
 
タイも雰囲気や、料理、
山岳民族の手工芸品や、
好きなところが沢山
あります。
 
ここもまた、
住んでみた感想とは
別ですが、、笑。
 
きっといつかの私は
様々な国に住んでいた
のだろうなぁと感じます。
 
国だけでなく星も、笑。
 
 
理由もなく好き、
親しみを感じる、
 
それはどこかで知って
いるから。
 
私たちの記憶はずっと
光の時代から続いて
いるのだなぁと。
 
そう考えると命の営み
はとっても壮大で
ほんの砂つぶほどの
今だけれど、
 
だからこそ、
今という時のきらめき
がより愛おしく感じ
られます。
 
出会う土地。
 
出会う人。
 
全部が宝物。
 
人生はなんて豊か
なんだろうと感じる
今日この頃です。
 
 
 


そして今日も美味しい
飲茶に舌鼓♪
 
 
 
 
 

これさえあればいい

 

ということがあると

すれば

 

生涯を通して

 

愛を表して

 

愛を受け渡していく

 

愛で生きていきたい。

 

それに尽きます。

 

 

自分でそう思うものの

時々迷子になることが

あります、笑。

 

 

何もやれていないの

ではないか?

 

今何をすればいいか?

 

と気がつくと考えて

いることがあるのです。

 

そしてそんな思考に

気付くと同時に、

 

あぁ、違う違う

 

今を生きているだけで

愛を生きているんだ。

 

と思い出します、笑。

 

 

人のことや過去や未来に

迷子になっていると

 

不安やモヤモヤや

突然怒りたくなったり

イライラしてきたりします。

 

足りないことが

ある気がしたり。

修正することが

ある気がしたり。

 

でもそれって、

そこに何かの解決すべき

問題があるのではなく

 

その迷子自体が

本来の愛のエネルギー

からはずれているから

不快に感じているだけ。

 

 

昨日も寝る前にそんな

ことを感じて

何かをやるのをやめて

眠りにつきました。。

 

 

心を亡くすと書いて

忙しい。

 

忙しくしていると

余計なことを考えなくて

済みますが、

 

同時に

 

大切なことも

忘れてしまったりします。

 

 

今を生きるためには

 

何もしない

何もしようとしない

 

自分という存在に

たっぷりと満たされた

空白の時間があることも

 

人には必要なのかも

しれないなぁと思ったり

します。

 

 

 

 

今日は息子の通う学校の
スポーツデイでした。
 
運動会みたいなもの
ですが、
 
競うことよりも楽しむ
ことが優先という感じ。
 
のんびりムードな
みんなの中で、
大和魂なのか、笑、
本気モードが入った息子は
走る競技ではどれも1位で
とても嬉しそうでした。




 
空の下、輝いている
子ども達を見ていると
わけもなくウルウルっと
してしまう私。
 
毎年運動会に行くと
あったかい涙がふわ〜
とこみ上げてきます。
 
 
娘も学校が始まり
楽しそう。
 
明日は初めてのバレエ
の課外レッスン。
 
チュチュをつけて
練習に余念がない、笑。
 
可愛くてたまりません〜。
 
 


 
命を自由に表現して
輝いている子ども達が
 
いつも大切なことを
教えてくれます。
 
みずみずしい命は
そのままそこにある
だけで美しい。
 
誰のどの命も愛の光に
満ちている。
 
閉じ込めないで生きて
いればいいのですね。
 
 
暑くて疲れたけれど
幸せな1日でした♪
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

自分を大切にして

生きるようになって

変化したことが

沢山あります。

 

その一つに、

 

「わかってほしい」

 

という気持ちが

とても減ったこと。

 

もちろん今も気づくと

そう感じていることも

ありますが、

とても少なくなった

ようなのです。

 

 

「わかってほしい!

しかも、

正確に理解して

共感してほしい。」

 

今こうして書くと、

 

なぜそんな到底無理な

ことを願っていたのか、

 

自分でも違和感が

ありビックリして

しまいますが。。

 

ずっとそう望んできた

ように思います。

 

 

親に対して

友人に対して

家族に対して

すべての人間関係の中で

 

自分の心の声を真ん中に

自己中心的に生きること。

 

 

その通りになんて

わかりようもない

人の気持ちを、

 

一生懸命に

汲んで生きてきた

私にとっては、

 

自分を優先させる

ことは。。。罪。

 

とても、勇気のいる

選択でした。

 

 

ですから、

 

自己中心になる程に

他者への欲求が減る、

という体験は

とても新鮮なものでした。

 

 

人の気持ちや行動を

自分の思うように

コントロールしよう

としなくなる。

 

すごい人だと

優しい人だと

言われるように行動

しなくてもいい。

 

人を利用して

自分を満たす必要が

なくなる。

 

自分を大切にすることは、

人を大切にすることに

まっすぐに繋がって

いるのですよね。

 

 

変化していくことが

こんなにおもしろく

心地いいなんて、

 

これから訪れる人生も

楽しみでなりません♪

 

 

 

 

真実を知りたいと

ずっと思ってきました。

 

あるとき、

これこそが真実だ!

と思って生きても、

 

必ずまた、

以前の真実とは

どこかしら違う色の

違う空気の、

真実に出会う気がします。

 

 

「本当に正しい」と

思えるものごとは、

時の数だけ、人の数だけ

無数にあるのです。

 

人間が知ることのできる

どんな偉大な真実も、

 

ずっと握りしめていること

なんてできないのでしょう。

 

 

道を求めるとき、

 

私たちは永遠の真実を

知りたいと願います。

 

惑わず揺らがず、

苦しまずに、

 

信じることのできる

真実の柱を立てて生きる

ことができたらと願う。

 

 

そうやって道を求めて

歩んだ末に、

 

 

この世界に不足して

いるものはなかった。

 

私は私でいていい。

 

求めて歩みだした時から

自分へと還る道の上

だったのだ。

 

 

と、知るのかもしれません。

 

 

 

私たちのすべての歩みは

徒労ではなく、

それ自体が「本当のこと」

 

最初から私という真実を

生きている。

 

 

他ならぬ「私という真実」

を生きることが

すべての命の願いなの

でしょうね。

 

 

夜空に瞬く数えきれない

星の光のように、

無数の真実の光が輝く世界。

 

想像するととても優しい

気持ちになります♪