9年前の冬の日、次男が我が家にやってきて、足りなかったもの、ずっと求めていたものを与えてもらった、という気持ちが湧いてきました。

それは、活気、笑い声、生活を鮮やかにしてくれる「色」でした。

23歳で重度の障がいのあった長男の優大を授かり、決して簡単とは言えない子育てが始まりました。

我が子の死と隣り合わせの毎日、夜のお世話が大変だとまとめて2時間くらいしか眠れず、自律神経がおかしくて絶えず寒気や吐き気やひどい胃痛に悩まされていました。

20代で3、4人子どもがほしいと思っていたのですぐにでも次の子を授かりたい・・けれど授かる勇気が持てませんでした。

生活が大変というよりも、遠くない未来に我が子を看取るという運命を受け入れなければならないのに、新しい命を授かることがとても恐ろしく思えたからです。

5年の月日が流れ、優大の命を丸ごと受け止める覚悟が出来てきたころ、私の体調も次第によくなってきました、そして次男がやってきてくれました。

いつもニコニコしていて笑顔がかわいく愛嬌があり瞳がキラキラしている本当に愛おしい弟。

母になってからずっと夢だった言葉を通して理解し合うことも喜びでした。

でも今思うといつもどこかで、この子まで失ったら・・という恐怖がつきまとっていたように思います。

とても複雑な感情が積み重なり、次男を少しだけ長男よりも遠くにおいておく、そんな気持ちが働いていたかもしれません。

すごく大切な存在にしてしまったら、また恐怖が増えてしまうから・・。

そして、私にまとわりつき満面の笑顔で「ママ!」と呼んでくれる次男を、寝たきりで言葉を話さない長男よりもかわいいと思ってしまったらいけない、そんな後ろめたい気持ちもあったのです。

本質的には我が子に対してどっちがかわいいというのはただの幻想に過ぎなかったのですが、その時の私は自分が親として完璧に正しくあることがとても大切だったのだと思います。

長男を見送りその生と死の全てを受け止めることができた今、初めて次男についてもまるごと受け入れていいと思えるようになりました。

私のことを選んで来てくれたと言う次男の言葉がありました。

そんな次男の存在を私が愛のギフトとして受け取ってもいい。

心から愛して大切に思っていることを認めても大丈夫。もう怖くないから・・。



葛藤のない子育てはありません。

そして完璧な親なんてどこにもいません。

人生自体に正解はないからです。

世界で一番に愛おしい存在を得て、同時に一番大切なものを育てるという責任はとてつもなく大きく感じられます。

それは、私が親だからこの子を何かに育て上げなくてはいけないという思い込みがそうさせるのだと思います。

幸せであるための法則はただ一つ、自分の人生を自分で創造して生きている実感をもつこと。

自分で選び自分で決め自分の命を喜んで生きる、そのために親が出来ることは、子どもの体験をなるべく奪わないことだと感じています。

感じる経験を、考える経験も、決める経験も、迷う経験も、戸惑う経験も、そして自ら人生を創造していく経験を・・。

親がなくとも子は育つ、出来ない親にいい子が育つ、というのはまさにこのことが理由なのだと思います。

親と子と一緒に暮らせるのであれば、完璧になる必要なんてなくて、ただ愛しているよと伝えることだけでよいのかもしれません。

グルグルしながら葛藤しながらも、それでもあなたを愛しているのよ、そう伝え続けることなら私にも出来そうです。

今日は次男の誕生日でした。

自分で決めて自分の身体で試して、どう生きるのかはどれだけ変わってもいいから、やってみてごらん、自分の命を自分で生きるんだよと次男に言いました。

人生は毎日が誕生日のようなもの。変わることを恐れるなんて意味がない。本当は同じ自分に二度と出会うことはないのだから。

ママもそうするから一緒にやってみようよ、と。

んん~わかった。でも眠くなっちゃったよ、えへへ。という返事にみんなで笑いました。

9回目のお誕生日に、生まれることの意味をもう一度教えてくれた次男に感謝です。