今日の話しはちょっと長くなるの
ですが。。
しかもわかりにくいことかも
しれません。。
よろしければお付き合い下さい。
長男の優大が亡くなった後に
ある日聞こえた、
「神の手となって働く」
という言葉とともに自分の
使命のようなものを感じる
ようになりました。
それは幼い頃からずっと
ある感覚だったので、
全く違和感なく、
そういう時期がきたんだな
と自然と受け入れていました。
その後、様々な体験や
聞こえる言葉を通して
「悟り」というものへと導かれて
いきました。
よく悟った人とか言いますが、
たぶんそんな人はいなくて、
悟るとは知るということ。
そして悟りは何かの状態では
ありません。
状態ではなく意識や感覚というか。
扉を開けたらそこにあるもの
ではないというか。
修行をすればいつか得られる
「もの」でもないんですね。
「悟り」とは、
いまこの瞬間になんの過不足なく
完全に調和していることを
「知り続ける」というようなこと
だと思っています。
何も疑わず、すべてをただ感じて
いるだけ。
つまり赤ちゃんのような感じ
でしょうか。
だから、大人になってから
悟り続けることが難しいのだと
思います。
やっぱり長くなってきましたが、苦笑
それで、悟りというものの本質が
何となくわかったあとに、
「使命」ってなんぞや?
と思い始めたわけです。
今になんの過不足なく、
ただ世界が完全に調和している
ことを知ったら、
使命なんて必要ないよね?と。
すると、この人生に解決する問題も
クリアする課題も何もないんだから。
この違和感はすごかったんです。
身体で感じるようになると
さらに混乱しました。
私もこの世界もただのスクリーン
に映されている映像に見えるん
ですから。
あれ?私が一生懸命生きていると
思ってた世界は幻・・・。
どこを向いて生きていけばいいのか
しばらく呆然としました。
だから人は問題を見つけようと
するのだなぁとしみじみ感じました。
それからしばらくして、
徐々にその「悟り」の感覚に
馴染んできました。
自由というものが探さなくても
すでにあり、
私も世界も愛という完全な調和
でしかない。
と身体の奥で感じるようになって。
神の手となるのというのは
脚色された物語のようなもので
それはつまり、
私という完全な調和を生きること
だったんだと知りました。
もちろん、誰かのために身を捧げる
ことでもなく。
今日は、その感覚がこれまでで
一番自然にここにありました。
なにもない、からっぽとも言える
幸せをどこかでいつも感じていました。
結果はどうでもよく
過程も興味がなく
いまこの瞬間を生きていることが
幸せでした。
生れでる「とき」にもう「すべてある」
そんな感じです。
だから今は思っています。
使命はただ自分を生きることだけ。
全部愛だな~と思う今日の日です。
ですが。。
しかもわかりにくいことかも
しれません。。
よろしければお付き合い下さい。
長男の優大が亡くなった後に
ある日聞こえた、
「神の手となって働く」
という言葉とともに自分の
使命のようなものを感じる
ようになりました。
それは幼い頃からずっと
ある感覚だったので、
全く違和感なく、
そういう時期がきたんだな
と自然と受け入れていました。
その後、様々な体験や
聞こえる言葉を通して
「悟り」というものへと導かれて
いきました。
よく悟った人とか言いますが、
たぶんそんな人はいなくて、
悟るとは知るということ。
そして悟りは何かの状態では
ありません。
状態ではなく意識や感覚というか。
扉を開けたらそこにあるもの
ではないというか。
修行をすればいつか得られる
「もの」でもないんですね。
「悟り」とは、
いまこの瞬間になんの過不足なく
完全に調和していることを
「知り続ける」というようなこと
だと思っています。
何も疑わず、すべてをただ感じて
いるだけ。
つまり赤ちゃんのような感じ
でしょうか。
だから、大人になってから
悟り続けることが難しいのだと
思います。
やっぱり長くなってきましたが、苦笑
それで、悟りというものの本質が
何となくわかったあとに、
「使命」ってなんぞや?
と思い始めたわけです。
今になんの過不足なく、
ただ世界が完全に調和している
ことを知ったら、
使命なんて必要ないよね?と。
すると、この人生に解決する問題も
クリアする課題も何もないんだから。
この違和感はすごかったんです。
身体で感じるようになると
さらに混乱しました。
私もこの世界もただのスクリーン
に映されている映像に見えるん
ですから。
あれ?私が一生懸命生きていると
思ってた世界は幻・・・。
どこを向いて生きていけばいいのか
しばらく呆然としました。
だから人は問題を見つけようと
するのだなぁとしみじみ感じました。
それからしばらくして、
徐々にその「悟り」の感覚に
馴染んできました。
自由というものが探さなくても
すでにあり、
私も世界も愛という完全な調和
でしかない。
と身体の奥で感じるようになって。
神の手となるのというのは
脚色された物語のようなもので
それはつまり、
私という完全な調和を生きること
だったんだと知りました。
もちろん、誰かのために身を捧げる
ことでもなく。
今日は、その感覚がこれまでで
一番自然にここにありました。
なにもない、からっぽとも言える
幸せをどこかでいつも感じていました。
結果はどうでもよく
過程も興味がなく
いまこの瞬間を生きていることが
幸せでした。
生れでる「とき」にもう「すべてある」
そんな感じです。
だから今は思っています。
使命はただ自分を生きることだけ。
全部愛だな~と思う今日の日です。