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午前中、これからのSHANTI のこと、自分の生きる道のこと、いろいろと確認するためにセッションを受けてきました。

ツボを押すように時折痛いところを気持ちよく押してもらい、あぁそっかそこが痛かったんだ、でももう大丈夫だ~と気付かせてもらうという流れに乗って濃密な時間を過ごしました。

自分の根っこを深く掘って見てみたり、時々ただ爽やかな穏やかな風に吹かれたり、伸ばした葉の生き生きとした感覚に触れてみたり、自然の中にいて自分の立っている基盤、大地というものをありのままに見て、私という一本の木を見ていくようなそんな時間。

そして一緒に、私がこれから咲かせる花を見たり。

あっという間に90分が過ぎ、ギリギリまで気付きに溢れた楽しい時間が続きました。



真の自分、私の中にいる「ありのままのわたし」に目をむけるということは、私を愛するということだと今とても強く思うのです。

近年になりネグレクトという子どもに対する虐待が世の中に知られるようになりました。

その元々の意味は、無視、軽視。

以前からある「いじめ」というものもそうです。

「見ない」ということは何も行動に起こさずともその対象を苦しめることがあるということなのですよね。

だから、ただ「見る」ということはそれだけで愛情をかけることになるのだと私は感じます。


ヨガの中にシャバアーサナというポーズがあるのですが、それはただ全身の力をゆるめて寝転がり、身体の一つ一つの部分を見るように感じていきます。

実際に動きは一つもないのですが、とても大切なポーズ。

そうしているうちに自分の中に何とも言えないリラックスが訪れて目覚めていながら夢を見ているような幸せな気持ちになります。

ただそれだけでそんなに気持ちよく安心できるのは、やはり「見る」(感じる)ということが持つ意味を教えてくれているような気がするのですよね。

優大が亡くなったばかりでヨガを始めて、シャバアーサナの時、毎回涙が流れて仕方なかったのを思い出します。

人と会う時は感情に蓋をして普通にしていた私は、悲しいというありのままの自分を見てあげるだけで、励まされ癒されていたのだと思います。



現代に生きていると、自分を見ているかいないかもわからないくらい、現実の世界は複雑になっていると思うのです。

何が本当の自分で、どれが本当の自分がやりたいことで、どんな道を歩むことが真から幸せなのか。

沢山の情報のなかで目は常に外に向かい、自分を取り巻く沢山の人間関係の中で場面ごとにふさわしい自分を作っていく。

ありのままの自分以外のことに感覚を無駄使いしてしまうのでいつも感じる心は疲れています。

すると、いつのまにか自分の内側を見るという本当にシンプルなことができなくなってしまう。

私にはそういう経験があります。

自分が本当に何がしたいのか、無意識でははっきりと変わらずあるのに、意識の上ではそれを見ることができなくて悩む、そんなことが度々ありました。


今日はセッションの中で「もっともっと自分自身を大切にもてなしてあげてください。自分が一人で背負ってきたと思っている荷物をすべて下ろしていいんです。」と言ってもらいました。



そう、私はこれからの私の人生の時間はありのままの自分に正直に生きると決めたのだ。

私にとって自分を大切にするということは、この掛け替えのないたった一つの命を輝かせて生きるということ。

ありのままのわたしを見ないふりして苦しんで生きることをもう選ばなくていいのだから。

荷物はただ下ろせばいいだけのことだった。

そんなことを思いながら帰路に着きました。



午後は野球のお当番で暑い暑い一日。疲れたけど楽しい時間。

夕飯は近所のお店でお寿司を食べて、ビールを飲んで。

お風呂に入りながら、「あぁ、ありがたいなぁ、幸せだなぁ」としみじみ思いました。


私は生きている。今ここにこうして。

ありのままのわたしを見ると、そこに屈託なく暖かく笑っている姿が見えます。

それがわたしだったんだなぁと、あらためて見せてもらった大切な一日に感謝です。



今日お会いしたカウンセラー、ヨガティーチャーでもある笑顔がとてもキュートな野村友美さん、リンク貼っておきます。ご興味ある方はこちらを★