娘の断乳をしてからもう1年以上が過ぎたのですが、実はまだ母乳が少し出ます、笑。
そして驚かれるかもしれませんが、これって長男の優大を出産してからずっとずっと止まらないのです・・・。
2000年からですのでかれこれ15年ですね。
6年おきに3回出産しているのでもちろん授乳期間はその間3年くらいあるわけですが。
優大を出産して生後5ヶ月の時、駐在中の夫に合流することになり中国の広東省へ引っ越しました。
今考えてみると、とても重い障がいを抱えた優大を連れて中国に住むことをよく決意できたなぁと自分でも感心してしまいます、苦笑。
若かったし、家族で暮らしたかったし、夫のキャリアの邪魔になるわけにはいかないような、そんな気がしていました。夫に対する両親の期待も感じていました。
そしていざ暮らし始めた中国での生活は、正直やはり大変でした。。
駐在婦人は楽しく暮らされている方も多いけれど、あの時の私には過酷なものでした。
優大の痙攣の発作がとてもひどく、夜は殆ど眠れず、言葉は通じず、夫はとても忙しくて家を空けることも多く子育ては一人でやり、医療事情はもちろん日本とは違うし、障がいのある子どもに人から向けられる視線などのモラルも日本とは全く違う、色々な原因がありました。
そして1ヶ月後、沢山出ていた母乳が止まりました。
全身に麻痺があったので口を動かす飲み込む、という動作でさえ本人にとっては大変な努力がいりました。
なのでミルクに切り替えるのも本当に大変で一日中ミルクをあげている、または離乳食を食べさせている毎日でした。
母乳はそれからも少しだけ出ていて、なんと授乳を止めてから1年以上経った頃に突然とてもひどい乳腺炎になってしまい、患部がプチトマトくらいに腫れてきて皮膚が破けて膿が出てくると言うとんでもないことになってしまいました。
そして中国だったので、病院に行くと何故か、もし悪いものだったら困るから乳房を切除すると言われまして慌てて一時帰国したのでした・・苦笑。
障がいのある子の子育てについて誰にも相談することができない環境だったので、全ては手探りで自分で何とかするしかない、という毎日でした。
大変すぎて、あの時、母乳があげられなくなって悲しいという気持ちを表すことさえできなかったような気がします。
で、ふと思ったのです、私の母乳がずっと出ているのってこの気持ちが残っているせいかもしれないなぁと。
乳腺炎の皮膚がケロイドになった傷跡を見ながら、少しだけ出る母乳を見ながら何だかふわふわと想いが湧いてきました。
私はあの時優大に母乳があげたかったのだなぁ、孤独な育児が本当に辛かったのだなぁ、どうすることもできなかった自分を抱きしめて欲しかったのだなぁ、そんな感情が湧いてきました。
障がいのある子を授かったなら、日々葛藤しながら悩みながら怯えながら子育てをするという時期があると思います。
健常な子どものママもきっとそんな時があるかもしれません。
そんな時、一番自分をわかってあげられるのは自分です。
自分を責めないで下さいね。抱きしめてあげて下さいね。
ママにも心がある、感情があるのです。
堂々と悲しんでいい、動揺していい、苦しいと言っていい。
あの時の私に言ってあげたいなぁと今とても思います。
障がいのあるお子さんの子育て、私の経験を少しずつまた書き留めていこうと思います。
お子さんになにか心配がある、障がいがある、そんな子育てをしているママに届いていくよう願いつつ。
そして驚かれるかもしれませんが、これって長男の優大を出産してからずっとずっと止まらないのです・・・。
2000年からですのでかれこれ15年ですね。
6年おきに3回出産しているのでもちろん授乳期間はその間3年くらいあるわけですが。
優大を出産して生後5ヶ月の時、駐在中の夫に合流することになり中国の広東省へ引っ越しました。
今考えてみると、とても重い障がいを抱えた優大を連れて中国に住むことをよく決意できたなぁと自分でも感心してしまいます、苦笑。
若かったし、家族で暮らしたかったし、夫のキャリアの邪魔になるわけにはいかないような、そんな気がしていました。夫に対する両親の期待も感じていました。
そしていざ暮らし始めた中国での生活は、正直やはり大変でした。。
駐在婦人は楽しく暮らされている方も多いけれど、あの時の私には過酷なものでした。
優大の痙攣の発作がとてもひどく、夜は殆ど眠れず、言葉は通じず、夫はとても忙しくて家を空けることも多く子育ては一人でやり、医療事情はもちろん日本とは違うし、障がいのある子どもに人から向けられる視線などのモラルも日本とは全く違う、色々な原因がありました。
そして1ヶ月後、沢山出ていた母乳が止まりました。
全身に麻痺があったので口を動かす飲み込む、という動作でさえ本人にとっては大変な努力がいりました。
なのでミルクに切り替えるのも本当に大変で一日中ミルクをあげている、または離乳食を食べさせている毎日でした。
母乳はそれからも少しだけ出ていて、なんと授乳を止めてから1年以上経った頃に突然とてもひどい乳腺炎になってしまい、患部がプチトマトくらいに腫れてきて皮膚が破けて膿が出てくると言うとんでもないことになってしまいました。
そして中国だったので、病院に行くと何故か、もし悪いものだったら困るから乳房を切除すると言われまして慌てて一時帰国したのでした・・苦笑。
障がいのある子の子育てについて誰にも相談することができない環境だったので、全ては手探りで自分で何とかするしかない、という毎日でした。
大変すぎて、あの時、母乳があげられなくなって悲しいという気持ちを表すことさえできなかったような気がします。
で、ふと思ったのです、私の母乳がずっと出ているのってこの気持ちが残っているせいかもしれないなぁと。
乳腺炎の皮膚がケロイドになった傷跡を見ながら、少しだけ出る母乳を見ながら何だかふわふわと想いが湧いてきました。
私はあの時優大に母乳があげたかったのだなぁ、孤独な育児が本当に辛かったのだなぁ、どうすることもできなかった自分を抱きしめて欲しかったのだなぁ、そんな感情が湧いてきました。
障がいのある子を授かったなら、日々葛藤しながら悩みながら怯えながら子育てをするという時期があると思います。
健常な子どものママもきっとそんな時があるかもしれません。
そんな時、一番自分をわかってあげられるのは自分です。
自分を責めないで下さいね。抱きしめてあげて下さいね。
ママにも心がある、感情があるのです。
堂々と悲しんでいい、動揺していい、苦しいと言っていい。
あの時の私に言ってあげたいなぁと今とても思います。
障がいのあるお子さんの子育て、私の経験を少しずつまた書き留めていこうと思います。
お子さんになにか心配がある、障がいがある、そんな子育てをしているママに届いていくよう願いつつ。