息子の土曜参観の振替休日を利用して、一泊で京都、大阪に旅行に行ってきました。
目的は息子のかねてからの希望、USJのハリーポッターですが、京都にも行きたくて寄り道。
まだ子ども達が小さいのでお寺巡りは長くはできないと思い、何となくの選択で嵯峨嵐山の天竜寺さん周辺を散策。
紅葉も少しずつ始まっていて、のどかな町並みが美しくて、またゆっくり伺おうと思いました。
数時間の滞在の最後に、ごま豆腐や湯葉の美味しい夕飯を頂いて京都を後にし、大阪へ。
バタービールも飲んで杖も買い、ビーンズやカエルチョコもゲットし、満足の息子さんでした。
(それにしても全てのものが破格値でずっと驚いてばかりだった・・・苦笑。ジェリービーンズね、小さな一箱1800円です。。。)
直前に予約ししかも弾丸的なスケジュールでしたが、楽しく旅行できて、家族旅行ってこんなに身軽にできるものなのだなぁと。
小さいスーツケースとベビーカーさえあればどこにでも行ける。
優大がいて1泊でも海外に行くような大荷物を持って旅行していた頃に想いを馳せました。
優大が温泉が大好きだったのと、家族で一緒にやれることがかぎられていたから、旅行が一番の楽しみでした。
そしてあの頃は、私の心はいつも優大の命を守ることに向けられていて、24時間センサーが働いて警戒していたから、かなり心身共に疲労が強かった。
そこから抜け出したくて、何とか気持ちを切り替えたくて旅行に行っていたということもありました。
でも本当は、リフレッシュや息抜きをしても、また現実に戻ればすぐに心は疲弊し翻弄されてしまうことに気付いていたけれど、どうしていいのか、わからなかったのです・・。
自分の心自体を自由にすることなんて思いつきもしなかったから。
責任、義務、ねばならないことの毎日。こなして、こなして、時間が余ったらつぶす。
ご褒美を設定してぶらさげて、そこまではやっぱり、こなして、つぶして・・。
私はずっとそうやって生きてきました。
だからといってその時間が間違っていたかといえば決してそうではなくて、その毎日は本当にたくさんの愛に溢れていたし、掛け替えのない学びを得ることができたし、幸せだなぁと深く感じる毎日でした。
今と何が違うかというと、自分で人生を選んで受け身でなく生きていたか、ということ。
こなす、つぶす、というのは与えられたものに対する接し方だったと思います。
だからそこには自分を生きている、自分が主役の人生を選んでいるという感覚はありませんでした。
自分の「命」をやるべきことに注ぐことに何の疑問もなかったし、自分の命、自分自身を人生の中心にもってくることもありませんでした。
どのようにこなすのかも、誰かや何かの基準に無意識に標準を合わせて、より完璧にやらなければいけないという強迫観念のようなものが常にありました。
だからやっと頑張ってこなしても、それを認めてもらえなければ落ち着かないし、勝手に傷ついたりしていたように思います。
そこから逃げたくて旅行に行き、買い物に行き、それでもどうしてもいつも真からは癒されない。
人生が苦しくて、でも頑張りたくて、笑いたくて、必死で生きていました。
わたし、そんなわたし、本当によくがんばってきたね!!って過去の私に会いに行って、抱きしめたいなって今思います。
どんな瞬間の私の笑顔や涙や葛藤や、それが一つでも欠けていたら、今の私もここにこうしていないのだから。
そして、本当にそんな気持ちで全ての瞬間のわたしを抱きしめながら、これからは生きていこうと思っています。
旅行の時間だけではなくて、毎日を自由に生きていこうと決めました。
旅行の時みたいに、自分の選んだことをして、おいしいご飯を食べて、お風呂に入ってホッとして、いい日だったなって眠りにつく。
同じ日常でも心が自由なら、そこはいつだってハワイだし、箱根だしなって・・笑。
今とっても私は自分を生きている実感があります。
とても新鮮な気分です。
傍から見ればもしかしてヘンテコな自分でも、ステキだし唯一無二の存在で、私はわたしだから。
全ての人がそうであるように。
そんなことを思わせてくれた旅。でも人生そのものが遠くに行かなくても旅なのかもしれませんね。
