エゴという言葉はヨガを学んでいる人にとっては誰もが知っている言葉ですが、よく言う親のエゴで~というのとは少し意味合いが違います。

自分勝手とか自己中心的という意味ではなくて、私は人の「思考」そのもののことだと理解しています。

思考がなくて生きている場合は完全な悟りの人です。私は悟りの近い所に行きたいと思っているのですが、この悟りたいもまた思考であるエゴです。

エゴを減らしたいもまたエゴ・・笑。

人にエゴがあるのは、やはり自分という存在を知るためだと思います。

人は命として生まれでた時から、ひとつひとつ自分の思考を通して自分のことを知り大人になり、大人になってもこのエゴと共に成長を続けています。

ただ、エゴと自分が全く同化している間は、それを通して学ぶということがなかなか難しいように思います。

自分の中には自分を見ている存在が常にあり、そちら側から眺める時にエゴはとてもよい成長の材料になるからです。

その中に飲み込まれずに批判的なジャッジもせずに、ただ自分の思考を観察することができるようになると、思考を修正したり選ぶことが簡単になってきます。

例えば誰かや何かにネガティブな感情を持っている自分の奥にあるものは、実は自分の中の消化しきれていない感情が隠れていたりします。

対象の物にはそれ程大きな意味はなく、自分の中にあることを投影しているということですね。

だからエゴという思考を少なくしていくと、よりシンプルで満ち足りた本来のわたしに戻っていきます。


と、エゴについての説明をしたかったわけではなくて(充分長く説明しちゃったけど・・苦笑)

エゴをなくしたいも、アルベキをなくしたいもエゴなわけです。

ただ、アルベキをなくしたいというエゴをもちつつ、アルベキはナイベキ、~はナイベキとかになっていかないようにしたいなぁと思うのです。

ベキは自分基準ではありません。全て外側からの無意識の制限、制約とそれに対する恐れを投影したものです。

エゴを少なくする一番の近道は、ありのままの私がそうしたいかしたくないかを感じること、大切なのはそれだけなのです。

だから、何度も書いているけれど、自分がどうしたいのかをいつもいつも聞いてあげることですよね。

私の夫のように全く苦もなくできる人もいますけど(笑)私はそれが苦手だからこそ、とっても大切なこと。

そしてわたしだけでなく、たぶんママになった女性の多くがこれを封印しているから、ママはもっともっと自分基準を発揮して輝いていい!そう強く思うのです。

今日息子に言われました。

私「ママはあっくんのことをコントロールするのをやめてみたら、すっごく楽になったよ。」

息子「ママが楽ならボクも楽!」

だそうです、笑。



話しがそれるのですが、妊婦の時に席を譲ってくれるおばさまってまずいませんでした。大抵若者か、若いお父さんとか。一番ガン無視するのはスーツ姿のおじさまですね・・。

これって封印のつけだと思うのです。代々続いてきたであろう、あなたも我慢しなさい、人生はそういうものだ、みたいな・・。

自分も子どももありのままで生きることを試した世代はいないと思うので、誰もがありのままで輝ける新しい世界を作っていくのは未知の領域です。

それでも私は見てみたいのです。同じ四角い形の同じ色のピースではなくて、色とりどりの色と形のピースで完成された世界を。

そして20年後には、まるくほっこり笑っているおばさまになりたいです、笑。