2000年春、9ヶ月のお腹を抱えて
私は九州の実家に戻った。
高校時代から何も変わらない故郷。
考えてみれば、
大学入学で実家を離れてから
まだ4年しか経っていない。
中学時代にカンボジアでの
大虐殺のニュースを観て以来、
国際貢献を目指した私は、
志望校を一本に絞り受験した。
滑り止めも考えず一校だけを
受験したが、
必ず入学するという確信にも
近い願いが叶い、
私は外語大に入学することに
なった。
しかし、学ぶ途中に国際貢献に
疑問を持ち、
自分の進むべき道が何なのか
わからなくなった私は、
授業になんの興味もなくなって
しまった。。
マネージャーとして入部していた
ラグビー部がなかったたら、
きっと中退していたかもしれない。
楽しい時間は部活や課外で
仲間や友人と過ごすこと、
そこに見つけられた。
小学校時代から学校が嫌い
だった私は、
いつでも友人に助けられた。
私は何も変わっていないの
だろう。
夫と出会い、結婚し、
子どもを授かった今となっては、
このために大学に行ったのかしら?
と思わないでもない、笑。
卒業後は戦争や飢餓の救援に行く
はずだったけれど、
最危険地域に行かずとも、
命の危機に瀕している赤ちゃんを
お腹に抱え、確実に助けを求めて
いるのは私だった。
私の使命はこれだったの?
と何度も頭をよぎる。
赤ちゃんの異常が告げられてから
私は、なんで私の赤ちゃんが?
と何度となく思った。
現実を受け入れることは
あまりにも苦しかった。
しかしそれと同時に、この妊娠
について、どこかで知っていた
かのような気持ちもあったのだ。
入居していた社宅の隣のアパートに
精神障がいを持つ方が住んでいて、
時折大きな叫び声をあげた。
得体の知れない怖いものをみる
ような視線が送られていたが、
私は何故か思った、
人ごとだなんてなぜ言えるの?と。
それからほんの数ヶ月で私は
実際に障がいと言われるものを
もつ赤ちゃんを授かった。
赤ちゃんに障がいがあると
言われても、不思議と障がい
だなんて受け入れられない
という思いは湧いてこなかった。
それは命さえ繋ぐことができない
という最重度の障がいだった
のが一つの理由なのか、
とにかく、赤ちゃんが無事で
生まれてくれさえすれば、
私は何も望むことはなかった。
「使命」というものについて
本当に幼い頃から考え続けて
きた私は、
子ども時代を家族の幸せの
ために生きていた。
自分を捧げるものがあることが、
私の生きる意味でもあったの
かもしれない。
使命が自分を捧げるものでは
ないと後になって知ることに
なるまで、
私にとっての赤ちゃんは
私が命をかけて守るべきもの
だった。
帰省すると、出産準備をする
ために地元では一番大きな
大学病院へと向かった。
実家に戻りホッとしたのも
束の間、
そこから、私の苦しみは一気に
頂点を迎えることになる。
人生とは本当に一筋縄ではいか
ないものなのか。。
震えながら、神様どうか。。
と祈り続けた妊娠最後の日々が
始まった。
story3へとつづく。。
私は九州の実家に戻った。
高校時代から何も変わらない故郷。
考えてみれば、
大学入学で実家を離れてから
まだ4年しか経っていない。
中学時代にカンボジアでの
大虐殺のニュースを観て以来、
国際貢献を目指した私は、
志望校を一本に絞り受験した。
滑り止めも考えず一校だけを
受験したが、
必ず入学するという確信にも
近い願いが叶い、
私は外語大に入学することに
なった。
しかし、学ぶ途中に国際貢献に
疑問を持ち、
自分の進むべき道が何なのか
わからなくなった私は、
授業になんの興味もなくなって
しまった。。
マネージャーとして入部していた
ラグビー部がなかったたら、
きっと中退していたかもしれない。
楽しい時間は部活や課外で
仲間や友人と過ごすこと、
そこに見つけられた。
小学校時代から学校が嫌い
だった私は、
いつでも友人に助けられた。
私は何も変わっていないの
だろう。
夫と出会い、結婚し、
子どもを授かった今となっては、
このために大学に行ったのかしら?
と思わないでもない、笑。
卒業後は戦争や飢餓の救援に行く
はずだったけれど、
最危険地域に行かずとも、
命の危機に瀕している赤ちゃんを
お腹に抱え、確実に助けを求めて
いるのは私だった。
私の使命はこれだったの?
と何度も頭をよぎる。
赤ちゃんの異常が告げられてから
私は、なんで私の赤ちゃんが?
と何度となく思った。
現実を受け入れることは
あまりにも苦しかった。
しかしそれと同時に、この妊娠
について、どこかで知っていた
かのような気持ちもあったのだ。
入居していた社宅の隣のアパートに
精神障がいを持つ方が住んでいて、
時折大きな叫び声をあげた。
得体の知れない怖いものをみる
ような視線が送られていたが、
私は何故か思った、
人ごとだなんてなぜ言えるの?と。
それからほんの数ヶ月で私は
実際に障がいと言われるものを
もつ赤ちゃんを授かった。
赤ちゃんに障がいがあると
言われても、不思議と障がい
だなんて受け入れられない
という思いは湧いてこなかった。
それは命さえ繋ぐことができない
という最重度の障がいだった
のが一つの理由なのか、
とにかく、赤ちゃんが無事で
生まれてくれさえすれば、
私は何も望むことはなかった。
「使命」というものについて
本当に幼い頃から考え続けて
きた私は、
子ども時代を家族の幸せの
ために生きていた。
自分を捧げるものがあることが、
私の生きる意味でもあったの
かもしれない。
使命が自分を捧げるものでは
ないと後になって知ることに
なるまで、
私にとっての赤ちゃんは
私が命をかけて守るべきもの
だった。
帰省すると、出産準備をする
ために地元では一番大きな
大学病院へと向かった。
実家に戻りホッとしたのも
束の間、
そこから、私の苦しみは一気に
頂点を迎えることになる。
人生とは本当に一筋縄ではいか
ないものなのか。。
震えながら、神様どうか。。
と祈り続けた妊娠最後の日々が
始まった。
story3へとつづく。。