今年に入って始まった自分を見つめる毎日の中で、深く知ったことの一つ。

全ては自分の中にある、そして全ては自分が決めて選んでいるってこと。

感情という、どうにもできないと思っているものでさえ、それを選んで見つめて自分の中にわざわざキープしているのは自分なんだって。


例えば、週の始めの月曜日、気持ちを引き締めて1週間を乗り切るぞ!という気合いと少々のため息(笑)

前回の記事に書いたように、こなす、つぶすの日々が始まる。それでも、そこに心を込めようと頑張るわたしがいて。

これも私が選んでいた感情。

別に、もし気合いを入れる必要がなければ日曜日の続きで過ごしたっていいわけで。

朝からノラジョーンズなんて聞いて緩んでたら働けないでしょ~、と思っていたけど・・。

朝日を浴びながらノラジョーンズをかけてゆっくり紅茶を飲んでても一日は回ってくれる。

何も予定のない日は、洗濯を干したら、娘を連れて海に行ってお昼を買って食べてお散歩して、帰りの車で寝た娘を寝かせおいて、お茶飲んだり気ままに過ごしたっていい。

ずっとそんなことできないと思っていた。

きちんと、ちゃんと、が基本の価値感で、ゆるく、楽しむ、なんて夫がいて機嫌よくしてくれて子どもを見てくれる時だけ、そんな風に思っていた=決めていた。

自分を自由にしてあげらるのって、どんな条件でも誰かがしてくれることでもなくて、ただわたしは自由でいいって自分に許すだけだと知って。

日々、刻々と変化する自分を感じて過ごしている。



感情は幻のようなもので、生きているその瞬間を確かめるためのもの。

流れていく感情にしがみつくのも、流してあげるのも、自分次第、自分で決めている。


その中から私が深く感じたい気持ちはなんだろう?私はどんな世界で生きたい?

それを問いかけながら、今という時を生きること。

泣きたい時に泣き、笑いたいから笑い、時々悩みたいから悩んで。それでいいんだろうな。

もうたくさん悲しんだから、今度は喜ぶ人生を選ぼう。

そう思って何故か泣きたくなるのだけど・・苦笑。


感情は幻のようなもの、だから感じることを恐れる必要なんてなかったんだ。感じたら手放せばいいだけだから。

揺れる感情を責める必要なんてなかったんだ。人生には欠かせない友達のようなものだから。

それがなければ、きっと自分が何をしてどこにいるのかさえ関係なく、生きていることすら意味がなくなるのだと思う。

感じるってことは魂が震えること。生きている証。

だから感じることに蓋をしないで、感じて、自分を知っていくことが生きるってことなのかな。


そんなこんなで、今日も海に行ってきました、笑。



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