目的は息子のかねてからの希望、USJのハリーポッターですが、京都にも行きたくて寄り道。
まだ子ども達が小さいのでお寺巡りは長くはできないと思い、何となくの選択で嵯峨嵐山の天竜寺さん周辺を散策。
紅葉も少しずつ始まっていて、のどかな町並みが美しくて、またゆっくり伺おうと思いました。
数時間の滞在の最後に、ごま豆腐や湯葉の美味しい夕飯を頂いて京都を後にし、大阪へ。
バタービールも飲んで杖も買い、ビーンズやカエルチョコもゲットし、満足の息子さんでした。
(それにしても全てのものが破格値でずっと驚いてばかりだった・・・苦笑。ジェリービーンズね、小さな一箱1800円です。。。)
直前に予約ししかも弾丸的なスケジュールでしたが、楽しく旅行できて、家族旅行ってこんなに身軽にできるものなのだなぁと。
小さいスーツケースとベビーカーさえあればどこにでも行ける。
優大がいて1泊でも海外に行くような大荷物を持って旅行していた頃に想いを馳せました。
優大が温泉が大好きだったのと、家族で一緒にやれることがかぎられていたから、旅行が一番の楽しみでした。
そしてあの頃は、私の心はいつも優大の命を守ることに向けられていて、24時間センサーが働いて警戒していたから、かなり心身共に疲労が強かった。
そこから抜け出したくて、何とか気持ちを切り替えたくて旅行に行っていたということもありました。
でも本当は、リフレッシュや息抜きをしても、また現実に戻ればすぐに心は疲弊し翻弄されてしまうことに気付いていたけれど、どうしていいのか、わからなかったのです・・。
自分の心自体を自由にすることなんて思いつきもしなかったから。
責任、義務、ねばならないことの毎日。こなして、こなして、時間が余ったらつぶす。
ご褒美を設定してぶらさげて、そこまではやっぱり、こなして、つぶして・・。
私はずっとそうやって生きてきました。
だからといってその時間が間違っていたかといえば決してそうではなくて、その毎日は本当にたくさんの愛に溢れていたし、掛け替えのない学びを得ることができたし、幸せだなぁと深く感じる毎日でした。
今と何が違うかというと、自分で人生を選んで受け身でなく生きていたか、ということ。
こなす、つぶす、というのは与えられたものに対する接し方だったと思います。
だからそこには自分を生きている、自分が主役の人生を選んでいるという感覚はありませんでした。
自分の「命」をやるべきことに注ぐことに何の疑問もなかったし、自分の命、自分自身を人生の中心にもってくることもありませんでした。
どのようにこなすのかも、誰かや何かの基準に無意識に標準を合わせて、より完璧にやらなければいけないという強迫観念のようなものが常にありました。
だからやっと頑張ってこなしても、それを認めてもらえなければ落ち着かないし、勝手に傷ついたりしていたように思います。
そこから逃げたくて旅行に行き、買い物に行き、それでもどうしてもいつも真からは癒されない。
人生が苦しくて、でも頑張りたくて、笑いたくて、必死で生きていました。
わたし、そんなわたし、本当によくがんばってきたね!!って過去の私に会いに行って、抱きしめたいなって今思います。
どんな瞬間の私の笑顔や涙や葛藤や、それが一つでも欠けていたら、今の私もここにこうしていないのだから。
そして、本当にそんな気持ちで全ての瞬間のわたしを抱きしめながら、これからは生きていこうと思っています。
旅行の時間だけではなくて、毎日を自由に生きていこうと決めました。
旅行の時みたいに、自分の選んだことをして、おいしいご飯を食べて、お風呂に入ってホッとして、いい日だったなって眠りにつく。
同じ日常でも心が自由なら、そこはいつだってハワイだし、箱根だしなって・・笑。
今とっても私は自分を生きている実感があります。
とても新鮮な気分です。
傍から見ればもしかしてヘンテコな自分でも、ステキだし唯一無二の存在で、私はわたしだから。
全ての人がそうであるように。
そんなことを思わせてくれた旅。でも人生そのものが遠くに行かなくても旅なのかもしれませんね。
